はぐれ雲。
「本当にありがとうございました。突然お邪魔してしまったのにいろいろと…」

博子は憲一と由美に頭を下げた。

「いえ、こちらこそお引止めしてしまって」

「あなた、駅までお送りしたら?」

由美が憲一のセーターの裾をチョンチョンと軽く引っ張って、小声でそう言う。

「そうだな」

「あ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます。実はこの辺りを少し歩いてみようと思いまして…」

笑顔でそう言うと、博子はもう一度お辞儀をした。

「あ、葉山さん。でしたら…」

憲一はそう言って、ある方向を指差した。



静かな町の真ん中を、決して大きいとは言えない川が、貫くように流れる。

まだ雪が残る土手に、博子は一人あがった。

憲一が教えてくれたのだ。

「亮二が好きだった場所があります」と。

それがここ。

よくここの土手の斜面に腰かけて、川の流れを見ていたという。

大きな木の根元が彼の「指定席」だった、そうも教えてくれた。

風の冷たさを感じて、紺色のショールを顔近くに引き寄せると、辺りを見回す。

その木はすぐにわかった。

枯草を踏みしめて、近寄った。

今はその張り巡らせた枝には何もないが、これからどんどん新しい芽が生まれて葉を広げていくと、まるで小さな隠れ家のようになるに違いない。

ここで、彼は何を思っていたのか…

居心地の悪い家での生活の中、暴力に耐えながら、母と兄を思い…

そして…ひとりで

たったひとりで生きていく決心をして…


そっと幹にふれてみる。

<あなたはここで彼を見ていたんでしょ?
彼…どんな顔してた?
あなたが枝が、葉が、彼の涙を隠してくれてたの?>


博子は目を細めて、突き抜けるような青い空に向かって佇む木を見上げた。

今はただただ、川の流れる音しか聞こえない。




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