ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
17 取り残された心の、扱い方
☆☆☆☆☆
柚木クンは連絡もないまま、
始業10分前に始まる朝礼に
遅刻してきた。
『すみません』とだけ謝って
途中参加した柚木クンは、
朝礼が終わるとすぐに
大竹課長の席に歩み寄る。
奈々は少し驚いた顔をした
けれど、遅刻の理由を説明
しに行ったと思ったようだ。
『何かあったのかな?』と、
軽く首をかしげただけだった。
だけどあたしは、周囲を
気にしながらも、彼の姿を
目で追わずにはいられない。
夕べは一睡もできなかった。
柚木クンの残していった
言葉が、今も頭の中で巡ってる。
_(柚木クン……)
蘭子さんのこと、
ホワイト・マリッジのこと。
そして、彼の気持ち。
……あの言葉は全部、本当なの?
本当に――キミはもう、
あの人の所へ行って
しまうの――…?
「……………っ!」
柚木クンと二言三言言葉を
交わした課長が立ち上がった。
そうして二人は、併設
されてる小さな打ち合わせ
ルームへと入っていく。
奈々と同じように遅刻の
謝罪をしているだけだと
思っていた周りの社員が、
『おや?』という顔で
それを見ていた。
(本当に……?)
辞表を出すと言っていた
柚木クン。
不安が現実味を増して、
心を波立たせる。
_……それからしばらく、
課長と柚木クンは部屋を
出てこなかった。
二人を気にしながらも、
こちらは仕事を始めないと
いけない。
お客様を迎える時間になり、
接客に入る部下を送り出し。
オフィスには、チーフと
数人の社員が残るだけになった。
静かになった空間で、
あたしは成績管理用の
書類を手にしながらも、
落ち着かない。
よほど態度に出ていたのか、
隣からおもむろに声がかかった。
――奈々だ。
「どうしたの、美咲?」
「えっ!?」
ビクッと肩を弾ませた
あたしに、奈々はさらに
怪訝な顔をして、
「なんか様子変だけど。
体調でも悪い?」
_「……そんなことないよ」
「そう? 大丈夫?」
「―――うん」
黙っていてもわかるほど、
あたしは動揺してるんだ。
改めて、その事実を認識した。
――やがて20分ほどで、
大竹課長と柚木クンは
揃って打ち合わせルーム
から出てきた。
そして、二人で課長の
席へと歩いていく。
席に戻ると課長は座らずに
椅子の前に立ち、デスクの
隣に柚木クンを立たせた。
そして――…。
「みんな、ちょっと聞いてくれ。
急なんで、今残っている者
だけになるが、話がある」
「………………!」
_予感がどんどん確信へと
変わっていく。
破裂しそうなほどドクドクと
鳴る心臓を抑えようもない
あたしの耳に、とうとう
課長の次の言葉がねじ込まれる
ように入ってきた。
「柚木君が、本日付で
退社することになった。
急なことだが、やむを
得ない家庭の事情だそうだ」
『やっぱり』。
そう思うのと同時に、
不思議な錯覚を感じる。
そうまるで、歩いてた足場が
急になくなって、真っ暗な
闇の中に落ちてしまったような。
(本当に――…)
『えーっ?』とあがる
驚きの声と、それをなだめる
課長の声。
そして課長が、柚木クンに
一言挨拶するように言った。
_「唐突で申し訳ありませんが、
課長のご説明どおりです。
短い間でしたが、お世話に
なりました」
無感情な、書かれたセリフを
読み上げてるかのような
挨拶だった。
その間柚木クンの目は低い
床の上を見つめるだけで、
仕事仲間の誰の顔も見ていない。
あたしと視線が重なる
ことも、当然なかった。
挨拶はそれだけで終わり、
課長が柚木クンは準備出来
次第出ていくということを
伝える。
席に戻った柚木クンに、奈々が
『ビックリした! 柚木クン
みたいな優秀な子がいなく
なんのはきついよー!』
と言って歩み寄った。
_だけどそれ以外に彼に
話しかける人はいない。
異端児だった彼には、
親しい人間は一人もいない。
元から近寄りがたい雰囲気を
かもし出しているうえに
“家庭の事情”だなんて
説明だったから、みんな
詮索するのも敬遠してるん
だろう。
柚木クンは奈々にも
『すみません』とだけ
謝って、机の中の荷物を
整理し始めた。
苦笑しながら、奈々は
全員を代表するように
大きな声で言う。
「まぁ仕方ないよね。
何はともあれ、お疲れ様!」
柚木クンは無言で頷いて、
黙々と片付けをしていた。
社外秘の教材や書類は全て
課長に返却し、私物は大きな
紙袋に詰めていく。
_やがて荷造りを終えた柚木
クンは、荷物を持って課長の
席に移動し、
「終わりました」
「ああ。手続き関係の
書類は、後日人事課から
郵送されるだろう。
本当に残念だが……
これからも、しっかりやれ」
「はい」
課長に頭を下げる柚木クン。
顔を上げるとクルリと振り
返り、オフィスに残った
面々を見るともなく
見渡してから、
「――お疲れ様でした。
失礼します」
そうして柚木クンは、紙袋と
バッグを両手に提げて、
オフィスを出ていった。
さすがにあっけないと
思ったのか、奈々がツツッと
移動し、課長に小声で
話しかける。
_「課長。急いで買って餞別
渡すとか、見送りくらい
してもよかったんじゃない
ですか?」
「そう言ったんだが、柚木が
どちらもやめてくれって
言ったんだよ」
「そうなんですか……」
『まぁあの子なら言いそうね』
そう呟きながら、奈々は
席に戻ってきた。
寂しそうなのは、課長と
奈々だけだ。
でもきっとそれも、彼が
いなくなることに対してと
言うより、“優秀な部下が
いなくなる”ことに対して。
他の社員達は、驚きも
あるんだろうけれど、
みんなキョトンとした顔を
しているだけだった。
_――夢みたいだ。
こんなにあっけなく、
そっけなく。
柚木クンは、本当に辞めて
しまった。いなくなった。
昨日までここにいるのが
当然だったのに――もう、
彼の席はない。
彼はもう、ここの人間じゃない。
(ウソでしょ――…?)
