ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
12 ひそかな逢瀬の、覗き方
☆☆☆☆☆
だけど、奇しくも柚木クンの
様子がおかしかった理由は、
その数日後に知れることに
なった。
その日の朝礼で、
大竹課長が報告した。
今日は以前説明した事業
提携の件で、ホワイト・
マリッジの幹部数名がうちの
オフィスを訪れるらしい。
ひとつ下の階にある会議室で
話し合いが行われるけれど、
オフィスに見学にくる
可能性もあるから心づもりを
しておくように、とのこと
だった。
_それを聞いて、数人の社員は
『ちょっと緊張するね~』
なんて話してた。
自分達の働きぶりで今の
この会社の実情を判断・批評
されるってことだから、
わからないでもない。
……でも、あたしが見る
限り、柚木クンはいたって
普段通りだったと思う。
“普段”通りの、すまして
感情をカケラも見せない、
会社での顔。
だからあたしは、たいして
気にもとめてなかった。
このビルの一階で、あんな
光景を見るまでは――…。
_
今日もそこそこのアポが
入ってて慌ただしく一日を
過ごすなか、1時を過ぎた
頃に、本当にホワイト・
マリッジの幹部らしい人達が
オフィスを訪ねてきた。
課長よりお偉いの部長に
案内されて入って来る、
数名の男女。
席についてた者はまず最初に
大きく『お疲れ様です』と
挨拶する。
その後一行は話をしながら
中に進んできたから、傍を
通った時には、もう一度
会釈をした。
でもそれだけで、あたし達に
直接の紹介があるわけでもない。
見学はものの十数分で終わり、
あたしが気づいたのは、
どうやら唯一の女の人が
社長で、幹部とはいえ全体的に
歳が若いっていうことくらい。
_全員、きっとまだ30代半ば
から40代初頭って感じだ。
急成長した会社だとは
聞いてたけど、本当に
あんなに若い人達で作り
あげた会社なんだ。
今さらながらすごいな、と
そんなことを考えて、
あたしは彼らを見送った。
そして一日が終わり、
退社の時間。
あたしはチーム員の最後の
接客を見守ってて残業になり、
一人でオフィスを出た。
エレベーターで一階におり、
外の寒さを考えて首を
縮めながら、出口へ
向かって進み始めた時。
あたしは思いがけぬ光景を
目にした気がして、ハタと
足を止めてしまう。
(え―――あの人――…?)
_そこは、正面ロビーの
左側になる所。
角を利用して数セットの
丸テーブルと椅子が
置かれてる、ごく簡易的な
談話スペース。
実際こんな所で仕事の話し
合いをする人はいないけど、
待ち合わせ場所としては
重宝してる空間だ。
――そこであたしは、
見覚えある人の姿を見つけた。
というか、今さら見間違い
ようもない。
遠目に見てもわかって
しまう、柚木クンの姿を。
でも……彼と話をしている
らしい、もう一人の相手が、
ちょっと信じられなかった。
スーツの上から高そうな
毛皮のコートを羽織ってる
から雰囲気は少し変わってる
けど、こっちも多分
見間違いじゃない。
だって、今日見たばかりの
顔だから。
_(あの人、ホワイト・マリッジの
社長じゃないの……?)
見学の後はもう一度会議室に
戻ったようで、いつ頃話し
合いを終えたのかは知らない。
でもまさか、こんな時間
まで残ってるとは思わなかった。
いや……それ以前に、なんで
ホワイト・マリッジの社長と
柚木クンが話をしてるの?
たまたま一階で顔を合わせて、
ピュアスプリングの社員
だと気づいて、社長が声を
かけたとかだろうか?
でも、柚木クンはたしか
7時半頃にはオフィスを
出たはず。
それからもう、一時間近く
経ってる。
ちょっと顔を合わせた
くらいで、そんなに長い
時間話をするとは思えない……。
_それに――違和感は、
もうひとつあった。
(柚木クン、笑ってる……)
――そう。
あの、会社では営業スマイル
以外は滅多に見せない彼が、
時々小さな笑いを
こぼしながら話してる。
遠目に見ても、それに気づいた。
相手が相手だから、あれも
営業スマイルなんだろうか?
でも柚木クンは、課長や
たまに激励でオフィスに
やって来るうちの社長に
だって、態度を変えた
ことなんてない――。
(どうして………?)
