AKANE
 ただの一度だって座禅など組んだことはなかったけれど、父が放っていたぴんと張り詰めた独特の空気は肌で覚えている。
 そして今、やっと父の言おうとしていたことがわかるような気がした。
 
 吹き付ける風の唸り。
 波が岩をこする音。
 雨粒の一粒一粒が海に落ち、風に当たり、飛ばされる音。
 そして朱音自身の呼吸の音・・・。
 
 その全てがまるで別録りしたように鮮明に耳に届いてくる。
 心臓の刻むリズムが、大自然の中の一部と化したように心地よく響いてくる。
 朱音は空気と一体になっていた。
 
 急に冷え切っていた筈の身体の奥底から温かさが沸き起こり、えも言われぬ感動に朱音はゆっくりと瞼を開いた。
 もう一度ゆっくりとアザエルの手枷に手をかざし、心で強く念じる。
『カッ』
 固い手枷がいとも簡単にアザエルの手首から外れると、と音を立てて岩の上に転がった。
「は・・・外れた・・・」
 安心した途端、今まで感じていた暖かかく心地よい感覚は急に消え去り朱音はひどい眠気を覚えた。
 不思議なことに、海の中からシャボンのような小さな水の玉がふわりと浮き上がり、アザエルの身体に次々に吸い込まれていく。
「手枷が外れたことで彼を守護する水の力が、彼の僅かな魔力に共鳴して引き合っているのです。後は回復を待つしかありません」
 その声を聞きながら、朱音はそのままぱたりと意識を手放した。
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