ラフ
「信じたい気持ちもあったけど、不安とか、恐怖とか、そんな気持ちの方が強くなって。なんにも考えられんくなって、一瞬、何もかもがどうでもよくなった。家も飛び出した。泉君が、電話をくれたときも、ほんとは出るのをためらった。でも、違うって、泉君が否定してくれるかもしれんって、そう思って電話にでたら、信じてるって言うてくれた。それから、信じてくれへんの?って言われて、はっと気づいた」

ふぅ、と深呼吸をひとつした奈緒は続けた。

「私も、泉君を疑ってたって。信じてるって気持ちより、疑ってる気持ちのほうが大きくなってるって。でも、会うのは怖かった。でも、断っても泉君は会いたいって言うてくれた」

ふっと、奈緒は顔を上げて、まっすぐに目を見つめて言った。

「疑ったりして、ごめんなさい。私も、泉君がいないとだめやから、そばにいてほしい」

その言葉に、涙が止まらなくなった。
男の癖に、泣くなんて。そう思ったけど、とまらなかった。

「俺、他の子と、キスしてしもた。それでも許してくれる?」

そういった泉の目を、じっと見つめたあと、奈緒は俯いて、首を横にふった。

「・・・だめ」

不安が一瞬、胸をよぎった。

「・・・キス・・・して・・・・」

小さく、奈緒がつぶやいた。

「え?」

「キス、してほしい」

真っ赤な顔で、少し、目に涙をためながら、上目遣いにそう言ってくる。

「その人のこと、忘れるくらいに」

そう言うと、そっと目を瞑った。
緊張で、心臓が張り裂けるかと思った。
俺は、そっと、奈緒の唇に、自分の唇を重ねた。

やわらかい感触。
いとしくて、いとしくてたまらない人が、今、目の前にいる。
他の誰にも渡さない。俺だけの、大切な人。

そっと唇を離して、名前を呼んだ。

「奈緒」

「・・・要」

いとしい人は、優しく微笑んで、俺の名前を囁いてくれた。
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