胸の中で、ざわざわと
何かが揺らめいた。
雨の前の暗い草原で風に
揺らされる草のように、
心が落ち着きなく乱れる。
_(あ―――…)
エレベーター前から少し
歩いた辺りに立ち尽くした
ままジッと見ていたら、
柚木クンが急に背中を向けた。
もちろんあたしにという
わけじゃない。
何だか、向かい合って
話してたホワイト・マリッジ
社長を振り切るように背を
向け、ガラス張りの壁から
外に目をやったような感じだ。
柚木クンはそのままツカツカと
壁際まで歩き、社長も
それを追いかける。
……二人ともが、あたしに
背中を向ける形になった。
「……………!」
どうしよう。
――こんなこと、本当は
よくないってわかってる。
_でも、気になる。
それに柚木クンがピュア
スプリングの社員という
立場で彼女と話をしてる
かもしれないなら、あたしが
声をかけるのは別に
おかしいことじゃない。
(少しだけ………)
あたしは言い訳のように
内心でつぶやいて、そっと
足を踏み出した。
大きな足音をたてない
ように注意しながら、
ゆっくりと談話スペースに
近づく。
そこには、休憩か待ち合わせか、
他にも数人の人がいる。
彼らの陰にまぎれながら、
少しずつ、柚木クン達の
声が漏れ聞こえる距離に
まで――…。
_「――からそれは、蘭子
(ランコ)さんの思い込みだって」
珍しく柚木クンが大きな
声を出したせいで、まだ
距離は開いているけれど、
その部分だけハッキリと
聞こえた。
(“蘭子さん”――…?)
あたしには聞き覚えのない名前。
「……って言ってるでしょ?
……だなんて、そんな
つもりはないよ――…」
声のトーンはすぐに戻されて
しまい、次のセリフは途切れ
途切れにしか聞こえない。
もどかしいけれど――でも、
隠れる場所もないここで、
これ以上近づいたらきっと
気づかれてしまう。
_あたしは二人から2メートル
ほど距離をとった所で、
そっと壁際に寄って、
かすかに聞こえる声に
耳を澄ませた。
「あなたが………わかったわ。
だけど、どうして私を……」
「だからオレは………。
蘭子さんだって………」
(ダメだ。全然聞こえない……)
――だけどそれでも、
雰囲気からわかったこと。
もう明らかだ。
この空気は、単なる仕事上の
会話なんかじゃない。
どういう関係かわからない
けれど……二人は以前から、
知り合いなんだ。
(柚木クンが蘭子さんって
呼んでるのが……社長なの
……?)
_二人の様子からして、それは
きっと間違いじゃない気がする。
だけどもちろん、あたしは
柚木クンからそんな話を
聞いたことはなかった。
というか、事業提携や
ホワイト・マリッジに
ついてを、特に話題にした
こともない。
会社でもそうだし、家で
だって彼は、そんなこと
たいして気にも止めてない
ようだったのに。
だけど―――…
(あ…………!)
――今になって思い出した。
そう言えば数日前、柚木
クンの仕事中の様子が、
何だかおかしいと思った日。
あれは、課長からホワイト・
マリッジとの事業提携が
発表された後のことだった。
_発表の直後、何か別のこと
でも考えてるかのように
自分の席でボーッとしてて――
結局その日一日、どうも
いつものキレがないようだった。
(もしかしてあれは、
このせい――…!?)
ホワイトマリッジの社長が
“蘭子さん”であると、
知ってたから。
だから何らかの理由で、
提携の事実に気をとられて
たってこと――?
……いつの間にか、鼓動が
速くなって体全体に響いてる。
バッグの柄をグッと握りしめて、
緊張に身を強張らせながら
二人の背中を凝視していた。
_そんなあたしの耳に、
なぜか“蘭子さん”のその
言葉だけが、途切れること
なくハッキリと届く。
「……戻ってきなさいよ、瞬也」
(―――――っ!!)
その声に、柚木クン以上に
ギクリと硬直するあたしがいた。
……どうして?
なぜ、あたしがギクリと
しなきゃいけないのよ?
