ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
12 ひそかな逢瀬の、覗き方
     ☆☆☆☆☆



だけど、奇しくも柚木クンの
様子がおかしかった理由は、
その数日後に知れることに
なった。



その日の朝礼で、
大竹課長が報告した。

今日は以前説明した事業
提携の件で、ホワイト・
マリッジの幹部数名がうちの
オフィスを訪れるらしい。


ひとつ下の階にある会議室で
話し合いが行われるけれど、
オフィスに見学にくる
可能性もあるから心づもりを
しておくように、とのこと
だった。


_それを聞いて、数人の社員は
『ちょっと緊張するね~』
なんて話してた。

自分達の働きぶりで今の
この会社の実情を判断・批評
されるってことだから、
わからないでもない。


……でも、あたしが見る
限り、柚木クンはいたって
普段通りだったと思う。


“普段”通りの、すまして
感情をカケラも見せない、
会社での顔。


だからあたしは、たいして
気にもとめてなかった。


このビルの一階で、あんな
光景を見るまでは――…。







_


今日もそこそこのアポが
入ってて慌ただしく一日を
過ごすなか、1時を過ぎた
頃に、本当にホワイト・
マリッジの幹部らしい人達が
オフィスを訪ねてきた。


課長よりお偉いの部長に
案内されて入って来る、
数名の男女。


席についてた者はまず最初に
大きく『お疲れ様です』と
挨拶する。


その後一行は話をしながら
中に進んできたから、傍を
通った時には、もう一度
会釈をした。


でもそれだけで、あたし達に
直接の紹介があるわけでもない。


見学はものの十数分で終わり、
あたしが気づいたのは、
どうやら唯一の女の人が
社長で、幹部とはいえ全体的に
歳が若いっていうことくらい。


_全員、きっとまだ30代半ば
から40代初頭って感じだ。


急成長した会社だとは
聞いてたけど、本当に
あんなに若い人達で作り
あげた会社なんだ。


今さらながらすごいな、と
そんなことを考えて、
あたしは彼らを見送った。


そして一日が終わり、
退社の時間。


あたしはチーム員の最後の
接客を見守ってて残業になり、
一人でオフィスを出た。


エレベーターで一階におり、
外の寒さを考えて首を
縮めながら、出口へ
向かって進み始めた時。


あたしは思いがけぬ光景を
目にした気がして、ハタと
足を止めてしまう。


(え―――あの人――…?)


_そこは、正面ロビーの
左側になる所。

角を利用して数セットの
丸テーブルと椅子が
置かれてる、ごく簡易的な
談話スペース。


実際こんな所で仕事の話し
合いをする人はいないけど、
待ち合わせ場所としては
重宝してる空間だ。


――そこであたしは、
見覚えある人の姿を見つけた。


というか、今さら見間違い
ようもない。
遠目に見てもわかって
しまう、柚木クンの姿を。


でも……彼と話をしている
らしい、もう一人の相手が、
ちょっと信じられなかった。


スーツの上から高そうな
毛皮のコートを羽織ってる
から雰囲気は少し変わってる
けど、こっちも多分
見間違いじゃない。

だって、今日見たばかりの
顔だから。


_(あの人、ホワイト・マリッジの
社長じゃないの……?)


見学の後はもう一度会議室に
戻ったようで、いつ頃話し
合いを終えたのかは知らない。

でもまさか、こんな時間
まで残ってるとは思わなかった。


いや……それ以前に、なんで
ホワイト・マリッジの社長と
柚木クンが話をしてるの?


たまたま一階で顔を合わせて、
ピュアスプリングの社員
だと気づいて、社長が声を
かけたとかだろうか?


でも、柚木クンはたしか
7時半頃にはオフィスを
出たはず。

それからもう、一時間近く
経ってる。


ちょっと顔を合わせた
くらいで、そんなに長い
時間話をするとは思えない……。


_それに――違和感は、
もうひとつあった。


(柚木クン、笑ってる……)


――そう。

あの、会社では営業スマイル
以外は滅多に見せない彼が、
時々小さな笑いを
こぼしながら話してる。

遠目に見ても、それに気づいた。


相手が相手だから、あれも
営業スマイルなんだろうか?

でも柚木クンは、課長や
たまに激励でオフィスに
やって来るうちの社長に
だって、態度を変えた
ことなんてない――。


(どうして………?)


