ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
18 年上女との、戦い方
     ☆☆☆☆☆



柚木クンがいなくなっても、
オフィスの日常に変化はない。


元からあたしは直接の
関わりもなかった。

彼がいようがいなかろうが、
あたしは自分の仕事を普段
通りにこなしていく毎日だ。


雅絵がたしかに聞いたという
うちがホワイト・マリッジに
吸収されるという話も、
上層部から告げられる
気配はいっこうにない。


課長もたまに見かける
上層部の人間も、のんびり
した顔で廊下を歩いてる。


きっと吸収の話は
なくなったんだろう。

聞かなくても、あたしには
それがわかっていた。


_この会社の誰ひとりそれを
知ることはないけれど、
彼はやっぱり、この会社を
救ったんだ。


だからあたし達は今日も、
平和に営業を続けてる。




そんな日々を一週間ほど
繰り返した頃。


あたしは奈々に、拓巳と
別れたことを話した。


今までは、話せてなかった。

拓巳とあんなことがあった後、
柚木クンとも関係を持って
しまって、それからの
あたしは始終彼に
翻弄されていたし。


それに今拓巳の話をすれば、
どうしても同時に柚木クンの
ことを考えてしまう。


_だけど一週間経って、心も
少しだけ落ち着きを取り出した。

だからとりあえず拓巳の
ことだけは、話して
おこうと思って。



あたしから飲みに誘った
居酒屋で突然『拓巳と
別れたんだ』と聞かされた
奈々は、こぼれんばかりに
目を真ん丸にして、


「えっ、なんでっ!?

もしかして、あたしが倦怠期
じゃないかなんて言ったから!?」


「違うよ。奈々は無関係
だから心配しないで。

そうじゃなくて……」


「じゃ、どうしてよ?」


「………浮気されてた。アハハ」


情けない気持ちをごまかす
ように、渇いた笑いと
一緒にそう告げる。


_奈々は今度は口を
あんぐりと開いて、


「浮気!? 確かなの?」


「確かも何も、この目で
見たから。

その場で終わっちゃったよ。
あっけないもんよね」


三年もつき合ってたのに、
最後は『ゴメン』の一言で
幕をひかれた。


あたしがこれっぽっちも
本当の拓巳を見れてなかった
っていう、いい証拠だ。


「そうだったんだ……」


奈々はそう呟いてから、
しばらく黙り込む。

唐突すぎて次の言葉が
出ないという感じだった。


「ちょっとちょっと、
暗くなんないでよ!

あたしはもうふっ切れてる
から、平気なんだから」


「……ウソ。ホントに?」


_「ホントだってば」


即答したけれど、奈々は
ふに落ちない表情で
切り返してくる。


「でも美咲、ここ最近
元気なかったじゃん。

それってやっぱ、まだ
落ち込んでるってことじゃ――」


「え―――…」


ドキッとした。


“元気がなかった?”

