Fahrenheit -華氏- Ⅱ
だけどこのセットアップスーツの登場はまだ少し先ね。
まずは小野田専務にアポを取らないと。
ついで、と言う意味であたしはハンガーラックに掛かった洋服たちを眺めた。
明日は何を着て行こう…
たくさんの服のハンガーをずらし
「これは違う、これは気分じゃない、これは派手過ぎる」
と言った理由でどんどん除けられていく洋服たち。
その手がふと止まった。
ユーリは……
NYでの家…あたしとマックスと三人で暮らしたあの家で、ユーリが確かまだ三歳ぐらいの頃、あの子はあたしのウォークインクローゼットでかくれんぼするのが好きだった。
狭くない家だ。ユーリの姿が見当たらなくてあちこちを探し回ったことが数回。
やがてクローゼットの中を覗くと、ユーリは小さな手であたしのワードローブをきゅっと握りながら「Mom found me.(見つかっちゃった)」と無邪気に笑っていた。
「Already, Don't let Mom worry about me.(もう、ママに心配かけないで)」と言って苦笑しながら彼女をきゅっと抱きしめた。
けれどユーリには心配の意味も分からなかったのだろう、叱られたと言う意識はなかったのか
「Mom's clothes are like dresses. Like a princess.(ママのお洋服はドレスみたい。お姫さまみたい)」と砂糖みたいな笑顔を浮かべていた。
「You're going to be a princess when you grow up.(あなたも大きくなったらお姫さまになるわ)Become the prettiest princess in the world.(世界一可愛いお姫さまにね)」そう言って抱きあげた記憶がある。
最近―――ユーリのことを想い出しても潰れるような悲しい気持ちにならない。
けれど確実に、微笑ましい記憶の一部としてあたしの心に刻まれている。
それは―――啓と出会ったおかげ。
今はクローゼットを開けたら、啓の香水が香ってくる。
彼に包まれている気がする。
Fahrenheit
彼があたしの悲しい過去を、まるできれいで輝かしい記憶へと変えてくれる。