胸を支配する苦さを懸命に
隠して、あたしはその日も
精一杯仕事をした。
柚木クンがいなくなった
からと言って、あたしが
戸惑う顔も落ち込む顔も
できない。
会社でのあたし達は、
チームすら違うただの仕事仲間。
秘密の関係は、誰一人として
知らないんだから。
_いつもと同じことをする
一日だったのに、激しく疲れ……
疲労困憊で帰ってきた
あたしを迎えたのは、
綺麗に片付いた部屋。
柚木クンが使っていた布団は
たたまれ、布団ケースに
入れてある。
段ボールと古い毛布で
作ったファズの寝床も、
跡形もなく片付けられていた。
寝床の主も、当然いない。
テーブルやソファの上に
置いてあった柚木クンの
私物も、もうどこにもない。
文庫本、雑誌、ブランケット……
あ、ここにはよく、携帯を
置いてたっけ。
だけどその位置に代わって
置かれていたのは、小さな
メモ紙。
手に取って見ると、短く
『鍵は郵便受けの中』
とだけ書かれていた。
_別れの言葉すらない、
無機質な手紙。
たった……たったこれだけ?
本当にこんなにあっさりと、
あなたはここを出ていくんだ?
突然やって来て、無理矢理
住み着いて。
散々あたしに、迷惑かけて
おきながら――。
「……最低っ……!」
初めて、涙が流れた。
彼がいなくなったことで
あたしが流す、初めての涙。
その熱い雫の意味を、
自分でもわからないまま。
あたしは彼が残したあまりに
悲しいラストメッセージを
握りしめて、声を殺して
泣き続けた……。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
◆瞬也side◆
「ピュアスプリングに
連絡したわよ。
胸を撫で下ろしてたって感じ」
「そう。――ありがと」
努めてさりげなく答え
ながらも、瞬也も内心では
ホッと胸を撫で下ろしていた。
蘭子はきちんと約束を
果たしてくれた。
これでもう、心配する
ことは何もない。
――ここは、ホワイト・
マリッジ本社内にある社長室。
広い部屋は、蘭子の好みに
あった高級な調度品が
揃えられている。
美咲の家で荷物をまとめた
瞬也は、その足でまっすぐ
ここへやって来た。
_蘭子がしっかり人払いを
しているようだから、今は
瞬也が足を投げ出して
ソファを占領している。
ケージから出してやった
ファズが、元気にその足に
じゃれついてきた。
「それにしてもあなた、
家庭の事情なんて大嘘ついて
辞めてきたって?」
蘭子が呆れ声で言って
ソファの背後に立ち、首に
腕をまわしてくる。
瞬也は幾分不服そうに
言い返した。
「だってさすがにこれだけ
急だと、それなりの言い訳が
必要だろ」
大竹課長には、いもしない
“父親”が危篤だくらいの
ことを匂わせ、“実家”に
帰ると言った。
(ま、ある意味ホントに
“実家”だしね)
_皮肉な笑みを浮かべる
瞬也に気づかずに、蘭子は
背後からさらに体を
擦り寄せながら、
「それじゃあ、すぐに
うちの社員として表に出る
わけにはいかないわね。
まぁ、私もしばらくは研修が
必要かなって思ってたけど」
「支店長なんて重大な
ポスト頂いちゃうんだしね」
「瞬也は頭がいいもの、
問題ないでしょうけど。
やっぱり、これからしばらくは
ここで私が個人指導して、
支店長になるためのお勉強
期間ね」
「――ハイハイ、頑張るよ」
笑い混じりに答えながら、
思っていた。
――個人指導という名の、
ていのいい軟禁だ。
今度はここで、彼女に
飼い馴らされるのだなと。
_(ま、家や社長室で蘭子
さんの相手と留守番してる
だけで生活できるなら、
楽なもんか)
そうすれば、ほとぼりの
冷めた頃には支店長。
こんなにおいしい話はない
じゃないかと、瞬也は心の
中で呟いた。
自分自身に、そう
言い聞かせるように。
―――――――…
――――――…
―――――…
――――…
_
そうして夜には、
また彼女に奉仕をする。
いつの間にか、演技は
プロ級と言っていいほどに
うまくなった。
彼女は気づかない。自分が
本当は少しも熱くなって
いないことも、頭の中では
彼女を満足させることだけを
考えて、バカがつくほど
冷静なことも。
ただ彼女は、与えられる
快感に溺れ、歓喜している。
本当に……彼女は、
何が欲しいのだろう?