あたしは、普段通りに
振る舞っていたつもり
だったんだけど。


だけどもし、奈々には
それが空元気と見抜かれて
たんだとしても。


―――その原因は、
拓巳じゃない。


拓巳のことは、自分でも
信じられないくらい、遠い
昔のことのように感じてる。


_終わった恋。

そう気持ちの整理がついてる
から、今はもう本当にその
ことで落ち込んでもないし、
未練を持ってもいない。


そう――あたし自身も
気づかないうちに、完全に
拓巳への気持ちは終わっていた。


その後あたしの心にスルリと
入り込んで、好き勝手
振り回していってくれた、
アイツのおかげで……。



「……本当に、拓巳の
ことはもういいんだよ」


短い間の後、あたしは
かすかに揺れる声でそう答える。


……拓巳のことは、もういいの。


あたしの中でちゃんと
終わってないのは……今は……。


_「これからは、奈々と
一緒にお一人様ライフ
満喫しちゃうかなぁ。

この歳になったら、そう
簡単に次の出会いなんて
転がってないもんねー」


胸の奥で小さくうずく痛みを
ごまかすように、あたしは
やたら軽くそう言って、
ハハッと笑った……。





     ☆☆☆☆☆


_     ☆☆☆☆☆



会社で些細な違和感を
感じたのは、それから
さらに数日経った頃だった。


会社と言っても、正確に
言うとオフィスでという
わけじゃない。

正しくは、社屋ビルの一階
ロビーや、ランチに出た外とか。
つまり、仕事中のオフィス
以外の場所で。


発端は、ある日の昼休みだった。


「ねぇ奈々。あの人昨日も
あそこにいなかった?」


奈々と一緒にランチに
出ようと、ビルの一階を
エントランスへと向かって
歩いていた時。


あたしは怪訝に思って、
試しに奈々にも尋ねてみた。


「え? あの人……って、誰?」


_キョトンとしている奈々に、
あたしは小さくアゴで
方向を示して、


「あそこ。談話スペースの
奥の方の席よ」


そこには、黒いロング
コートの中年男性が一人
座っている。

テーブルの上には、小さめの
アタッシュケースと新聞。

いかにもビジネスの空き
時間をそこで過ごしていると
いう感じで、別にこれと
いって不審なところは
ないんだけれど……。


(昨日だけじゃなく、
おとついもいたと
思うのよね……)


おとついの昼、フッと顔を
向けた時に、たしかあの人と
目があった。

昨日は気づかなかったけれど、
今日も同じ姿を目にした
ことで、思い出したんだ。


_だけど奈々は談話スペース
なんて目も向けていない
らしく、困ったように首を
かしげる。


「さぁ……わかんない。

てゆーかあんな所別に
気にしてないし」


「そっか……まぁそうだよね」


あたしだって以前なら、
通るたびに談話スペースを
気にすることもなかったろう。


だけど今は、無意識の
うちについ目がいってしまう。

あそこは、柚木クンと蘭子
さんが話をしていた場所だから。


(あたしが変に気にしてる
だけかな……)


あたしにはそんな習慣
なくても、このビルの
関係者であそこを休憩場所
として愛用する人も、
そりゃあいるだろう。


_この時間なら食事をしない
のかという疑問はあるけれど、
別にそんなの、不自然という
ほどのことでもないし……。



――結局その日は、
それだけで終わった。


だけどそんなふうに話題に
あげて顔もしっかり覚えて
しまうと、翌日には違和感は
さらに大きくなる。


気づいてしまったんだ。

その男の人が、あたしが
退社する時間にもそこに
いたり、逆にランチに
入った店の中で見かける
時もあるっていうことに。


(おかしい……。

なんでこんなに、あの人を
見かけるの……?)


「ん? あのオジサン、
前に美咲が言ってた人
じゃない?」


_数日後の退社時には、とう
とう一緒に帰っていた
奈々もそう言った。

そのオジサンは、今日も
いつもと同じケースを持って、
談話スペースに一人で
座っている。


……間違いない、かもしれない。


(あたし……あの人に、
見られてる……?)


ちょうどその時、また
その人と目が合って、
背中がヒヤリと冷える
ような恐怖を感じた。


男の人はすぐにあたしから
目をそらすと、どこか
とってつけたように腕時計を
確認して、ケースを手に
立ち上がりそそくさと
ビルを出ていく。

その背中が、ますます
怪しく見えてしまった。


_(なんなの、一体……?)


得体の知れない胸騒ぎを
覚えた翌日。


あたしは、さらに信じられ
ない人物の来訪を受ける
ことになる。



――一日を終え、帰宅しようと
ビルを出た時だった。


今日は奈々が後輩のフォローで
居残りになってしまい、
あたしは一人でいた。


その背中に、唐突に声がかかる。


「ちょっと、あなた」


あたしが呼ばれてるのか
どうかもわからない呼び方
だったけど――でも、
あたしはすぐに振り向いた。

その声に、聞き覚えが
あったから。


「ら―――…っ!!」


柚木クンから聞かされた
呼び名で叫びそうになって、
あわてて声を飲み込む。


_だけど間違いなく、目の前に
立っているのは。


(蘭子さん……!?)