胸の中で、ざわざわと
何かが揺らめいた。


雨の前の暗い草原で風に
揺らされる草のように、
心が落ち着きなく乱れる。


_(あ―――…)


エレベーター前から少し
歩いた辺りに立ち尽くした
ままジッと見ていたら、
柚木クンが急に背中を向けた。


もちろんあたしにという
わけじゃない。

何だか、向かい合って
話してたホワイト・マリッジ
社長を振り切るように背を
向け、ガラス張りの壁から
外に目をやったような感じだ。


柚木クンはそのままツカツカと
壁際まで歩き、社長も
それを追いかける。

……二人ともが、あたしに
背中を向ける形になった。


「……………!」


どうしよう。

――こんなこと、本当は
よくないってわかってる。


_でも、気になる。


それに柚木クンがピュア
スプリングの社員という
立場で彼女と話をしてる
かもしれないなら、あたしが
声をかけるのは別に
おかしいことじゃない。


(少しだけ………)


あたしは言い訳のように
内心でつぶやいて、そっと
足を踏み出した。


大きな足音をたてない
ように注意しながら、
ゆっくりと談話スペースに
近づく。


そこには、休憩か待ち合わせか、
他にも数人の人がいる。


彼らの陰にまぎれながら、
少しずつ、柚木クン達の
声が漏れ聞こえる距離に
まで――…。



_「――からそれは、蘭子
(ランコ)さんの思い込みだって」


珍しく柚木クンが大きな
声を出したせいで、まだ
距離は開いているけれど、
その部分だけハッキリと
聞こえた。


(“蘭子さん”――…?)


あたしには聞き覚えのない名前。


「……って言ってるでしょ?

……だなんて、そんな
つもりはないよ――…」


声のトーンはすぐに戻されて
しまい、次のセリフは途切れ
途切れにしか聞こえない。


もどかしいけれど――でも、
隠れる場所もないここで、
これ以上近づいたらきっと
気づかれてしまう。


_あたしは二人から2メートル
ほど距離をとった所で、
そっと壁際に寄って、
かすかに聞こえる声に
耳を澄ませた。


「あなたが………わかったわ。

だけど、どうして私を……」


「だからオレは………。

蘭子さんだって………」


(ダメだ。全然聞こえない……)


――だけどそれでも、
雰囲気からわかったこと。


もう明らかだ。


この空気は、単なる仕事上の
会話なんかじゃない。


どういう関係かわからない
けれど……二人は以前から、
知り合いなんだ。


(柚木クンが蘭子さんって
呼んでるのが……社長なの
……?)


_二人の様子からして、それは
きっと間違いじゃない気がする。


だけどもちろん、あたしは
柚木クンからそんな話を
聞いたことはなかった。


というか、事業提携や
ホワイト・マリッジに
ついてを、特に話題にした
こともない。


会社でもそうだし、家で
だって彼は、そんなこと
たいして気にも止めてない
ようだったのに。



だけど―――…


(あ…………!)


――今になって思い出した。


そう言えば数日前、柚木
クンの仕事中の様子が、
何だかおかしいと思った日。


あれは、課長からホワイト・
マリッジとの事業提携が
発表された後のことだった。


_発表の直後、何か別のこと
でも考えてるかのように
自分の席でボーッとしてて――

結局その日一日、どうも
いつものキレがないようだった。


(もしかしてあれは、
このせい――…!?)


ホワイトマリッジの社長が
“蘭子さん”であると、
知ってたから。


だから何らかの理由で、
提携の事実に気をとられて
たってこと――?



……いつの間にか、鼓動が
速くなって体全体に響いてる。


バッグの柄をグッと握りしめて、
緊張に身を強張らせながら
二人の背中を凝視していた。


_そんなあたしの耳に、
なぜか“蘭子さん”のその
言葉だけが、途切れること
なくハッキリと届く。


「……戻ってきなさいよ、瞬也」


(―――――っ!!)


その声に、柚木クン以上に
ギクリと硬直するあたしがいた。



……どうして? 

なぜ、あたしがギクリと
しなきゃいけないのよ?


そう思う反面、さらに
汗ばむ掌をしっかりと
感じてしまう。


彼女が柚木クンを“瞬也”
と呼んだ声が……頭の中で、
妙にリアルにエコーする……。



……あたしは完全に、
動揺してた。


そして今の自分の状況も
忘れ、警戒すらするのを
なおざりにしていて。


_「―――――っ!!」



今まで、少しも背後の
蘭子さんを見ようともせず、
ずっとガラスの向こうの
風景に顔を向けていた
柚木クンが。


「美咲――…!」


―――唐突に振り返り……
そして蘭子さんの肩越しに
あたしに気づいて、目を見張る。


「あ………!」


どうしよう。見られてしまった。


立ち聞きしてたことに――
気づかれた――?



