薄桃の景色に、シルエット。
片隅の残響


 彼はその部屋の隅で膝を抱えていた。

 定位置であるそこに小さく背中を丸めて、額をぴったりと膝小僧にくっつけて。

 窮屈な部屋は、彼にはちょうど良いように見えた。

 耳に掛けたヘッドホンから漏れる音はついに部屋から出られず、容易く消えてしまう。

 どのくらいそうしているのか。指を折ってみたところで、数えられるだろうか。

 もう随分と長い時間が経っている。

 窓にはカーテンが掛かったまま。このカーテンは長いこと開けられていない。休みなし、正に年中無休で働き詰め。

 しかし彼には、そんな事は関係ないのかもしれない。

 そろそろ腰が痛くなる頃ではないだろうか。いや、既に痛くなる頃は過ぎているはず。

 もう腰を上げなくては、彼はずっとそのままで居るだろう。


『外へ行かないかい? 朝日に当たってごらんよ、きっと気持ちが良くなる』


 そんな声も、彼には届かない。

 一体、どうすれば彼はその重い腰を上げるのだろう。


 彼を縛りつけているモノは何だ?

 ……その、耳のヘッドホンかい?


 漏れる音楽はぐるぐると室内に渦を巻く。行き場がないのは彼と同じよう。


『私はいつまでも、いつでも君に語りかけよう。声を上げよう。君が私に、気づくまで』


 届くはずもない言葉。

 もう声すらも音楽の渦に巻き込まれ始める。

 全ての事は変わりゆく。それは変わらない摂理。そうだろう?

 よく言うだろう、世は無常と。


『まずはその顔を上げよう。全てはそれからでいい』


 やはり届きはしない語り。

 いいや、まだ諦めてはいけない。諦めたくはない。

 彼にはまだ希望がある。視えるんだ、心のどこかにあるだろう光が。
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