どうしてこの人がここにいて、
あたしを呼び止めるのか。


状況が理解できなくて、
あたしはその場で硬直していた。


温かそうでゴージャスな
毛皮のコートに身を包んだ
蘭子さんは、わずかに頷いて
落ち着いた声で、


「そう、あなたよ。

ちょっとあなたに話があるの。
つきあってもらえるかしら」


「え―――…」


――話? って、一体なんの?


呆然として言葉を返せないで
いると、彼女は形のいい
眉をスッとひそめて、


「ボーッとしないでちょうだい。

ほら、ついて来て」


_「あっ………」


蘭子さんはクルリと踵を
返すと、さっさとビルの
出入口を離れ歩道に出る。


あたしがついて来るかどうか
確認もせず、ブーツの踵を
鳴らして一人で歩き始めた。


(ちょっと待って、
なんでっ……!?)


パニックに陥りそうに
なりながら、必死で考えた。


あたしと彼女の関係は、
会社社長と、その提携企業の
一社員。

たったそれだけなら、こんな
ふうに社長自らがあたしに
声をかけることなんてないはず。


だけどもし、それだけじゃ
ないとしたら。


他にあたし達を繋ぐものが
あるとすれば、それは、
柚木クン以外にはありえない。


_柚木クンとの関係は、誰も
知らないはずだけれど……
それでもその可能性を
考えた時、あたしは心を決めた。


蘭子さんの思惑は見当も
つかない。

でも、柚木クンに関係が
あるかもしれないなら、
その話を聞いてみよう。


ううん、むしろいつの間にか、
それが聞けるかもしれないと
いう期待すら芽生えてる。


だって、彼が会社を辞めて
から今日まで――今どこで
どんな生活をしてるのかを
気にしなかった日は、多分
ほとんどないんだから。



「―――乗って」


会社を少し離れた路上で、
蘭子さんはそう言って
車道を目で示した。

そこはパーキングスペースで、
一台の赤いボディの車が
停まってる。


_(なんか高そうな車――。

これ、蘭子さんの……?)