そう思う反面、さらに
汗ばむ掌をしっかりと
感じてしまう。
彼女が柚木クンを“瞬也”
と呼んだ声が……頭の中で、
妙にリアルにエコーする……。
……あたしは完全に、
動揺してた。
そして今の自分の状況も
忘れ、警戒すらするのを
なおざりにしていて。
_「―――――っ!!」
今まで、少しも背後の
蘭子さんを見ようともせず、
ずっとガラスの向こうの
風景に顔を向けていた
柚木クンが。
「美咲――…!」
―――唐突に振り返り……
そして蘭子さんの肩越しに
あたしに気づいて、目を見張る。
「あ………!」
どうしよう。見られてしまった。
立ち聞きしてたことに――
気づかれた――?
とっさに表情を取り繕って、
今歩いてきたような顔を
すればいい。
部下が提携企業の社長と
話してるのを見て、どう
したのかと声をかけにきた。
そういうことにすればいいと、
思ってたはず。
_内心ではそう思ってるのに――
なぜかあたしには、それが
できなかった。
強張る表情を変えることも
できず、喉はカラカラに
渇いていて、ごまかす言葉の
ひとつすら出てこない。
「……………っ」
結局、気づくとあたしは
クルリと背中を向け、
逃げるようにその場から
走り出していた。
「待てよ、美咲!」
呼び止める柚木クンの声が
耳に届いたけれど、それを
振り切るように、エントランス
から外へと飛び出した――…。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
―――無意味なことをした。
つくづくそう思って
ため息が漏れる。
いや……無意味というより、
はっきり言って逆効果。
もちろんそれもわかってる。
あんなふうに逃げたせいで、
きっともうあたしが二人の
会話を聞いていたことは
感づかれてるだろうし、
そして逃げたところで、
柚木クンと顔を合わさない
わけにはいかないのに。
(……帰って……くるのかな)
時計の針はまもなく12時を
指そうとしてる。
もしかしたら、今夜は
帰ってこないかもしれない。
_『戻ってきなさいよ、瞬也』
親しげに紡がれたあの言葉。
それはつまり――以前は
あの人のもとに、柚木クンが
いたってこと。
(本当に――あの人の所へ
戻るとか――…?)
……今さら驚くことでもない。
柚木クンが色んな女の人の
所を渡り歩いてたのは、
前に聞いて知ってたはずだ。
しかも、自分を養って
くれる年上の女の人ばかり。
あの人だって、見た感じ
多分30代後半。しかもその
若さで、有名企業の女社長。
(ピッタリの人物像じゃない。
考えられそうなことだわ……)
_あの人――“蘭子さん”も、
かつての柚木クンの恋人
だったんだ。
そして彼女は、柚木クンに
戻って来てほしいと思ってる。
「……いいじゃない。それで」
低い声でポソリと呟いた。
柚木クンが自活するわけ
じゃないのは多少ムカつく
けど、それでもここを出て
行ってくれることには
かわりない。
それなら、あたしには
願ってもないことだ。
喜んですらいいはずなのに。
「どうして――…」
……あたしの心は、これっ
ぽっちも弾んではいない。
それどころか、灰色の霧で
覆われてしまったかのように、
不鮮明で、どこか寒くて……。
_――どうしてあたしが、
こんな気持ちになるのよ?
自分自身にそう問いかけた時、
遠くで音がした。
あたしは弾かれたように
肩を震わせる。
音は玄関から。
――鍵を開け、ドアノブを
回す音。
(帰ってきた―――!?)
あたしの体は、硬直して
動かなかった。
その間に音の主は靴を脱ぎ、
スリッパの音をたてて短い
廊下をこちらへと近づいてくる。
帰ってこないような気もして、
あたしは最近は柚木クンに
占領されてたリビングの
ソファに座ってた。
なぜかこのままここにいちゃ
いけないような気になって、
ようやく軽く腰を浮かした、
まさにその時――…。
_「あ…………!」
静かにドアが開いた瞬間、
あたしは無意識のうちに
喉から声をもらす。
スーツの上にコートを着て、
マフラーも巻いてる柚木
クンは、無表情であたしを
見て言った。
「ただいま。
……何、変なカッコしてんの?」
「えっ!? あ……っ」
ソファからお尻をあげた
中腰のまま固まってたのに
気づき、慌てて背を伸ばした。
柚木クンはようやく口元を
緩めると、そんなあたしを
からかうように、
「美咲の家なのに、キミが
緊張しててどうするんだよ」
_「べ、別に緊張なんて
してないわよっ」
強がりとわかってるけど、
はねつけるようにそう
言い返した。
(だって、気まずいでしょうが。
柚木クンだって、そうじゃ
ないの……?)
