ありのまま、愛すること。
ただ、かろうじてよかったのは、祖母との三世代同居だったから、ご飯をつくる人が家にいたということ。

ろくなおかずは食卓に並ばなかったけれど、覚えているのは、父には必ずブリの照り焼きがついていたこと。

息子に頑張ってほしいという母親としての思いだったに違いありません。

父は友人から借金をして会社を清算したと書きましたが、その借財のある友人のひとりが、手形割引の会社を経営していました。

完全歩合制のその会社に営業職で雇ってもらい、成績を上げることで父は借金を返していったのです。

完済したのが私が30歳に届くくらいのことだったと記憶していますから、20年近くかかったことになるでしょうか。

その間、年収は1000万円以上あったはずですが、そのなかで切りつめて生活費にて、残る600万~700万円というお金を、毎年返済していたのだと想像できます。

それこそ馬車馬のようになって働いたのが父の後半生であり、私はとうとう、朝起きたあとも、夜寝る前も、たまの休日以外、父が家にいた記憶がないのです。
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