考えるあたしの目の前で、
蘭子さんはロックを解除して
運転席に乗り込んだ。


二人きりで車で移動すると
いうことに、緊張を
感じないわけはない。

でも、ここまで来て
引き下がるのも情けない。

あたしは覚悟を決めて
助手席のドアを開け、
体を滑り込ませた。


「そんなに警戒しなくていいわ。

落ち着いて話せる所に
移動するだけよ」


前を向いてハンドルを
切りながら彼女が告げた
言葉は、それだけ。


それ以上は今はまだ話して
くれる気配がなかったから、
あたしも黙ってシートに
身を預けていた。


_やがて15分ほど走って車が
到着したのは、都内にある
シティホテルのエントランス。

すでにチェックインして
いたのか、車を降りた蘭子
さんは迷わずロビーに直行し、
部屋番号を告げてルーム
キーを受け取った。


高層階にあるその部屋へ
エレベーターで移動し、
促されるまま中に入る。


中はすごく広くて豪華な
部屋で、よくあるワンルーム
じゃなく、リビングと
ベッドルームに分かれてた。


蘭子さんはあたしを残して
また一人サッサとリビングに
進むと、ソファにドサッと
体を沈めて、


_「あなたもかけて。

ワインか何か、
用意しましょうか?」


ワインって……彼女の目的も
わからず、『頂きます』とは
とても言えない。

もしかしたら緊張をほぐす
ためには、アルコールでも
入ってた方がいいのかも
しれないけど。


だけどこんなふうに連れて
来られたことで、もうほぼ
ハッキリした。


彼女の目的が仕事絡みと
いうことはありえないだろう。

彼女はあたしと内密の話が
したくて、こんな場所を
選んだんだろうから。


「……けっこうです」


あたしは短くそう言って
申し出を断り、ソファにも
座らずに立ち位置だけを変えた。

ソファの右、蘭子さんの
斜め前の位置に立つ。


_どう考えても、好意的な
話だという予感はしない。

それにさっきから、人を
威圧するような高圧的な
口調がどうにもカンに障る。

だからそれに対抗するための、
ささやかな強がりだ。


蘭子さんはそんなあたしを
見て、フッと微笑をもらすと、


「そう。それじゃあ、
さっそく本題に入らせて
頂くわね。

――あなたまだ、瞬也の
ことが好きなのかしら?」


「――――は?」


聞き返すまでに、たっぷり
数秒の時間を要した。


薄々柚木クン絡みだろうとは
察してた。

だけどそれでも、こんな
質問が飛んでくるとは
思ってもなかったから。


_(あたしが――柚木クンの
ことを好き――…!?)


蘭子さんの口調には、
これっぽっちも疑いがない。

なぜだかわからないけど、
彼女はそうだと思い込んでる
みたいだ。


「あ、今さらしらばっくれ
たりしないでいいのよ。
もう全部わかってるから。

今日は、あなたと腹を
割って話をしたいの」


「ちょっと待って下さい。

何ですか、全部わかってる
って?」


意味がわからない。

蘭子さんはあたしと柚木
クンのことをどこまで
知ってるの?

そしてどうして、あたしが
柚木クンを好きだなんて――。


(まさか、柚木クンがそう
言ったの……?)


_一瞬そんな思いがよぎった
けど、返ってきたのは全然
違う答えだった。


「あら、あなたも
気づいたんじゃないの?

――もう調べはついてるの。
あなたが瞬也のただの先輩
じゃなくて、ついこの間
までの同棲相手だったこと」


「―――――!?」


“調べはついてる”という
ワードに、敏感に脳が反応する。


「もしかして、あの怪しい
男の人――…!?」


「そうよ。私が雇った探偵。

でもとんだ出来損ないだったわ。

あなたに感づかれたみたい
だって言うから、早々に
調査は切り上げて、私が
直接出ることにしたんだ
けれどね」


_「探偵………」


……信じられない。


そんなことまでして、この
人はあたしのことを調べたんだ。


だけどどうして? 
一体、なんのために?


「瞬也から私のことは
聞いてないかしら?

私は彼の親代わり。離れて
暮らしていても、あの子の
生活ぶりを把握する義務が
あるでしょう?」


「なっ………」


シレッと言ってのける
神経に、彼女の人格を疑う。


義務だなんてよく言えたものだ。


たしかに、彼女は柚木クンの
親代わりだった。

だけどそんな彼女が柚木
クンにしたことは、とても
親の代わりを務める行為
じゃないし、第一彼は成人
して、今はもう養護される
立場じゃない。


_義務だなんて嘘だ。


この人は――自分の欲望の
ためにやってるに違いない。


(最低………!)