――もう、あたしが盗み
聞きしてたことなんて、
とっくに察してるんでしょ?
今夜は彼女と過ごすんじゃ
ないかと、あたしが
勘ぐってたことだって――…。
「……お、遅かったね」
我ながら自分の臆病さが
情けない。
胸の内をハッキリ伝える
度胸もなく、最初に口を
ついたのは、探るような
そんな言葉。
本当はまず、盗み聞きして
ゴメンと謝らなきゃ
いけないのに。
_「うん。ちょっと飲んで
きたから。
ファズは寝た?」
柚木クンはあたしの内心を
知ってか知らずか、マフラーを
はずしながらサラリと
聞いてきた。
「……あ、うん。
餌をあげてしばらくしたら、
すぐ」
部屋の隅に置かれた寝床で
丸くなってるファズに目を
やって、条件反射的に答える。
でも、内心は上の空だった。
(飲んでた? あの人と……?)
それで、別れて帰ってきたの?
夜を過ごさずに。
(それって……どういう
こと……?)
疑惑が胸を渦巻くけれど、
言葉にはできず黙り込んで
いたら。
短い沈黙を破って――
脱いだコートをバサリと
ソファの端にかける音と
共に、柚木クンが言った。
_「言っとくけど、蘭子さんと
飲んでたわけじゃないよ。
あの人とは、あの後すぐに
別れた」
「……………っ!」
ピクッと小さく肩を震わせ、
マジマジと柚木クンの顔を
見てしまう。
まだ眼鏡をかけたままの
瞳と、視線が絡み合った。
「――オレが、今夜はあの
人と寝るって思ってた?」
「……………」
やっぱり、柚木クンは
全部お見通し。
そうだよね。だって彼は、
嫌になるくらい鋭いもの。
今さら取り繕ったって、
きっとそんなのは無意味だ。
「……ゴメン。
ロビーに降りたら、二人が
一緒にいるのが見えて……」
ようやく、あたしは
その言葉を紡ぐ。
_柚木クンはなぜか自虐的に
フッと笑って、
「別にいいよ。
ってゆーか、スルーされたら
されたで、それもシャクだし」
そう言うと、いつものように
慣れた仕草で眼鏡をはずし、
近くのローテーブルに置いた。
「だから場所を変えようって
言ったんだ。
だけど蘭子さんが勢いづいて、
あんな所で話し込むから……」
最後の方は独り言のように、
声を落として呟いていた。
複雑な思いを感じながらも、
あたしは少しだけホッとする。
どうやら柚木クンは、
あたしを責めるつもりは
ないらしい。
_それに、隠そうとする
そぶりや後ろめたさを
感じている様子もない。
――他の女の人との過去も、
あっけらかんとした顔で
話した彼だから。
聞けば、教えてくれるん
だろうか……?
「あの人――ホワイト・
マリッジの社長と、
どういう関係なの?」
思い切って尋ねた声は、
少しだけ張り詰めていた。
柚木クンは片方の眉だけを
あげて、皮肉っぽい笑みを
浮かべると、
「そんな回りくどい聞き方
しないでもいいって。
美咲だって想像ついてるん
でしょ?」
「え―――…」
ドクンと胸が跳ねる。
柚木クンの視線は、まるで
あたしを試そうとしている
ように見えた。
_「昔の……恋人?」
あたし自身がそれを口に
しないと、柚木クンは
答えてくれないように
思えて、かすかに震える
声を紡ぐ。
柚木クンはまっすぐ
あたしを見て、
「だから、“恋人”って
いうとオレには微妙に
ハズレだよ。
前にも言ったろ。
正確には、“飼い主”」
「……………」
どんな言葉を使っても同じだ。
「……彼女にも、“ご奉仕”
してたんだ?」
住む所を与えてもらう代わりに。
「ウン。
役に立たなきゃ申し訳ない
からね」
「――――そう」
やっぱり、思っていた
とおりだった。
そう思ったら、なぜか
ため息がもれた。
_だけどそんなあたしに柚木
クンが続けたのは、想像を
超える予想外の言葉で――…
「彼女が、オレの本当の飼い主。
まぁつまり、親代わりって
ヤツかな」
「え?」
(“親代わり”?
どういうこと―――?)