蘭子を抱きながら、瞬也は
もう何度そう思ったかしれない。
どれだけ抱いても、心が
彼女に傾くことはない。
引き取って養ってくれた
恩に答え、そこにいる
大義名分が欲しかったから、
こうなることを受け入れた。
_ただ自分は、誰にも借りを
作らずに、スマートに
生きていきたかったからだ。
自分を育てるために母親が
随分苦労しているのを
知っていた。
父親がいない子供という
ことで、母親や祖父母が
白い目で見られたことが
あるのも知っていた。
自分の存在が、周りの人間に
負担をかけていることを
わかっていたから――
母を失ったあの頃、
これからは周囲に迷惑も
負担もかけずに、静かに
生活していきたいと思った。
だから、蘭子がこういう
関係を求めているなら、
それに答える。
けれどそれは、ある意味
契約だとか、交換条件と
言っていいほど儀式的な
もので、一瞬たりとも、
瞬也は心まで蘭子のものに
なったつもりはないのだ。
_彼女がそれでいいなら
自分はかまわないが、
本当に、彼女は何を
求めているのか?
わからないまま肌を重ねる
時間は相変わらずちゃちな
芝居のようだと思いながら、
瞬也はまた、激しく蘭子を
あおった。
そろそろ終わりにしよう。
「あぁ……っんっ。
ダ、ダメェッ……!!」
叫びに近い声をあげながら、
蘭子がビクビクと体を震わせる。
そして……ただ果てる
だけでなく、そのまま
グッタリと四肢を投げ出して、
おとなしくなってしまった。
「――蘭子さん?」
自分も達し、その波が
ひいてから、そっと蘭子に
顔を近づけ確かめる。
蘭子はあまりの快楽にか、
気を失ってしまったようだった。
_「……マジ?
ちょっとイジメすぎたか」
今日の蘭子はいつも以上に
貪欲で、何度もねだったから、
答えてやったつもりなのだが。
「ま、これなら文句なしで
満足でしょ」
蘭子は何に対しても貪欲で
肉食な女。
満足させる方も一苦労だと
思いながら、瞬也は静かに
蘭子から離れ、その体に
柔らかな布団をかけてやった。
部屋は暖められているが、
熱の引き始めた肌は急速に
冷えていっている。
わずかな寒さを感じた瞬也は、
服を身につけようと
ベッドを降りた。
床に脱ぎ散らかしてある
肌着と、蘭子に与えられた
瞬也にとっては辟易する
趣味の、艶めいた生地の
ナイトガウンを羽織る。
_倦怠感が体を支配していて、
何をする気にもならなかった。
とはいえ、眠りたい
わけでもない。
蘭子はすぐには目覚めない
だろう。
そう思った瞬也は、壁際に
置かれたキャビネットに
歩み寄った。
蘭子の私物が入っている
物だが、その右端の小さな
引き出しを音を立てない
ように注意して開ける。
取り出したのは、蘭子の
予備のタバコケースと
ライターだった。
「ちょっとだけ、拝借」
小さく声に出して、中から
一本取り出し口に運ぶ。
蘭子は、自分はスモーカーの
くせに、瞬也が吸うことは嫌う。
だからおおっぴらには
吸わないが、瞬也だって
たまには吸いたくなる時が
あった。
_こんなけだるい気分の時が、
まさにそうだ。
散々喜ばせてやったんだから
これくらいいいだろうと
開き直り、瞬也は薄く窓を
開けた窓際でタバコを吸った。
最後は桟の隅で火を消し、
ポイと窓の外に投げ捨てる。
おまけでもう一本吸ってから、
タバコとライターをしまう
ため、再びキャビネットに
歩み寄った。
いくら何でも気づかないとは
思うが、万が一を考えて
極力元あった配置を思い
出して、注意深くそれらを
片付けていたら――…。
「…………ん?」
ふと、指先が見慣れない
物に触れて、瞬也は動きを
止める。
_もちろん見慣れないとは
言っても、そうしょっちゅう
こんなふうにタバコを拝借
していたわけではない。
前にここを開けたのは、
もう一月以上も前だろうか。
だがそれでも、こんな目立つ
位置にこのような物が
あるのは、間違いなく
初めてだった。
もしかしたら下の方に
しまってあったのを、蘭子が
取り出して、位置が
変わったのか……?