とっさに表情を取り繕って、
今歩いてきたような顔を
すればいい。


部下が提携企業の社長と
話してるのを見て、どう
したのかと声をかけにきた。

そういうことにすればいいと、
思ってたはず。


_内心ではそう思ってるのに――
なぜかあたしには、それが
できなかった。


強張る表情を変えることも
できず、喉はカラカラに
渇いていて、ごまかす言葉の
ひとつすら出てこない。


「……………っ」


結局、気づくとあたしは
クルリと背中を向け、
逃げるようにその場から
走り出していた。


「待てよ、美咲!」


呼び止める柚木クンの声が
耳に届いたけれど、それを
振り切るように、エントランス
から外へと飛び出した――…。





     ☆☆☆☆☆


_     ☆☆☆☆☆



―――無意味なことをした。

つくづくそう思って
ため息が漏れる。


いや……無意味というより、
はっきり言って逆効果。
もちろんそれもわかってる。


あんなふうに逃げたせいで、
きっともうあたしが二人の
会話を聞いていたことは
感づかれてるだろうし、

そして逃げたところで、
柚木クンと顔を合わさない
わけにはいかないのに。


(……帰って……くるのかな)


時計の針はまもなく12時を
指そうとしてる。


もしかしたら、今夜は
帰ってこないかもしれない。


_『戻ってきなさいよ、瞬也』


親しげに紡がれたあの言葉。


それはつまり――以前は
あの人のもとに、柚木クンが
いたってこと。


(本当に――あの人の所へ
戻るとか――…?)


……今さら驚くことでもない。

柚木クンが色んな女の人の
所を渡り歩いてたのは、
前に聞いて知ってたはずだ。

しかも、自分を養って
くれる年上の女の人ばかり。


あの人だって、見た感じ
多分30代後半。しかもその
若さで、有名企業の女社長。


(ピッタリの人物像じゃない。

考えられそうなことだわ……)


_あの人――“蘭子さん”も、
かつての柚木クンの恋人
だったんだ。


そして彼女は、柚木クンに
戻って来てほしいと思ってる。


「……いいじゃない。それで」


低い声でポソリと呟いた。


柚木クンが自活するわけ
じゃないのは多少ムカつく
けど、それでもここを出て
行ってくれることには
かわりない。


それなら、あたしには
願ってもないことだ。

喜んですらいいはずなのに。


「どうして――…」



……あたしの心は、これっ
ぽっちも弾んではいない。


それどころか、灰色の霧で
覆われてしまったかのように、
不鮮明で、どこか寒くて……。


_――どうしてあたしが、
こんな気持ちになるのよ?


自分自身にそう問いかけた時、
遠くで音がした。


あたしは弾かれたように
肩を震わせる。


音は玄関から。

――鍵を開け、ドアノブを
回す音。


(帰ってきた―――!?)


あたしの体は、硬直して
動かなかった。


その間に音の主は靴を脱ぎ、
スリッパの音をたてて短い
廊下をこちらへと近づいてくる。


帰ってこないような気もして、
あたしは最近は柚木クンに
占領されてたリビングの
ソファに座ってた。


なぜかこのままここにいちゃ
いけないような気になって、
ようやく軽く腰を浮かした、
まさにその時――…。


_「あ…………!」


静かにドアが開いた瞬間、
あたしは無意識のうちに
喉から声をもらす。


スーツの上にコートを着て、
マフラーも巻いてる柚木
クンは、無表情であたしを
見て言った。


「ただいま。

……何、変なカッコしてんの?」


「えっ!? あ……っ」


ソファからお尻をあげた
中腰のまま固まってたのに
気づき、慌てて背を伸ばした。


柚木クンはようやく口元を
緩めると、そんなあたしを
からかうように、


「美咲の家なのに、キミが
緊張しててどうするんだよ」


_「べ、別に緊張なんて
してないわよっ」


強がりとわかってるけど、
はねつけるようにそう
言い返した。


(だって、気まずいでしょうが。

柚木クンだって、そうじゃ
ないの……?)


――もう、あたしが盗み
聞きしてたことなんて、
とっくに察してるんでしょ?


