はぐれ雲。
引っ越しまで、あと一週間を切っていた。

達也と博子はだいたいの荷造りを終えた。

二人暮しなので、さして荷物も多くない。

「ちょっと、休憩しようか」

「うん、そうね。じゃあ私コーヒー淹れるね」

段ボールが積まれたリビングで、達也はあぐらをかいて座る。

彼は今日一日、休暇をとっていた。

引っ越しの準備をせねばならない。

彼は駐在所勤務の希望を出し、四月から夫婦共に山あいの村へ赴任することになっていた。

刑事として丸3年やってきた中で、人間の欲、裏切り、愛憎が引き起こす事件を嫌というほど目の当たりにしてきた。

しかし、今回の新明や真梨子のことをきっかけに、博子と二人、もう一度初めからやり直したいと強く思う。

心残りは、桜井の定年を見届けることなく刑事を辞めるということ。

そしてもう一つは、林哲郎が新明亮二殺害に関与したかどうかが、まだ捜査中であるということだった。

桜井は言った。

「わしが定年になるまでには、絶対吐かしたるわ。飯島一家殺害の件も含めてな。ええ報告を田舎で待っとけ」と自信ありげに笑った。


コーヒーのいい匂いが漂う。

その時、玄関のチャイムが一度だけ、どこかしら遠慮がちに鳴らされた。

「あ、俺が出るよ」と、達也が立ち上がる。

「お願い」

博子はカップにコーヒーを注いでいた。

重たい扉を開く音がして、しばらく経ってから、
「博子」と達也が玄関から低い声で呼ぶ。

「…君にお客さんだよ」

「え?私に?」

彼女は手を休めて、キッチンから玄関をのぞくと、そこには黒髪でスーツを着込んだ若い男が立っていた。


「…浩介…くん?」

男は博子を見るなり、ホッとしたような笑顔を浮かべた。

「どうぞあがってください」

達也はそう言って促すと、スリッパを出す。

「引っ越しの準備で、かなり散らかってますけど」


慌てた博子はとりあえず彼が座れるように、リビングの段ボールを端に寄せる。

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