(ずいぶんアンバランスだな。
一体何だ?)
悪趣味だとはわかっていても、
つい興味をひかれてそれを
手に取った。
触ると古さのためか少し
湿っぽいと思えるそれは、
名刺より一回り大きい
サイズの、俗に言う
“定期ケース”。
_今の蘭子が持つとは到底
思えない、キャラクターの
絵が描かれた赤が基調の
デザインだ。
使い込んだ感といい、
こうしてしまってあった
ことといい、学生時代に
使っていた物なのかもしれない。
(何だってこんな物を……?)
そう思いながら何気なく
二つ折りの中を開いて――
次の瞬間、瞬也は驚きに
目を見開いた。
「これは――…」
もう何十年も前に切れている
色あせた定期と共に、視界に
飛び込んできたもの。
それは――見開きにした
定期とは反対側の面に
挟まれている、一枚の写真。
_制服姿の数人の男女が、
肩を組んだり身を寄せて、
笑顔で写っている。
仲のいい仲間達と撮った、
若かりし日の光景という
感じだった。
しかし学生にしては、全員
髪の色がやたら明るく、
女子はメイクもきつい。
制服もかなり着崩している。
学生は学生でも、頭に
“不良”とつくようだ。
だが、瞬也の目をひいた
のはそんなことではない。
驚きの理由は、そこに
写っている五人の中に、
三つもよく見知った顔が
あったことだ。
――まず、前列の真ん中。
カメラ目線で笑う、整った
顔立ちの少女。
彼女の顔を見間違うはずもない。
自分の知る面影がそこにある。
それは……今は亡き、
瞬也の母親だった。
_そしてその右隣にいる、
ショートカットの少女。
これは気づくまでに一瞬
かかったが、どうやらこの
少女が蘭子のようだ。
写真の中の蘭子はカメラには
目を向けておらず、なかば
首を捻って斜め上を向き、
照れたような笑顔を見せている。
どうやら後列にいる男子が、
彼女の肩に腕を回している
のが原因らしい。
その男子は両手をそれぞれ
瞬也の母と蘭子の肩に
回しており、いかにも仲の
いい三人という光景だった。
そして――最も驚いたのは、
その、後列の男子の顔。
不思議な気分だ。
その男子は髪の色こそ違えど、
顔のパーツはほとんどが、
瞬也と区別がつかない
くらい、同じなのだから。
_(てゆーか、オレじゃん……)
オレがヤンキーやってれば、
こんなだったのか。
冗談のようにそう考えながら、
瞬也はようやく、長年の
謎が解けたと思っていた。
「そういうことか……」
ここまで自分と瓜二つで、
気づかないわけがない。
つまり――この自分そっくりの
男子が、母親のかつての
恋人で、身篭ったとわかると
情けなく逃げた、自分の
父親なのだろう。
そして、彼に触れられ、
恥ずかしそうに動揺している
様子の蘭子。
彼女の表情には、明らかに
彼に対する恋慕が伺える。
「そういうことなら、
言ってっての――」
_蘭子が見ていたのは、
自分ではなかったのだ。
蘭子が自分を通して見て、
求めていたのは――写真の
中の、彼。
(無責任に逃げたような
男なんだぜ?)
それでもきっとこの当時
から、蘭子はこの男のことが
好きだったのか。
先輩である、瞬也の母親の
彼氏だとわかっていても。
そして、その後の彼女達に
どんなことがあったのかは
わからない。
が、こうしてこの写真を
大切に保管しているところを
見ると、瞬也の母親が
捨てられた後、蘭子が
後釜におさまったという
こともないようだ。
やがて大人になって母親と
蘭子が再会した時に
出会ったのは、かつての
思い人の血を受けた、彼に
瓜二つの少年。
_(そっくりなら息子でも、
他の女との子供でも
いいってのか?
まったく、女の考えは
マジでわかんないな)
ため息が漏れる。
今夜の蘭子がいつも以上に
熱かったのも、もしかしたら
直前にこの写真を見ていた
からかもしれない。
「勘弁してよ――…」
どのような理由であれ、
引き取って養ってくれた
ことへの恩は感じていた。
だからこそ、理想の
ペットを演じてきたのに。
(まさか、昔の実らなかった
恋の埋め合わせをさせられ
てたとはね……)
自分は、体よく利用されていた。
その事実に、今まで感じた
ことのないような無力感が
押し寄せた。
_(それじゃあ、満足できる
はずもないよな)
どれだけ情熱的に抱き愛の
言葉を囁いてやっても、
結局は自分は偽物でしか
ないのだから。
自分の奉仕に蘭子が満足
する日など、永遠に
来ないということだ。
「やっぱりオレは、一生
ペットの運命ってことか――…」
もっと早くに気づいて
いればよかった。
そう……彼女を抱いて
しまった、16歳の時よりも前に。
―――だけどもう、遅い。
……もう一度、深い
ため息をついて。
瞬也は定期ケースを
引き出しに戻し、そっと
その扉を閉めた……。
☆☆☆☆☆
_
柚木クンは連絡もないまま、
始業10分前に始まる朝礼に
遅刻してきた。
『すみません』とだけ謝って
途中参加した柚木クンは、
朝礼が終わるとすぐに
大竹課長の席に歩み寄る。
奈々は少し驚いた顔をした
けれど、遅刻の理由を説明
しに行ったと思ったようだ。
『何かあったのかな?』と、
軽く首をかしげただけだった。
だけどあたしは、周囲を
気にしながらも、彼の姿を
目で追わずにはいられない。
夕べは一睡もできなかった。
柚木クンの残していった
言葉が、今も頭の中で巡ってる。
_(柚木クン……)
蘭子さんのこと、
ホワイト・マリッジのこと。
そして、彼の気持ち。
……あの言葉は全部、本当なの?
