はぐれ雲。
「あの、博子さん。どうして俺がコーヒー苦手だって?」

「それはね」

人差し指を立てて、彼女は言った。

「夏に駅前の喫茶店で話したことあったじゃない。ほら、橘さんとここの官舎まで押しかけてきた時よ。その時、勝手に私がアイスコーヒーを頼んだら苦笑いしたでしょ?それに一口も飲まなかったから」

「そうっすかー。さすが、刑事の奥さんっすね」

ふふっと彼女は得意げに笑ってみせた。


浩介もケタケタと笑っていたが、ふっと真顔になってこう言った。

「…博子さん、元気そうでよかった。旦那さんもいい人そうだし。本当によかった…」

そして、ダイニングテーブルの上に置かれた幾つものガムテープに目をやった。

達也は気を遣って席を外してくれた、それは博子も浩介もわかっていた。


「引っ越しって、どこに行くんすか?」

「田舎の駐在所よ、山間部の村のね」

「…そっか。旦那さん、刑事…やめるんですよね」

「…うん」

二人はテーブルに目を落とした。


「それより浩介君はどうしたの、その格好。見違えちゃったわね」

彼ははにかんだ笑顔を見せると、鼻の頭をかいた。

「俺、組抜けてきたんです。整備士になろうと思って、四月から学校に行くんすよ。
今からじゃ遅いかもしんねぇけど」

「そうなの!すごいじゃない!絶対に遅くなんてない。かっこいいと思うわ。うらやましい、夢があって」

向けられた満面の博子の笑みが、今の彼には何よりの励ましに思えて嬉しかった。
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