AKANE
 愚かな母は、あまりに無知であった。
 国政や人間の闇を知らないベリアルは、ブラントミュラー公爵の口約束にまんまと乗せられてしまったのだ。
「母上、それはきっとブラントミュラー公爵・・・、いえ、サンタシの策略です。母上はきっと利用され、騙されたのです・・・」
 憎らしげに、ベリアルはクロウの顔を見つめた。愛する夫、ルシファー王を生き映したかの容貌。
 しかし、確かにその黒曜石の瞳の中に、ルシファーがこの世でただ一人愛した女の存在をはっきりと彷彿させた。その母子は一見あまり似ていないせいか、他の者が決して気付くことは無い。しかし、ベリアルだけはクロウがその女とよく似ていると感じて止まなかった。何もかもを見透かしたような目や、魔王ルシファーの期待を一身に受けるその姿が、クロウの実の母である女とひどく似通っていた。
「お前はわたくしが馬鹿で愚かだと、そう言いたいの・・・!?」
 怒りで華奢な肩を震わせる可憐な王妃は、ぎっとクロウを睨み見た。
「ベリアル王妃・・・、ここに長居はできません。早く脱出致しましょう。城外で馬車を待たせてあります・・・!」
 後ろを気にした様子で、傍にいた近衛兵が焦って口を挟む。
「うるさく言わなくたってわかっていますわ! さあ、お前もさっさと薬を飲んでおしまいなさいな」
 クロウが手にしていた瓶の硝子の蓋を、まどろっこしそうに抜き払うと、その瓶をクロウの胸に圧し付けた。
 瓶の中身は薄い桃色の、とろりとした液体であった。蓋を開けた途端鼻をくすぐる甘ずっぱい香り。それは父が好んで口にする“ルト”という赤い実の酒の香りによく似ていた。
 しかし、その香りの中に、決して混じってはいけないものが含まれていることに、クロウは気付いてしまったのだ。
「母上・・・、まさか、これを父上に飲ませたのですか・・・?」
 真っ青になりながら、クロウは愚かで美しい母の目をじっと見つめた。
「ええ、陛下の魔力を失くす薬です。ブラントミュラー公爵が長年をかけて開発した特別なもの」
 クロウは瓶をぎゅっと握り締めると、近くの窓を乱暴に開けてそこから瓶を外へ投げ捨てた。
「なんてことをするの!?」
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