真昼の月
あのとき 寒い冬の夕方、母は父に寝室に閉じ込められて、殴られていた。
人を殴る鈍い音が聞こえていた。不思議な事に母は声を出さなかった。不気味な沈黙のなか、それは延々と続いた。すごく長い時間だったような気もするし、ほんの小一時間くらいだったのかもしれない。
 
あたしはそのとき、小学校6年生だったからちゃんと近所に助けも呼べたし、警察への電話の掛け方だって知っていたんだから、父親を警察に引き渡すくらい簡単にできたはずだ。

それができなかったのは、怖かったからだ。
家族から引き離されてしまう怖さが先に立って動けなかった。小学生が家族を失ったら生きていく場所なんてどこにもない。

 ずっと家の台所の隅で丸くなっていた。
包丁を新聞紙で包んでセーターの中に隠した。
それから、自分の部屋に行き、部屋の天井裏に新聞紙に包んだままの包丁を隠した。
 ヒーターもつけないで、ベッドにもぐったままひっそりと息を殺し、そのまま眠ってしまった。

翌日、学校から家に帰ると母の荷物は既になかった。

 父は目を血走らせて母親の行方を探したが遂に徒労に終わり、行方が判明するかわりに数ヶ月経って離婚届が郵送されてきた。
そのまま 母親は二度と、自分がかつて存在したこと家族に知らせるようなことはしなかった。
 
< 3 / 60 >

この作品をシェア

pagetop