本当に――キミはもう、
あの人の所へ行って
しまうの――…?
「……………っ!」
柚木クンと二言三言言葉を
交わした課長が立ち上がった。
そうして二人は、併設
されてる小さな打ち合わせ
ルームへと入っていく。
奈々と同じように遅刻の
謝罪をしているだけだと
思っていた周りの社員が、
『おや?』という顔で
それを見ていた。
(本当に……?)
辞表を出すと言っていた
柚木クン。
不安が現実味を増して、
心を波立たせる。
_……それからしばらく、
課長と柚木クンは部屋を
出てこなかった。
二人を気にしながらも、
こちらは仕事を始めないと
いけない。
お客様を迎える時間になり、
接客に入る部下を送り出し。
オフィスには、チーフと
数人の社員が残るだけになった。
静かになった空間で、
あたしは成績管理用の
書類を手にしながらも、
落ち着かない。
よほど態度に出ていたのか、
隣からおもむろに声がかかった。
――奈々だ。
「どうしたの、美咲?」
「えっ!?」
ビクッと肩を弾ませた
あたしに、奈々はさらに
怪訝な顔をして、
「なんか様子変だけど。
体調でも悪い?」
_「……そんなことないよ」
「そう? 大丈夫?」
「―――うん」
黙っていてもわかるほど、
あたしは動揺してるんだ。
改めて、その事実を認識した。
――やがて20分ほどで、
大竹課長と柚木クンは
揃って打ち合わせルーム
から出てきた。
そして、二人で課長の
席へと歩いていく。
席に戻ると課長は座らずに
椅子の前に立ち、デスクの
隣に柚木クンを立たせた。
そして――…。
「みんな、ちょっと聞いてくれ。
急なんで、今残っている者
だけになるが、話がある」
「………………!」
_予感がどんどん確信へと
変わっていく。
破裂しそうなほどドクドクと
鳴る心臓を抑えようもない
あたしの耳に、とうとう
課長の次の言葉がねじ込まれる
ように入ってきた。
「柚木君が、本日付で
退社することになった。
急なことだが、やむを
得ない家庭の事情だそうだ」
『やっぱり』。
そう思うのと同時に、
不思議な錯覚を感じる。
そうまるで、歩いてた足場が
急になくなって、真っ暗な
闇の中に落ちてしまったような。
(本当に――…)
『えーっ?』とあがる
驚きの声と、それをなだめる
課長の声。
そして課長が、柚木クンに
一言挨拶するように言った。
_「唐突で申し訳ありませんが、
課長のご説明どおりです。
短い間でしたが、お世話に
なりました」
無感情な、書かれたセリフを
読み上げてるかのような
挨拶だった。
その間柚木クンの目は低い
床の上を見つめるだけで、
仕事仲間の誰の顔も見ていない。
あたしと視線が重なる
ことも、当然なかった。
挨拶はそれだけで終わり、
課長が柚木クンは準備出来
次第出ていくということを
伝える。
席に戻った柚木クンに、奈々が
『ビックリした! 柚木クン
みたいな優秀な子がいなく
なんのはきついよー!』
と言って歩み寄った。
_だけどそれ以外に彼に
話しかける人はいない。
異端児だった彼には、
親しい人間は一人もいない。
元から近寄りがたい雰囲気を
かもし出しているうえに
“家庭の事情”だなんて
説明だったから、みんな
詮索するのも敬遠してるん
だろう。
柚木クンは奈々にも
『すみません』とだけ
謝って、机の中の荷物を
整理し始めた。
苦笑しながら、奈々は
全員を代表するように
大きな声で言う。
「まぁ仕方ないよね。
何はともあれ、お疲れ様!」
柚木クンは無言で頷いて、
黙々と片付けをしていた。
社外秘の教材や書類は全て
課長に返却し、私物は大きな
紙袋に詰めていく。
_やがて荷造りを終えた柚木
クンは、荷物を持って課長の
席に移動し、
「終わりました」
「ああ。手続き関係の
書類は、後日人事課から
郵送されるだろう。
本当に残念だが……
これからも、しっかりやれ」
「はい」
課長に頭を下げる柚木クン。
顔を上げるとクルリと振り
返り、オフィスに残った
面々を見るともなく
見渡してから、
「――お疲れ様でした。
失礼します」
そうして柚木クンは、紙袋と
バッグを両手に提げて、
オフィスを出ていった。
さすがにあっけないと
思ったのか、奈々がツツッと
移動し、課長に小声で
話しかける。
_「課長。急いで買って餞別
渡すとか、見送りくらい
してもよかったんじゃない
ですか?」
「そう言ったんだが、柚木が
どちらもやめてくれって
言ったんだよ」
「そうなんですか……」
『まぁあの子なら言いそうね』
そう呟きながら、奈々は
席に戻ってきた。
寂しそうなのは、課長と
奈々だけだ。
でもきっとそれも、彼が
いなくなることに対してと
言うより、“優秀な部下が
いなくなる”ことに対して。
他の社員達は、驚きも
あるんだろうけれど、
みんなキョトンとした顔を
しているだけだった。
_――夢みたいだ。
こんなにあっけなく、
そっけなく。
柚木クンは、本当に辞めて
しまった。いなくなった。
昨日までここにいるのが
当然だったのに――もう、
彼の席はない。
彼はもう、ここの人間じゃない。
(ウソでしょ――…?)
