Fahrenheit -華氏- Ⅱ
「父親になった気分はいかがですか?」
って言うか父親……だよな……?
言った後になって変に勘ぐるなよ、って感じだけど後の祭りだ。
だが間違いなく真咲の中で育っている新しい命の父親は菅井さんのようで、腕を伸ばしてカウンターに両手をつくと
はぁ~……と菅井さんは深く息をついた。
「正直、まだ実感がなくて………満羽から聞かされたとき、僕はみっともないぐらい動揺して……」
「いや、誰だってそうでしょう……計画していなかったのなら…」と当たり障りのない返答で頷き、俺はここにきてようやくはじめてビールのグラスに口を付け一気に半分程あけた。
泡が消え去ったビールは普段、こういった店で飲むビールよりも質が落ちてた気がしたが、それすらもあまり気にならなかった。
だが、味の落ちたビールを喉に通して自分があまり適切でない言葉を吐いたことに気づいた。
「……すみませ…」と謝りかけたところで
「本当に……」と菅井さんの声が重なって、今日の午後と同様俺の謝罪を遮られる形になった。
「だから急いで籍を入れることにしたのですか?」
俺が聞くと、菅井さんは再び「え?」と言う疑問を浮かべて、目をまばたいた。
「彼女から……真咲さんから聞いたわけじゃありません。偶然、真咲さんが落として行ったものです。
それを俺が拾いました。すみません、今まで黙っていて」
俺は、スーツの内ポケットから真咲が忘れていった“婚姻届け”の用紙を取り出し、カウンターテーブルの上へ滑らせた。
本当は真咲本人に返すつもりだった。だが、菅井さんと飲みに行くと言う状況ができて、彼経由で返してもらおうと企んだ、臆病な俺。
いや、卑怯とも呼べる。
実直な菅井さんを、俺は利用したんだ。