首をかしげるあたしに、
柚木クンは渇いた笑いを
浮かべて告げた。
「オレは彼女の所有物なんだよ。
――きっと、ずっとね」
☆☆☆☆☆
_
だけど、奇しくも柚木クンの
様子がおかしかった理由は、
その数日後に知れることに
なった。
その日の朝礼で、
大竹課長が報告した。
今日は以前説明した事業
提携の件で、ホワイト・
マリッジの幹部数名がうちの
オフィスを訪れるらしい。
ひとつ下の階にある会議室で
話し合いが行われるけれど、
オフィスに見学にくる
可能性もあるから心づもりを
しておくように、とのこと
だった。
_それを聞いて、数人の社員は
『ちょっと緊張するね~』
なんて話してた。
自分達の働きぶりで今の
この会社の実情を判断・批評
されるってことだから、
わからないでもない。
……でも、あたしが見る
限り、柚木クンはいたって
普段通りだったと思う。
“普段”通りの、すまして
感情をカケラも見せない、
会社での顔。
だからあたしは、たいして
気にもとめてなかった。
このビルの一階で、あんな
光景を見るまでは――…。
_
今日もそこそこのアポが
入ってて慌ただしく一日を
過ごすなか、1時を過ぎた
頃に、本当にホワイト・
マリッジの幹部らしい人達が
オフィスを訪ねてきた。
課長よりお偉いの部長に
案内されて入って来る、
数名の男女。
席についてた者はまず最初に
大きく『お疲れ様です』と
挨拶する。
その後一行は話をしながら
中に進んできたから、傍を
通った時には、もう一度
会釈をした。
でもそれだけで、あたし達に
直接の紹介があるわけでもない。
見学はものの十数分で終わり、
あたしが気づいたのは、
どうやら唯一の女の人が
社長で、幹部とはいえ全体的に
歳が若いっていうことくらい。
_全員、きっとまだ30代半ば
から40代初頭って感じだ。
急成長した会社だとは
聞いてたけど、本当に
あんなに若い人達で作り
あげた会社なんだ。
今さらながらすごいな、と
そんなことを考えて、
あたしは彼らを見送った。
そして一日が終わり、
退社の時間。
あたしはチーム員の最後の
接客を見守ってて残業になり、
一人でオフィスを出た。
エレベーターで一階におり、
外の寒さを考えて首を
縮めながら、出口へ
向かって進み始めた時。
あたしは思いがけぬ光景を
目にした気がして、ハタと
足を止めてしまう。
(え―――あの人――…?)
_そこは、正面ロビーの
左側になる所。
角を利用して数セットの
丸テーブルと椅子が
置かれてる、ごく簡易的な
談話スペース。
実際こんな所で仕事の話し
合いをする人はいないけど、
待ち合わせ場所としては
重宝してる空間だ。
――そこであたしは、
見覚えある人の姿を見つけた。
というか、今さら見間違い
ようもない。
遠目に見てもわかって
しまう、柚木クンの姿を。
でも……彼と話をしている
らしい、もう一人の相手が、
ちょっと信じられなかった。
スーツの上から高そうな
毛皮のコートを羽織ってる
から雰囲気は少し変わってる
けど、こっちも多分
見間違いじゃない。
だって、今日見たばかりの
顔だから。
_(あの人、ホワイト・マリッジの
社長じゃないの……?)
見学の後はもう一度会議室に
戻ったようで、いつ頃話し
合いを終えたのかは知らない。
でもまさか、こんな時間
まで残ってるとは思わなかった。
いや……それ以前に、なんで
ホワイト・マリッジの社長と
柚木クンが話をしてるの?
たまたま一階で顔を合わせて、
ピュアスプリングの社員
だと気づいて、社長が声を
かけたとかだろうか?
でも、柚木クンはたしか
7時半頃にはオフィスを
出たはず。
それからもう、一時間近く
経ってる。
ちょっと顔を合わせた
くらいで、そんなに長い
時間話をするとは思えない……。
_それに――違和感は、
もうひとつあった。
(柚木クン、笑ってる……)
――そう。
あの、会社では営業スマイル
以外は滅多に見せない彼が、
時々小さな笑いを
こぼしながら話してる。
遠目に見ても、それに気づいた。
相手が相手だから、あれも
営業スマイルなんだろうか?
でも柚木クンは、課長や
たまに激励でオフィスに
やって来るうちの社長に
だって、態度を変えた
ことなんてない――。
(どうして………?)