胸を支配する苦さを懸命に
隠して、あたしはその日も
精一杯仕事をした。
柚木クンがいなくなった
からと言って、あたしが
戸惑う顔も落ち込む顔も
できない。
会社でのあたし達は、
チームすら違うただの仕事仲間。
秘密の関係は、誰一人として
知らないんだから。
_いつもと同じことをする
一日だったのに、激しく疲れ……
疲労困憊で帰ってきた
あたしを迎えたのは、
綺麗に片付いた部屋。
柚木クンが使っていた布団は
たたまれ、布団ケースに
入れてある。
段ボールと古い毛布で
作ったファズの寝床も、
跡形もなく片付けられていた。
寝床の主も、当然いない。
テーブルやソファの上に
置いてあった柚木クンの
私物も、もうどこにもない。
文庫本、雑誌、ブランケット……
あ、ここにはよく、携帯を
置いてたっけ。
だけどその位置に代わって
置かれていたのは、小さな
メモ紙。
手に取って見ると、短く
『鍵は郵便受けの中』
とだけ書かれていた。
_別れの言葉すらない、
無機質な手紙。
たった……たったこれだけ?
本当にこんなにあっさりと、
あなたはここを出ていくんだ?
突然やって来て、無理矢理
住み着いて。
散々あたしに、迷惑かけて
おきながら――。
「……最低っ……!」
初めて、涙が流れた。
彼がいなくなったことで
あたしが流す、初めての涙。
その熱い雫の意味を、
自分でもわからないまま。
あたしは彼が残したあまりに
悲しいラストメッセージを
握りしめて、声を殺して
泣き続けた……。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
◆瞬也side◆
「ピュアスプリングに
連絡したわよ。
胸を撫で下ろしてたって感じ」
「そう。――ありがと」
努めてさりげなく答え
ながらも、瞬也も内心では
ホッと胸を撫で下ろしていた。
蘭子はきちんと約束を
果たしてくれた。
これでもう、心配する
ことは何もない。
――ここは、ホワイト・
マリッジ本社内にある社長室。
広い部屋は、蘭子の好みに
あった高級な調度品が
揃えられている。
美咲の家で荷物をまとめた
瞬也は、その足でまっすぐ
ここへやって来た。
_蘭子がしっかり人払いを
しているようだから、今は
瞬也が足を投げ出して
ソファを占領している。
ケージから出してやった
ファズが、元気にその足に
じゃれついてきた。
「それにしてもあなた、
家庭の事情なんて大嘘ついて
辞めてきたって?」
蘭子が呆れ声で言って
ソファの背後に立ち、首に
腕をまわしてくる。
瞬也は幾分不服そうに
言い返した。
「だってさすがにこれだけ
急だと、それなりの言い訳が
必要だろ」
大竹課長には、いもしない
“父親”が危篤だくらいの
ことを匂わせ、“実家”に
帰ると言った。
(ま、ある意味ホントに
“実家”だしね)
_皮肉な笑みを浮かべる
瞬也に気づかずに、蘭子は
背後からさらに体を
擦り寄せながら、
「それじゃあ、すぐに
うちの社員として表に出る
わけにはいかないわね。
まぁ、私もしばらくは研修が
必要かなって思ってたけど」
「支店長なんて重大な
ポスト頂いちゃうんだしね」
「瞬也は頭がいいもの、
問題ないでしょうけど。
やっぱり、これからしばらくは
ここで私が個人指導して、
支店長になるためのお勉強
期間ね」
「――ハイハイ、頑張るよ」
笑い混じりに答えながら、
思っていた。
――個人指導という名の、
ていのいい軟禁だ。
今度はここで、彼女に
飼い馴らされるのだなと。
_(ま、家や社長室で蘭子
さんの相手と留守番してる
だけで生活できるなら、
楽なもんか)
そうすれば、ほとぼりの
冷めた頃には支店長。
こんなにおいしい話はない
じゃないかと、瞬也は心の
中で呟いた。
自分自身に、そう
言い聞かせるように。
―――――――…
――――――…
―――――…
――――…
_
そうして夜には、
また彼女に奉仕をする。
いつの間にか、演技は
プロ級と言っていいほどに
うまくなった。
彼女は気づかない。自分が
本当は少しも熱くなって
いないことも、頭の中では
彼女を満足させることだけを
考えて、バカがつくほど
冷静なことも。
ただ彼女は、与えられる
快感に溺れ、歓喜している。
本当に……彼女は、
何が欲しいのだろう?
