はぐれ雲。
すでに日付は変わっていた。

達也は3階の部屋の窓を見上げるが、当然電気はついていない。

鉄のドアがいつもより重たく感じられた。

寝室をのぞくと、博子はこちらに背を向けて眠っている。

達也は小さくため息をつくと、黒いスーツを脱ぎハンガーにかけた。

今朝、博子が選んでくれたものだった。
「じゃあ、今日6時にね」
とネクタイの結び目を調えてくれたのに、まさかこんなことになるとは。

シャワーを浴び、バスルームから出てくると、キッチンに明かりがついていた。

「…博子」

「お茶漬けでも食べる?」

やかんを火にかけながら淡々とした声で彼女は言うが、顔を見せてくれない。

「あ…いや。今日はいいよ」

「そう。じゃあ、私は先に休むわ、おやすみなさい」

ガスを消すと、博子は寝室に向おうとした。

しかし達也がその彼女の行く手を阻むかのように、強く抱きしめる。

「ごめん、博子」

「…いいのよ。達也さんが悪いんじゃないんだから。気にしないで」

寂しそうにそう言うと、そっと達也の胸から離れた。

「博子」

達也は再び彼女を引き寄せると、強引にキスをした。そして抗う白い首筋へと唇を這わせる。

怖かった。

この華奢な体に羽が突然生えてきて、飛び立ってしまいそうで。

「いやっ」

博子は身を翻した。

そして呆然とする達也に、低く震える声で言った。

「ごめんなさい。私、今日はそういう気分になれなくて。本当にごめんなさい」

彼は目をそらした。
何もかも自分のせいなのだ、そう思って。

「いや、いいんだ。約束を破っておいてこんなこと…。俺が無神経だった。ごめん」


博子はいつまでたっても眠れなかった。

達也を拒んだ罪悪感もあったが、何よりもあの街で出逢ってしまった彼のことを考えて…

眠れそうになかった…



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