モラトリアムを抱きしめて
『――じゃあそろそろ行こうかな、元気そうだし』

電話口からはザワザワと人の音が絶えず聞こえていた。そのさらに後にアナウンスらしき声。

よくもまあ、そんな場所で冷静な声が出せるものだ、と私は感心すらしていた。

「ええ、心配しないで平気よ。 大丈夫だから」

『――ふ、ははは』

少しの間を置いて、夫は笑いだした。同時に脳裏に焼き付いている、いつもの夫の笑顔が自然に浮かぶ。

「何?何が可笑しいの?」

『少しは心配させてくれよ』

夫の口癖である。私も故意ではないがそう言わせる癖があるのだけれど。

そんな癖も、笑い飛ばしてくれる夫に私は心から感謝していた。

「うふふ、じゃあ気をつけてね」

『おいおい、少しは心配してくれよ――』

二人で笑いあって電話を切った。



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