天体観測
手のなかにある便利な機械から、反応はない。僕の耳には相手をコールする音だけしか聞こえない。僕の左の頬はまだ痛みと熱がある。ビンタの痛みというのはこれほど尾を引くものだったろうか。

僕は電話を切って、「まだ怒ってんのかよ」と窓の外に向かって言った。でも、ただ虚しいだけで、世界と僕とが完全に分離したような気がする。

僕は、もう一度、最後の望みを賭けて、電話をかけた。これで出なければ、隆弘の弔いどころの話じゃない。

恵美は五回コール目で、明らかに怒った様子で電話に出た。

「何か用?」

「ごめん。悪かった」

「あらあら、私は何も怒っておりませんことよ?勘違いせんといて」

「どうしたらいいんだよ」

少し黙って、恵美は電話越しにわかるくらい恥ずかしそうに、言った

「今度同じ状況になったらちゃんとして。それを約束してくれたらいいよ。許してあげる」

返事が出来ない僕に、恵美は何を言うでなく、ただ待っていた。この沈黙は僕にとって痛みを伴うものだった。

「それは無理だな。」

「は?何で?同じことの繰り返しやん。司は私に恥をかかせる気?」

「そんなことないけど、俺にはそんな勇気がないんだ。女の子と話すことすら、恵美としか出来ないんだ。そんな俺に、これ以上のこと、出来ると思うか?」

「嘘つき。知ってんねんから、三年なるまで一組の広芝さんと付き合ってたの。だいたいどこまでやったかも」

「隠してたわけじゃないんだ。結果的に隠してたようになっただけのことさ」

「広芝さんは結構べらべらと言いふらしてたけどね」

それを聞いた僕は、頭の中で広芝涼子に悪態をついた。秘密にしようと言ったのは僕じゃない。広芝自身じゃないか。

「まあいいや。こんなこで怒っても、無駄に白髪としわが増えるだけや」

「そうだ。それがいい」

「ところで、司くん。君、明日は暇かい?」

僕には悪い予感しかしなかった。でも、僕は変なところが優しくて、恵美はただでさえ強引なのだ。その上、状況は明らかに不利に働いている。

僕は恵美に従うことにした。それしか手段がないわけじゃないけれど、恵美を怒らせることは極力したくない。

「暇だよ」

「よし。明日村岡くんと紗織と、箕面の滝に行くから車、出してね」
< 34 / 206 >

この作品をシェア

pagetop