モラトリアムを抱きしめて
その先に、あるはずもない竜宮城を映していたからだろうか――


「里帰りか何かで?」

「え、ええ」

静かな車内で突然話し掛けられたものだから、言葉につまってしまった。

バックミラー越しにこちらを覗く運転手と一瞬目が合ったが、彼はすぐに前を向いた。

一瞬だったが、何か怪しまれているような。そんな気がした。

無理もない。こんな夜更けに里帰りだなんて。

「いい所ですよね」

気まずい沈黙を破るかのように、あまり間をあけずに運転手は続けた。

「大きい道路がないせいか静かだし……何より海がある」

「……」

返事をしない私をよそに運転手の話は続き、「老後はあんな街に住みたいな」とどこか嬉しそうに話している。


私はもうあんな街には住みたくない。


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