君の香はたまゆら
 ……ここまでは成功したが、果たして本当にここで彼の後ろに乗ってしまって良いものか否か。ここで乗ってしまったら、その後に彼が後悔して以降の自分に対する態度が変わってしまうのではないか。この期に及んで様様な考えが駆け巡り、澄香は逡巡した。
 そんなこちらの暗然を見透かしたように、隼人が今度は顔ごと肩越しに振り向いてくる。そして呟いた。
「……安全運転していくから」
 彼はこちらの逡巡を違う意味で解釈したらしかった。
澄香は安堵の息を吐いた。紐を掴んでいた手を、おずおずと荷台に伸ばす。冷えた鉄の感触が火照った肌に心地よかった。
 肩の上に紐を掛け直し、澄香は荷台に横座りした。ボーイッシュな自分にこんな乙女座りは不似合いだと内心で苦笑しながら、今度は手のやり場に困って再び逡巡する。かつてない接近に以前に増して鼓動が早く脈打つのを感じながら、彼女は妙に上擦った声で運転手に訊ねた。
「……手、どうすれば良い?」
「別にどうでも良いよ」
「いやそんなこと言われても」
「……そんなこと言われても」
 意地悪くオウム返しに答えてきたわけではないだろう。それは相手の決まり悪そうな表情を見れば明らかだった。親指の背で眉間を擦るようにしながら、しきりに周囲に視線を飛ばしている。一度目を伏せて何やら考えてから、口早に彼はあとを続けた。
「振り落とされないようにしてれば良いんじゃない?」
「……そうだね。じゃあ──」
 荷台に乗る時よりも慎重な手つきで、澄香は隼人の両肩に手を伸ばした。
 初めて触れたその少年の肩は、水泳で鍛えられた筋肉に覆われて力強く、そしてそれに相反する柔らかさを備えていた。その不思議な感触と確かな温もりを味わうようにゆっくりと、掴む掌に力を込めていく。いつも傍らで見ていた彼の見事な逆三角形の水泳体型、まさかこの手で触れられるとは思わなかった──などと思いつつ、同時に何を破廉恥なことを考えているのだと気づき、彼女は慌てて手を離そうとした。
 
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