胸の中で、ざわざわと
何かが揺らめいた。
雨の前の暗い草原で風に
揺らされる草のように、
心が落ち着きなく乱れる。
_(あ―――…)
エレベーター前から少し
歩いた辺りに立ち尽くした
ままジッと見ていたら、
柚木クンが急に背中を向けた。
もちろんあたしにという
わけじゃない。
何だか、向かい合って
話してたホワイト・マリッジ
社長を振り切るように背を
向け、ガラス張りの壁から
外に目をやったような感じだ。
柚木クンはそのままツカツカと
壁際まで歩き、社長も
それを追いかける。
……二人ともが、あたしに
背中を向ける形になった。
「……………!」
どうしよう。
――こんなこと、本当は
よくないってわかってる。
_でも、気になる。
それに柚木クンがピュア
スプリングの社員という
立場で彼女と話をしてる
かもしれないなら、あたしが
声をかけるのは別に
おかしいことじゃない。
(少しだけ………)
あたしは言い訳のように
内心でつぶやいて、そっと
足を踏み出した。
大きな足音をたてない
ように注意しながら、
ゆっくりと談話スペースに
近づく。
そこには、休憩か待ち合わせか、
他にも数人の人がいる。
彼らの陰にまぎれながら、
少しずつ、柚木クン達の
声が漏れ聞こえる距離に
まで――…。
_「――からそれは、蘭子
(ランコ)さんの思い込みだって」
珍しく柚木クンが大きな
声を出したせいで、まだ
距離は開いているけれど、
その部分だけハッキリと
聞こえた。
(“蘭子さん”――…?)
あたしには聞き覚えのない名前。
「……って言ってるでしょ?
……だなんて、そんな
つもりはないよ――…」
声のトーンはすぐに戻されて
しまい、次のセリフは途切れ
途切れにしか聞こえない。
もどかしいけれど――でも、
隠れる場所もないここで、
これ以上近づいたらきっと
気づかれてしまう。
_あたしは二人から2メートル
ほど距離をとった所で、
そっと壁際に寄って、
かすかに聞こえる声に
耳を澄ませた。
「あなたが………わかったわ。
だけど、どうして私を……」
「だからオレは………。
蘭子さんだって………」
(ダメだ。全然聞こえない……)
――だけどそれでも、
雰囲気からわかったこと。
もう明らかだ。
この空気は、単なる仕事上の
会話なんかじゃない。
どういう関係かわからない
けれど……二人は以前から、
知り合いなんだ。
(柚木クンが蘭子さんって
呼んでるのが……社長なの
……?)
_二人の様子からして、それは
きっと間違いじゃない気がする。
だけどもちろん、あたしは
柚木クンからそんな話を
聞いたことはなかった。
というか、事業提携や
ホワイト・マリッジに
ついてを、特に話題にした
こともない。
会社でもそうだし、家で
だって彼は、そんなこと
たいして気にも止めてない
ようだったのに。
だけど―――…
(あ…………!)
――今になって思い出した。
そう言えば数日前、柚木
クンの仕事中の様子が、
何だかおかしいと思った日。
あれは、課長からホワイト・
マリッジとの事業提携が
発表された後のことだった。
_発表の直後、何か別のこと
でも考えてるかのように
自分の席でボーッとしてて――
結局その日一日、どうも
いつものキレがないようだった。
(もしかしてあれは、
このせい――…!?)
ホワイトマリッジの社長が
“蘭子さん”であると、
知ってたから。
だから何らかの理由で、
提携の事実に気をとられて
たってこと――?
……いつの間にか、鼓動が
速くなって体全体に響いてる。
バッグの柄をグッと握りしめて、
緊張に身を強張らせながら
二人の背中を凝視していた。
_そんなあたしの耳に、
なぜか“蘭子さん”のその
言葉だけが、途切れること
なくハッキリと届く。
「……戻ってきなさいよ、瞬也」
(―――――っ!!)
その声に、柚木クン以上に
ギクリと硬直するあたしがいた。
……どうして?
なぜ、あたしがギクリと
しなきゃいけないのよ?
そう思う反面、さらに
汗ばむ掌をしっかりと
感じてしまう。
彼女が柚木クンを“瞬也”
と呼んだ声が……頭の中で、
妙にリアルにエコーする……。
……あたしは完全に、
動揺してた。
そして今の自分の状況も
忘れ、警戒すらするのを
なおざりにしていて。
_「―――――っ!!」
今まで、少しも背後の
蘭子さんを見ようともせず、
ずっとガラスの向こうの
風景に顔を向けていた
柚木クンが。
「美咲――…!」
―――唐突に振り返り……
そして蘭子さんの肩越しに
あたしに気づいて、目を見張る。
「あ………!」
どうしよう。見られてしまった。
立ち聞きしてたことに――
気づかれた――?
