ボーカロイドお雪
「ああら、その道に実年齢は関係ないかもよ。わたしの方が経験豊富だったりするかもねぇ。いいからもっと色気出しなさいよ。わたしはコンピュータープログラムだからこれ以上年は取らないけど、花の命は短くて、って昔から言うでしょ」
『やはり野に置けレンゲソウ、っていうのもあったわよね?あんた、あたしが帰って来るまで近所の空き地に野ざらしにしてやろうか?』
 そんないつものやり取りを終えて、身支度も済んで、あたしはパソコンをパタンと閉じてまだ四の五の言っているお雪の声をシャットアウトした。そして肩掛けバッグを持って家を出た。
 大通りのバス停へ着くと、もう猛さんが先にいてあたしを待っていてくれた。彼のフルネームは森本猛。
 原因はよく分からないが、生まれつき聴覚が全く効かない、つまり耳が全く聞こえない人で、それでも頭はあたしなんかよりはるかにいいらしい。聴覚障害者のための学校を去年優秀な成績で卒業して、今はあのまりちゃんと言う女の子のお父さんが経営している小さな工場で働いている。
 これから二人であたしたちも県の県庁所在地の市にある市民館で毎週末に開かれている手話教室へ行くところ。
 猛さんは日常会話レベルの手話はマスターしているけど、あたしに付き合ってもっと上級の手話を習いに一緒に通ってくれている。あたしは初心者の上になんせ頭が悪いから、なかなか手話が上達しない。
 まあ複雑な話になればPDAを使えばいいのだけれど、やはり文字を打ち込む時間がかかるのでちょっとまだるっこしい。障害のない人たちと同じスピードでコミュニケーションするにはやはり手話の方がいい。
 一方猛さんは意外に機械オンチでなかなかPDAを使いこなせないでいる。だからこっちの方はあたしの方が先生役。猛さんはあたしに手話を教え、あたしは猛さんにPDAやパソコンの使い方を教える。
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