ズルイヒト
 歩みを止めたのにも関わらず、脈が急に加速した。


 約10年離れて生きていたのにも関わらず、あの頃と変わってすっかり成長した久央だとすぐに分かった。そして彼もあの頃とは違う私に気づいている。


 無表情だった久央は驚きは浮かべず、ふにゃりと優しい笑みを見せて、歩みを止めた私の代わりに歩き始める。


 ――会いたかった。

 過去ことはもう許したと言って、元通りの関係――完璧に復元することは出来なくても、また一緒に笑いあう未来を想像していた。


 ――会いたくなかった。

 あのときのことを許されず、まして久央の行動に耐えきれずに逃げてしまったことを恨み続けられ嫌われる――久央の悪意が怖かった。


 複雑な心境は、逃げるという選択も、自分から歩みよるというのも無く、足を棒にするしかなくて。


「美伶」


 名前を呼んだ声は記憶よりも低くなっていた。続けて「久しぶり」と言った彼の心境が読めないから。


「なん…で」


 ここにいるの? 声をかけてくれたの? と彼に会う覚悟が出来ていない私はただその言葉しか出なかった。


「イブの奇跡」


 抵抗しない私は、恥ずかしい台詞と共に久央の左腕の中に簡単に捕らえられ、私の肩に頭を乗せ小さくそして低い声で囁き始めた。


「十分逃がしてあげただろ」


 やはり、久央は許していない。


 この日は、道端で男女が抱擁していても、周りも同じような者だから特に気にはしない。だから、鈍く光る果物ナイフが私の腹に当てられているなんて思いもしないだろう。


 人が沢山いるんだから本気で助かりたいなら、脅しに屈せず叫べば、助かるのに、私はただ頷いた。
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