天体観測
「何これ……おいしい」

恵美がそう言うのには、コーヒーを口に入れてから、たっぷり一分はあった。

「いくらだと思う?」

僕は半分以上笑いだしていた。やはり恵美が後手に回るのはおもしろい。

「ん……じゃあ七百円」

「その半分」

恵美はちらっとグラスを磨いているマスターを見て、僕を見た。

「ホンマに?」

「あの人が、嘘を言ってないかぎりね」

「商売下手やな」

「俺もそう思う」

恵美はケタケタと笑って、おかわりをもらうためにマスターのところに行き、また談笑しはじめた。

一人になった僕は、何もすることがなくて、窓の外を見ているしかなかった。雨は終息に近づいていて、滝で浴びたような霧雨が降っている。

雨がっぱを着た子供が泣きながら母親について歩いている。傘をさしたサラリーマンが車に水をかけられて、ひどく怒っている。

ああ、世界はなんて平和なんだ。すぐ近くの病院ではたった十五歳の少年が今にも死にそうになっているのに、泣いている子供や怒っているサラリーマンはそのことを知らない。僕と恵美が雨の中、現場検証をしたことだって当然知らない。

世界はうまく回っている。僕らを置いて。
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