蘭子を抱きながら、瞬也は
もう何度そう思ったかしれない。
どれだけ抱いても、心が
彼女に傾くことはない。
引き取って養ってくれた
恩に答え、そこにいる
大義名分が欲しかったから、
こうなることを受け入れた。
_ただ自分は、誰にも借りを
作らずに、スマートに
生きていきたかったからだ。
自分を育てるために母親が
随分苦労しているのを
知っていた。
父親がいない子供という
ことで、母親や祖父母が
白い目で見られたことが
あるのも知っていた。
自分の存在が、周りの人間に
負担をかけていることを
わかっていたから――
母を失ったあの頃、
これからは周囲に迷惑も
負担もかけずに、静かに
生活していきたいと思った。
だから、蘭子がこういう
関係を求めているなら、
それに答える。
けれどそれは、ある意味
契約だとか、交換条件と
言っていいほど儀式的な
もので、一瞬たりとも、
瞬也は心まで蘭子のものに
なったつもりはないのだ。
_彼女がそれでいいなら
自分はかまわないが、
本当に、彼女は何を
求めているのか?
わからないまま肌を重ねる
時間は相変わらずちゃちな
芝居のようだと思いながら、
瞬也はまた、激しく蘭子を
あおった。
そろそろ終わりにしよう。
「あぁ……っんっ。
ダ、ダメェッ……!!」
叫びに近い声をあげながら、
蘭子がビクビクと体を震わせる。
そして……ただ果てる
だけでなく、そのまま
グッタリと四肢を投げ出して、
おとなしくなってしまった。
「――蘭子さん?」
自分も達し、その波が
ひいてから、そっと蘭子に
顔を近づけ確かめる。
蘭子はあまりの快楽にか、
気を失ってしまったようだった。
_「……マジ?
ちょっとイジメすぎたか」
今日の蘭子はいつも以上に
貪欲で、何度もねだったから、
答えてやったつもりなのだが。
「ま、これなら文句なしで
満足でしょ」
蘭子は何に対しても貪欲で
肉食な女。
満足させる方も一苦労だと
思いながら、瞬也は静かに
蘭子から離れ、その体に
柔らかな布団をかけてやった。
部屋は暖められているが、
熱の引き始めた肌は急速に
冷えていっている。
わずかな寒さを感じた瞬也は、
服を身につけようと
ベッドを降りた。
床に脱ぎ散らかしてある
肌着と、蘭子に与えられた
瞬也にとっては辟易する
趣味の、艶めいた生地の
ナイトガウンを羽織る。
_倦怠感が体を支配していて、
何をする気にもならなかった。
とはいえ、眠りたい
わけでもない。
蘭子はすぐには目覚めない
だろう。
そう思った瞬也は、壁際に
置かれたキャビネットに
歩み寄った。
蘭子の私物が入っている
物だが、その右端の小さな
引き出しを音を立てない
ように注意して開ける。
取り出したのは、蘭子の
予備のタバコケースと
ライターだった。
「ちょっとだけ、拝借」
小さく声に出して、中から
一本取り出し口に運ぶ。
蘭子は、自分はスモーカーの
くせに、瞬也が吸うことは嫌う。
だからおおっぴらには
吸わないが、瞬也だって
たまには吸いたくなる時が
あった。
_こんなけだるい気分の時が、
まさにそうだ。
散々喜ばせてやったんだから
これくらいいいだろうと
開き直り、瞬也は薄く窓を
開けた窓際でタバコを吸った。
最後は桟の隅で火を消し、
ポイと窓の外に投げ捨てる。
おまけでもう一本吸ってから、
タバコとライターをしまう
ため、再びキャビネットに
歩み寄った。
いくら何でも気づかないとは
思うが、万が一を考えて
極力元あった配置を思い
出して、注意深くそれらを
片付けていたら――…。
「…………ん?」
ふと、指先が見慣れない
物に触れて、瞬也は動きを
止める。
_もちろん見慣れないとは
言っても、そうしょっちゅう
こんなふうにタバコを拝借
していたわけではない。
前にここを開けたのは、
もう一月以上も前だろうか。
だがそれでも、こんな目立つ
位置にこのような物が
あるのは、間違いなく
初めてだった。
もしかしたら下の方に
しまってあったのを、蘭子が
取り出して、位置が
変わったのか……?