とっさに表情を取り繕って、
今歩いてきたような顔を
すればいい。
部下が提携企業の社長と
話してるのを見て、どう
したのかと声をかけにきた。
そういうことにすればいいと、
思ってたはず。
_内心ではそう思ってるのに――
なぜかあたしには、それが
できなかった。
強張る表情を変えることも
できず、喉はカラカラに
渇いていて、ごまかす言葉の
ひとつすら出てこない。
「……………っ」
結局、気づくとあたしは
クルリと背中を向け、
逃げるようにその場から
走り出していた。
「待てよ、美咲!」
呼び止める柚木クンの声が
耳に届いたけれど、それを
振り切るように、エントランス
から外へと飛び出した――…。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
―――無意味なことをした。
つくづくそう思って
ため息が漏れる。
いや……無意味というより、
はっきり言って逆効果。
もちろんそれもわかってる。
あんなふうに逃げたせいで、
きっともうあたしが二人の
会話を聞いていたことは
感づかれてるだろうし、
そして逃げたところで、
柚木クンと顔を合わさない
わけにはいかないのに。
(……帰って……くるのかな)
時計の針はまもなく12時を
指そうとしてる。
もしかしたら、今夜は
帰ってこないかもしれない。
_『戻ってきなさいよ、瞬也』
親しげに紡がれたあの言葉。
それはつまり――以前は
あの人のもとに、柚木クンが
いたってこと。
(本当に――あの人の所へ
戻るとか――…?)
……今さら驚くことでもない。
柚木クンが色んな女の人の
所を渡り歩いてたのは、
前に聞いて知ってたはずだ。
しかも、自分を養って
くれる年上の女の人ばかり。
あの人だって、見た感じ
多分30代後半。しかもその
若さで、有名企業の女社長。
(ピッタリの人物像じゃない。
考えられそうなことだわ……)
_あの人――“蘭子さん”も、
かつての柚木クンの恋人
だったんだ。
そして彼女は、柚木クンに
戻って来てほしいと思ってる。
「……いいじゃない。それで」
低い声でポソリと呟いた。
柚木クンが自活するわけ
じゃないのは多少ムカつく
けど、それでもここを出て
行ってくれることには
かわりない。
それなら、あたしには
願ってもないことだ。
喜んですらいいはずなのに。
「どうして――…」
……あたしの心は、これっ
ぽっちも弾んではいない。
それどころか、灰色の霧で
覆われてしまったかのように、
不鮮明で、どこか寒くて……。
_――どうしてあたしが、
こんな気持ちになるのよ?
自分自身にそう問いかけた時、
遠くで音がした。
あたしは弾かれたように
肩を震わせる。
音は玄関から。
――鍵を開け、ドアノブを
回す音。
(帰ってきた―――!?)
あたしの体は、硬直して
動かなかった。
その間に音の主は靴を脱ぎ、
スリッパの音をたてて短い
廊下をこちらへと近づいてくる。
帰ってこないような気もして、
あたしは最近は柚木クンに
占領されてたリビングの
ソファに座ってた。
なぜかこのままここにいちゃ
いけないような気になって、
ようやく軽く腰を浮かした、
まさにその時――…。
_「あ…………!」
静かにドアが開いた瞬間、
あたしは無意識のうちに
喉から声をもらす。
スーツの上にコートを着て、
マフラーも巻いてる柚木
クンは、無表情であたしを
見て言った。
「ただいま。
……何、変なカッコしてんの?」
「えっ!? あ……っ」
ソファからお尻をあげた
中腰のまま固まってたのに
気づき、慌てて背を伸ばした。
柚木クンはようやく口元を
緩めると、そんなあたしを
からかうように、
「美咲の家なのに、キミが
緊張しててどうするんだよ」
_「べ、別に緊張なんて
してないわよっ」
強がりとわかってるけど、
はねつけるようにそう
言い返した。
(だって、気まずいでしょうが。
柚木クンだって、そうじゃ
ないの……?)
――もう、あたしが盗み
聞きしてたことなんて、
とっくに察してるんでしょ?