今夜は彼女と過ごすんじゃ
ないかと、あたしが
勘ぐってたことだって――…。



「……お、遅かったね」


我ながら自分の臆病さが
情けない。


胸の内をハッキリ伝える
度胸もなく、最初に口を
ついたのは、探るような
そんな言葉。


本当はまず、盗み聞きして
ゴメンと謝らなきゃ
いけないのに。


_「うん。ちょっと飲んで
きたから。

ファズは寝た?」


柚木クンはあたしの内心を
知ってか知らずか、マフラーを
はずしながらサラリと
聞いてきた。


「……あ、うん。

餌をあげてしばらくしたら、
すぐ」


部屋の隅に置かれた寝床で
丸くなってるファズに目を
やって、条件反射的に答える。

でも、内心は上の空だった。


(飲んでた? あの人と……?)


それで、別れて帰ってきたの?
夜を過ごさずに。


(それって……どういう
こと……?)


疑惑が胸を渦巻くけれど、
言葉にはできず黙り込んで
いたら。


短い沈黙を破って――
脱いだコートをバサリと
ソファの端にかける音と
共に、柚木クンが言った。

_「言っとくけど、蘭子さんと
飲んでたわけじゃないよ。

あの人とは、あの後すぐに
別れた」


「……………っ!」


ピクッと小さく肩を震わせ、
マジマジと柚木クンの顔を
見てしまう。

まだ眼鏡をかけたままの
瞳と、視線が絡み合った。


「――オレが、今夜はあの
人と寝るって思ってた?」


「……………」


やっぱり、柚木クンは
全部お見通し。


そうだよね。だって彼は、
嫌になるくらい鋭いもの。

今さら取り繕ったって、
きっとそんなのは無意味だ。


「……ゴメン。

ロビーに降りたら、二人が
一緒にいるのが見えて……」


ようやく、あたしは
その言葉を紡ぐ。


_柚木クンはなぜか自虐的に
フッと笑って、


「別にいいよ。

ってゆーか、スルーされたら
されたで、それもシャクだし」


そう言うと、いつものように
慣れた仕草で眼鏡をはずし、
近くのローテーブルに置いた。


「だから場所を変えようって
言ったんだ。

だけど蘭子さんが勢いづいて、
あんな所で話し込むから……」


最後の方は独り言のように、
声を落として呟いていた。


複雑な思いを感じながらも、
あたしは少しだけホッとする。

どうやら柚木クンは、
あたしを責めるつもりは
ないらしい。


_それに、隠そうとする
そぶりや後ろめたさを
感じている様子もない。


――他の女の人との過去も、
あっけらかんとした顔で
話した彼だから。


聞けば、教えてくれるん
だろうか……?


「あの人――ホワイト・
マリッジの社長と、
どういう関係なの?」


思い切って尋ねた声は、
少しだけ張り詰めていた。


柚木クンは片方の眉だけを
あげて、皮肉っぽい笑みを
浮かべると、


「そんな回りくどい聞き方
しないでもいいって。

美咲だって想像ついてるん
でしょ?」


「え―――…」


ドクンと胸が跳ねる。


柚木クンの視線は、まるで
あたしを試そうとしている
ように見えた。


_「昔の……恋人?」


あたし自身がそれを口に
しないと、柚木クンは
答えてくれないように
思えて、かすかに震える
声を紡ぐ。


柚木クンはまっすぐ
あたしを見て、


「だから、“恋人”って
いうとオレには微妙に
ハズレだよ。

前にも言ったろ。
正確には、“飼い主”」


「……………」


どんな言葉を使っても同じだ。


「……彼女にも、“ご奉仕”
してたんだ?」


住む所を与えてもらう代わりに。


「ウン。

役に立たなきゃ申し訳ない
からね」


「――――そう」


やっぱり、思っていた
とおりだった。

そう思ったら、なぜか
ため息がもれた。


_だけどそんなあたしに柚木
クンが続けたのは、想像を
超える予想外の言葉で――…



「彼女が、オレの本当の飼い主。

まぁつまり、親代わりって
ヤツかな」


「え?」


(“親代わり”?

どういうこと―――?)


首をかしげるあたしに、
柚木クンは渇いた笑いを
浮かべて告げた。



「オレは彼女の所有物なんだよ。

――きっと、ずっとね」





     ☆☆☆☆☆


_
< 12 / 23 >

この作品をシェア

pagetop