AKANE
 しかしアザエルはもう一つの事実を話そうとはしなかった。
 クロウ王が城を抜け出し、フェルデンを追ってきたことを。そして、それを阻止する為にアザエルがユリウスを手に掛けようとしたことを。
  明かしてしまえば、それでなくとも不安定なフェルデンの心を掻き乱し、たちまちこの青年の冷静さを断ち切ってしまうだろうことは安易に予想できた。
 フェルデンは朱音を奪ったアザエルをひどく憎んでいた。しかし、それと同じく朱音の命と引き換えに覚醒したクロウをも憎んでいた。
 まだ記憶と力の戻らないクロウ王は強がってはいても、自らを守る術を知らない。ましてや、今のクロウ王は朱音の記憶のみで動いている。
 フェルデンが自らを殺そうとするならば、クロウ王は喜んで慕う者の為にその命を差し出すだろう。
 ユリウスとアザエルはあの夜以来一度も言葉を交わしてはいないが、ユリウスも恐らくは同じことを案じ、敢えてフェルデンにその事実を伏せているようであった。
「船の上は陸地と違い逃げ場はない。念の為忠告しておくが、ここでは安心して眠ろうなどと考えない方がいい」
 掴んでいたアザエルの肩から手を離し立ち上がると、フェルデンはじっと目を細めて碧髪の男を見下ろした。 
 このところ碌に睡眠をとっていないのだろう、アザエルの眼の下はうっすらと黒ずんでいた。
「いっそのこと、今ここで私を殺してしまうというのはどうだ? そうすれば厄介事を片付けることもできる」
 皮肉を込めた笑みを口元に浮かべ、アザエルは麗しい長い髪を掻き揚げた。
「罪人を手にかけて自分の手を汚したくは無い。それに、俺はヴィクトル陛下を裏切るような真似はしない。そう思うならば自分で自分の首を掻っ切ったらどうだ?」
 踵を返すと、フェルデンは剣を鞘に納めその場を後にした。
「・・・はっ・・・、このわたしが自ら殺られてやると申し出ているというのに。もうこんな好機は二度と巡っては来ぬかもしれんぞ。後悔するな、フェルデン・フォン・ヴォルティーユ」
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