はぐれ雲。
病院で治療を受けていた容疑者である妻から、事情を聞いていた捜査員が署に帰ってきた。

終始淡々と殺害状況を語っていた彼女は、動機については声をあげて泣き出したという。

「あんな夫でしたけど、私は好きで好きで仕方なかったんです。仕事もしなくてもいい、私のそばにさえいてくれればよかったんです。でも他の女のところに入り浸るようになって…許せなかった。いっそあの人をとられるくらいなら、一緒に死のうと思いました」

それを聞いた達也は、やるせない気持ちになった。

「どないしたんや、そんな顔して」
桜井がのぞきこんだ。

「いえ、今回の事件、自分と歳が違わない夫婦が被害者と加害者になったものですから」

「そんだけいろんな夫婦がおって、いろんな愛っちゅうんかな、そんなんがあるんやろな。まあ、殺したいほど好きって言うても、ほんまに殺さんのが人間の理性やけどな」

達也は思った。

<博子はどうなんだろう>と。

自分はここまで激しく愛を求められたことが、ない。

彼女はいつも穏やかで、忙しい自分に文句も言わず尽くしてくれる。
どんなに夜遅く帰ろうとも、どんなに早く家をでようとも、必ず起きてねぎらってくれる。

これも彼女なりの愛なんだと思っていた。

でも達也には物足りない。

もし仮に今回の事件のように自分に愛人ができたとしても、殺したいくらい憎むだろうか、怒り狂うだろうか。

いや、きっとない。
逆に自ら身をひいてしまう…

そう思えてならなかった。

彼女の自分への愛に自信がなかった。


その不安は恋人同士だった頃から感じていた。

博子自身もおそらく気付いていないだろう。

彼女の心の奥には常に誰かがいた。

一緒に歩いていても、食事をしていても、この腕に抱いているときでさえも。

だから早く彼女と結婚してしまいたかった。

その「誰か」が突然現れて、彼女を連れ去ってしまう前に。


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