最初からいい感情は持って
いなかった。

だけど話をして、蘭子さん
への嫌悪感が見る間に明確な
形を持ってムクムクと胸を
覆い尽くす。


この人は、本当に柚木クンを
独占しようとしてる。

彼の気持ちなんてお構い無しに。


「……あなたは、柚木クンの
親代わりなんかじゃない。

住む所と食べ物を与えて、
利用しただけじゃないですか」


自分でも驚くほどの、嫌悪を
あらわにした声が出た。


頭の片隅で、この人は提携
先の社長なのよ! とハラ
ハラしてるもう一人の
自分の声もする。


_だけど一度声にしてしまえば、
感情はもうそんなものじゃ
抑えられない。

だってあたしはこの人を、
心底軽蔑するから。


「……なんだ、やっぱり
知ってるんじゃない」


蘭子さんの返事は、驚いた
様子もなくあっけらかんと
していた。


「まぁそれなら話は早いわ。

そうよ。瞬也は私のものなの。
そういう意味でね。

だから、離れていてもあの
子のことはちゃんと把握してる」


「何がっ……」


何が把握よ。探偵を使って
調べるなんて、ただの
プライバシーの侵害だ。


あたしの内心は煮え繰り
返っていたけれど、蘭子
さんは構わずに話を続けた。


_「今までも、ずっとこう
してきたわ。

だってどんな女の所に
行こうと、最終的に瞬也が
帰る場所はただひとつ
なんだもの。

それなのにあまりその気に
させちゃ、相手の女の子も
かわいそうでしょう?」


「は―――…?」


どういうこと?

それじゃあつまり……過去の
柚木クンの同居人にも、
蘭子さんは何らかの関与を
してきたってこと?
あたしにこんなことを言う
ように。


(もしかして柚木クンが
女の人の家を転々としてた
のは、それで……?)


蘭子さんが邪魔をする
から、どの人とも長続き
しなかったんだ。


_「どうしてそんなこと
するんですか?

あなたはもう柚木クンの
後見人じゃない。
どこに住んで何をしようが、
彼の自由なはずです!」


声を震わせてそう言うと、
蘭子さんは即座にフンッと
鼻で笑った。


「だから言ったでしょう?

後見人じゃなくても、瞬也は
私のものなんだって。

あの子だってそれは
わかってるの。ただ少し
旅をしたくて、私の家を
出ていたけどね」


「そんなっ………」


(違う。そんなの嘘だ――!)


たしかに柚木クンは言ってた。
『オレはずっと彼女の所有物だ』
なんてことを。


でもあの時の彼の表情は、
とてもそれを心から納得
して受け入れてるようには
見えなかった。


_どこか遠くを見て、虚ろな――
諦めたような、悲しい目だった。


(柚木クンは蘭子さんとの
こんな関係、心底望んでる
わけじゃない。

この人は、本当にそれに
気づいてないの……!?)


「瞬也だって、色んな女と
関わってきてるけれど、
どれも本気じゃないのよ。

現に、揉め始めたらいつも
スッと自分から引いて、
次の女の所へ行くって調子
なんだもの」


あたしの考えを裏付ける
ように、自信に満ちた声で
言う蘭子さん。


だけどその声が、唐突に陰った。


いきなりトーンの落ちた
声で、彼女はこう続けたんだ。


_「―――今までは、ね。

だけど今回だけは違うみたい。

……ねえあなた。私の
瞬也に、何か余計なことを
してくれたわね?」


「え―――…?」


思いがけない言葉に、
ドクンと鼓動が波打つ。


混乱する頭でその意味を
考えようとする前に、蘭子
さんは矢継ぎ早に次の言葉を
あたしに放った。


「だからとぼけないで。
わかってるって言ったでしょう。

瞬也は何でもないと言い
張ってる。でも私にはわかるの。

あの子があんなふうに
なるのは、初めてなんだから」


「柚木クンが、“あんな
ふうに”って……!?」


_彼は今、どうしてるのか。


最も気にしていたことに
話が及んで、あたしの
鼓動は一気に高まった。


「何でもないふうを装ってる
けど、てんで上の空よ。
心をどこかに落としてきた
みたいにね。

……最初からあの会社には
何かあるんだろうとは
思ってたわ。

取引してまで会社を救おうと
するなんて、瞬也らしく
ないもの」


「…………っ!」


確信は持ってたけど、
やっぱりそうだったんだ。

柚木クンが辞めたのは、
吸収合併から会社を救う
ため――…。


「だから今回も調べさせて
もらったわ。

あなたのことはすぐにわかった。

それに、あなたとは一度
会ってたわね?」


_談話スペースで二人の
会話を盗み聞きした時の
ことを言われてると気づき、
返す言葉に戸惑う。


「思えばあの後の瞬也の
態度も、どこかおかし
かったわ……」


独り言のようにポソリと
呟いて、次に蘭子さんは
キッと目を細めてあたしを見る。


そうして明らかな悪意を
含んだ声で、吐き捨てる
ように言い放った。


「ほんの数日同棲してた
だけのくせに、随分うまく
瞬也に取り入ったのね?

