AKANE
 暫しの沈黙の後、アザエルは静かに口を開いた。
「ええ。わたしを動かすことができるのは、クロウ陛下、あなただけです」
 朱音はゆっくりと立ち上がり、そろりそろりと美しい碧髪の男に近付き、彼を見上げた。
「じゃあ、命令するよ。アザエル、わたしが戻るまで、ヴィクトル陛下をお守りして。これは、ゴーディアの王としての命令だよ」
 驚きのあまり、ディートハルトとヴィクトル王ははっと息を飲んだ。
 それを聞いた途端、アザエルは朱音の前に跪(ひざまず)くと、美しい微笑を浮かべ答えた。
「陛下の御心のままに」



「もう、あまり時間が無い・・・」
 ディートハルトの走らせる馬の上で、そう言った朱音の横顔は、ひどく儚いものだった。
「大丈夫、フェルデン殿下はそうヤワではない。このわたしが認めるに足る男です」
 ディートハルトはこの少年王が、なぜか消えて無くなるのではないかと心配になった。
 しかし、その直感は、きっと正しかった。
 朱音自身、だんだん鮮明に思い出されるクロウの記憶とともに、“朱音”としての人格が少しずつ小さくなり、代わりに“クロウ”としての人格が身体を支配し始めていることに気付いていた。
(きっと、もうすぐ“朱音”は消えてしまう・・・。朱音として彼に会えるチャンスは、これで最後になるかもしれない・・・)
 朱音は、朱音としての人格が消滅してしまう恐怖を感じ始めていた。きっと、今感じている、フェルデンを一人の少女として愛していたことも、人格が失われたときにはすっかり消えてしまうのだろう。
「もう・・・、わたしには時間が無い・・・」
 
 小さく呟いたその声は、馬の蹄の音に掻き消され、ディートハルトの耳には届くことはなかった。




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