今夜は彼女と過ごすんじゃ
ないかと、あたしが
勘ぐってたことだって――…。
「……お、遅かったね」
我ながら自分の臆病さが
情けない。
胸の内をハッキリ伝える
度胸もなく、最初に口を
ついたのは、探るような
そんな言葉。
本当はまず、盗み聞きして
ゴメンと謝らなきゃ
いけないのに。
_「うん。ちょっと飲んで
きたから。
ファズは寝た?」
柚木クンはあたしの内心を
知ってか知らずか、マフラーを
はずしながらサラリと
聞いてきた。
「……あ、うん。
餌をあげてしばらくしたら、
すぐ」
部屋の隅に置かれた寝床で
丸くなってるファズに目を
やって、条件反射的に答える。
でも、内心は上の空だった。
(飲んでた? あの人と……?)
それで、別れて帰ってきたの?
夜を過ごさずに。
(それって……どういう
こと……?)
疑惑が胸を渦巻くけれど、
言葉にはできず黙り込んで
いたら。
短い沈黙を破って――
脱いだコートをバサリと
ソファの端にかける音と
共に、柚木クンが言った。
_「言っとくけど、蘭子さんと
飲んでたわけじゃないよ。
あの人とは、あの後すぐに
別れた」
「……………っ!」
ピクッと小さく肩を震わせ、
マジマジと柚木クンの顔を
見てしまう。
まだ眼鏡をかけたままの
瞳と、視線が絡み合った。
「――オレが、今夜はあの
人と寝るって思ってた?」
「……………」
やっぱり、柚木クンは
全部お見通し。
そうだよね。だって彼は、
嫌になるくらい鋭いもの。
今さら取り繕ったって、
きっとそんなのは無意味だ。
「……ゴメン。
ロビーに降りたら、二人が
一緒にいるのが見えて……」
ようやく、あたしは
その言葉を紡ぐ。
_柚木クンはなぜか自虐的に
フッと笑って、
「別にいいよ。
ってゆーか、スルーされたら
されたで、それもシャクだし」
そう言うと、いつものように
慣れた仕草で眼鏡をはずし、
近くのローテーブルに置いた。
「だから場所を変えようって
言ったんだ。
だけど蘭子さんが勢いづいて、
あんな所で話し込むから……」
最後の方は独り言のように、
声を落として呟いていた。
複雑な思いを感じながらも、
あたしは少しだけホッとする。
どうやら柚木クンは、
あたしを責めるつもりは
ないらしい。
_それに、隠そうとする
そぶりや後ろめたさを
感じている様子もない。
――他の女の人との過去も、
あっけらかんとした顔で
話した彼だから。
聞けば、教えてくれるん
だろうか……?
「あの人――ホワイト・
マリッジの社長と、
どういう関係なの?」
思い切って尋ねた声は、
少しだけ張り詰めていた。
柚木クンは片方の眉だけを
あげて、皮肉っぽい笑みを
浮かべると、
「そんな回りくどい聞き方
しないでもいいって。
美咲だって想像ついてるん
でしょ?」
「え―――…」
ドクンと胸が跳ねる。
柚木クンの視線は、まるで
あたしを試そうとしている
ように見えた。
_「昔の……恋人?」
あたし自身がそれを口に
しないと、柚木クンは
答えてくれないように
思えて、かすかに震える
声を紡ぐ。
柚木クンはまっすぐ
あたしを見て、
「だから、“恋人”って
いうとオレには微妙に
ハズレだよ。
前にも言ったろ。
正確には、“飼い主”」
「……………」
どんな言葉を使っても同じだ。
「……彼女にも、“ご奉仕”
してたんだ?」
住む所を与えてもらう代わりに。
「ウン。
役に立たなきゃ申し訳ない
からね」
「――――そう」
やっぱり、思っていた
とおりだった。
そう思ったら、なぜか
ため息がもれた。
_だけどそんなあたしに柚木
クンが続けたのは、想像を
超える予想外の言葉で――…
「彼女が、オレの本当の飼い主。
まぁつまり、親代わりって
ヤツかな」
「え?」
(“親代わり”?
どういうこと―――?)
首をかしげるあたしに、
柚木クンは渇いた笑いを
浮かべて告げた。
「オレは彼女の所有物なんだよ。
――きっと、ずっとね」
☆☆☆☆☆
_