もしかしてあなた、ベッドの
上がお得意なのかしら?」


「なっ…………」


忌ま忌ましさが悪寒のように
背中を駆け登った。


本当に最低だ。
どうしてこの人は、そんな
目でしか見れないの。


_「あたしと柚木クンは、そんな
関係じゃありません……!」


グッと拳を握り、かすれる
声で答える。


「そんな関係じゃなかったら、
どんな関係なの。もしかして
真剣に愛し合ってるとでも
言うつもり?

だったらそれは、あなたの
思い過ごしよ」


「違いますっ……」


―――そうじゃない。

そんなことを言うつもりはない。


だけどこれだけは言える。


――蘭子さんは、間違ってる。

蘭子さんこそ、本当の
柚木クンをこれっぽっちも
見れてない。


「柚木クンを、解放して
あげて下さい。

こんなの彼がかわいそう……!」


_無意識のうちにそんな
言葉が出ていた。

言った後、自分自身で
驚いてしまう。


そして言葉を投げつけられた
当の蘭子さんは、スッと
眉間にシワを寄せて低く
唸るように言った。


「解放ですって? 
おかしなことを言うわね。

瞬也は望んで、私の元に
戻ってきたのよ」


「違う………っ!」


だからそれは取引だと、
さっき自分で言ったくせに。

柚木クンは本当は、そんな
こと望んでなかったはず。


「交換条件付きでも、それを
受け入れたことは事実。

もちろん、今も充分私に
尽くしてくれてるのよ。毎晩ね」


「………………!」


“毎晩”という言葉に
ズキッと胸が痛む。


_「ただ、どうにも余計な
ことを気にしてるみたい
だから、それを取り払って
あげたかったの。

……ねぇ、里中美咲さん。

これで、もう二度と瞬也に
関わらないと約束して
くれるかしら」


唐突に――本当に、あたしの
話も一切無視していきなり
彼女が取り出したものに、
あたしは目を真ん丸に見開いた。


バッグから出したらしい
それは、薄い茶色の封筒。

四角い何かを入れてある
ような、数センチの厚みが
あって……。


「――――――!」


お金――札束だと気づいた
途端、今まで以上に激しい
怒りが全身を駆け抜けた。


けれど蘭子さんは、そんな
あたしの異変には気づかずに
話を続ける。


_「約束さえしてくれれば、
今まで通り何も変わる
ことはないわ。

だけどもし約束してもらえ
ないなら、こちらも少し
困ったことになるかも」


「困ったこと……?」


「ええ。いずれ瞬也は、
うちの会社の幹部まで
のぼり詰める予定なの。

だけど提携企業に彼を
惑わす昔の女がいるなんて
ことになったら、彼も
やりづらいでしょう?」


――ああそっか。
あたしってば、鈍いな。


お金で片付けようとされてると
怒ってる場合じゃない。

つまりこれも、取引という
名の脅しだ。


(柚木クンとこれ以上
関わらないことを約束
しないと、あたしが辞め
させられるってわけね――)


_もちろん彼女には、それを
実行するだけの力がある。

彼女は本気だろう。


「最低―――…」


もう何度、この言葉を
繰り返したかしれない。



―――仕事か柚木クン、
どちらかを選べって?

冗談じゃない。そんなの、
天秤にかけるようなこと
じゃない。


それに仕事はあたしに
とって掛け替えのないものだ。


やりたくて選んだ、今の仕事。
苦しい時期もグッと堪えて、
ようやくチーフっていう
役職も得たのに。

手放すことなんて、できる
わけない。


「あたしは――…」


迷いは不思議となかった。


あたしは深く息をついて、
まっすぐに目の前の蘭子
さんを睨みつけた―――。





     ☆☆☆☆☆


_
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