(ずいぶんアンバランスだな。
一体何だ?)
悪趣味だとはわかっていても、
つい興味をひかれてそれを
手に取った。
触ると古さのためか少し
湿っぽいと思えるそれは、
名刺より一回り大きい
サイズの、俗に言う
“定期ケース”。
_今の蘭子が持つとは到底
思えない、キャラクターの
絵が描かれた赤が基調の
デザインだ。
使い込んだ感といい、
こうしてしまってあった
ことといい、学生時代に
使っていた物なのかもしれない。
(何だってこんな物を……?)
そう思いながら何気なく
二つ折りの中を開いて――
次の瞬間、瞬也は驚きに
目を見開いた。
「これは――…」
もう何十年も前に切れている
色あせた定期と共に、視界に
飛び込んできたもの。
それは――見開きにした
定期とは反対側の面に
挟まれている、一枚の写真。
_制服姿の数人の男女が、
肩を組んだり身を寄せて、
笑顔で写っている。
仲のいい仲間達と撮った、
若かりし日の光景という
感じだった。
しかし学生にしては、全員
髪の色がやたら明るく、
女子はメイクもきつい。
制服もかなり着崩している。
学生は学生でも、頭に
“不良”とつくようだ。
だが、瞬也の目をひいた
のはそんなことではない。
驚きの理由は、そこに
写っている五人の中に、
三つもよく見知った顔が
あったことだ。
――まず、前列の真ん中。
カメラ目線で笑う、整った
顔立ちの少女。
彼女の顔を見間違うはずもない。
自分の知る面影がそこにある。
それは……今は亡き、
瞬也の母親だった。
_そしてその右隣にいる、
ショートカットの少女。
これは気づくまでに一瞬
かかったが、どうやらこの
少女が蘭子のようだ。
写真の中の蘭子はカメラには
目を向けておらず、なかば
首を捻って斜め上を向き、
照れたような笑顔を見せている。
どうやら後列にいる男子が、
彼女の肩に腕を回している
のが原因らしい。
その男子は両手をそれぞれ
瞬也の母と蘭子の肩に
回しており、いかにも仲の
いい三人という光景だった。
そして――最も驚いたのは、
その、後列の男子の顔。
不思議な気分だ。
その男子は髪の色こそ違えど、
顔のパーツはほとんどが、
瞬也と区別がつかない
くらい、同じなのだから。
_(てゆーか、オレじゃん……)
オレがヤンキーやってれば、
こんなだったのか。
冗談のようにそう考えながら、
瞬也はようやく、長年の
謎が解けたと思っていた。
「そういうことか……」
ここまで自分と瓜二つで、
気づかないわけがない。
つまり――この自分そっくりの
男子が、母親のかつての
恋人で、身篭ったとわかると
情けなく逃げた、自分の
父親なのだろう。
そして、彼に触れられ、
恥ずかしそうに動揺している
様子の蘭子。
彼女の表情には、明らかに
彼に対する恋慕が伺える。
「そういうことなら、
言ってっての――」
_蘭子が見ていたのは、
自分ではなかったのだ。
蘭子が自分を通して見て、
求めていたのは――写真の
中の、彼。
(無責任に逃げたような
男なんだぜ?)
それでもきっとこの当時
から、蘭子はこの男のことが
好きだったのか。
先輩である、瞬也の母親の
彼氏だとわかっていても。
そして、その後の彼女達に
どんなことがあったのかは
わからない。
が、こうしてこの写真を
大切に保管しているところを
見ると、瞬也の母親が
捨てられた後、蘭子が
後釜におさまったという
こともないようだ。
やがて大人になって母親と
蘭子が再会した時に
出会ったのは、かつての
思い人の血を受けた、彼に
瓜二つの少年。
_(そっくりなら息子でも、
他の女との子供でも
いいってのか?
まったく、女の考えは
マジでわかんないな)
ため息が漏れる。
今夜の蘭子がいつも以上に
熱かったのも、もしかしたら
直前にこの写真を見ていた
からかもしれない。
「勘弁してよ――…」
どのような理由であれ、
引き取って養ってくれた
ことへの恩は感じていた。
だからこそ、理想の
ペットを演じてきたのに。
(まさか、昔の実らなかった
恋の埋め合わせをさせられ
てたとはね……)
自分は、体よく利用されていた。
その事実に、今まで感じた
ことのないような無力感が
押し寄せた。
_(それじゃあ、満足できる
はずもないよな)
どれだけ情熱的に抱き愛の
言葉を囁いてやっても、
結局は自分は偽物でしか
ないのだから。
自分の奉仕に蘭子が満足
する日など、永遠に
来ないということだ。
「やっぱりオレは、一生
ペットの運命ってことか――…」
もっと早くに気づいて
いればよかった。
そう……彼女を抱いて
しまった、16歳の時よりも前に。
―――だけどもう、遅い。
……もう一度、深い
ため息をついて。
瞬也は定期ケースを
引き出しに戻し、そっと
その扉を閉めた……。
☆☆☆☆☆
_