Fahrenheit -華氏- Ⅱ
「あ~、それにしてもあの店のかぼちゃのおぼろ煮美味しかったわ~
向こうで二号店とか出してくれないかしら」
シャンパングラスを手に心音が歩きながらソファに向かってきて、話題を変えるつもりか彼女は名残惜しそうにうっとりと頬を緩ませあたしの隣に腰掛けた。
「それは無理よ。だってあのお店だって大将が一人で切り盛りしてるのよ」
「That's a shame.(残念)」心音は小さく舌打ち。「帰る前にもう一度行きたいわ♪」
「そうね」
心音はよっぽどあのお店の味が気にいったようだ。オススメした甲斐がある。
「だけど、隣のクソ野郎共がいなけりゃもっと最高だったのにね。あの彼女…ユカリも楽しかったし」
「本当にね……でも珍しいわね、心音があんな風に怒るの」
あたしは目を伏せてグラスの中のシャンパンを見つめた。上品なゴールド色の液体の中昇っては消え昇っては消えの繰り返しをしている気泡を眺めながら。
「あんな程度で“セレブ”気取りされたのがムカついただけ」と心音は声を低めて、ぐいとシャンパンを仰ぐ。その声はさっきあのしつこいナンパ男に放ったときの温度のない言葉だった。
「ねぇ」
突如として振り返って心音はあたしの真正面からあたしを覗き込んできた。
「あたしはあんな安っぽい“セレブ”に負けたってことなの?」
質問の意図が分からず
「勝った(?)のはあなたじゃない」と苦笑いを漏らし、けれどすぐにはっとなった。
“セレブ”と言う言葉に安い高いは無いと思うが、心音は
正真正銘の“セレブ”であるヴァレンタインのことを指しているのだ、と気づいた。
「心音は―――負けたと思ってるの…?」眉を寄せて聞くと
「完敗だわ、あの魔女にね」
魔女…と言うのはジェシカのことよね。
もしかして―――……
「つまり……心音とジョシュが別れたのは本人たちの意思ではなく……?」
「オフコォス」と心音はわざとおどけて見せたが、すぐに肩を落として脚を投げ出し天井を仰ぎ見た。「あたしの育ちが悪いから結婚は認めないってあの魔女が」
あの女の言いそうなことだ。
あたしは心音とジョシュが別れたことを知ったとき正直驚いた。
ジョシュはマックスと違いいつでも誠実で心音一筋に見えた。若干心音の破天荒ぶりに振り回されてる感はあったけれど、それすらも楽しそうに見えた。お似合いの二人だと思ってた。
だから家柄も良くお金持ちのお嬢様と結婚したと聞いたときはやっぱり「最低」だと思った。
やはり血は争えないって言うのかしら。結局のところは金や家柄が物を言うのだ、あの一族は…とも思った。
「バカな話だけどねー…駆け落ちも考えたわ。実際したけれど一か月程で見つかって、ジェシカには息子を金目当てで誘惑して誘拐したと言って、あたしは刑務所に入ったこともある」
「え―――…?」
あたしは目を丸めた。思わずシャンパングラスを取り落としそうになったが何とか留めた。
「とは言え完全なる無罪よ?何よりジョシュアがそう証言しているし、そもそもジョシュはヴァレンタインを捨てる覚悟だったのよ」
「それで―――…」
「もちろん無罪放免よ。名誉棄損で訴えることも考えたけど辞めた。だって絶対勝てっこないもん。そんなんにエネルギー使うのって体力の無駄じゃない?」
心音は肩を竦める。
けれどおどけた表情から一転、つるりと無表情になって静かに言い放った。
「ねぇ教えてよ。
どうしたら愛した男を嫌いになれるの?
教えてよ」