ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
5 平穏なオフィスライフの、守り方
     ☆☆☆☆☆



出勤に頭痛が伴ったのは、
久しぶりかもしれない。

それも、偏頭痛でも二日酔い
でもない、特殊な方の頭痛で。


そうつまり――文字通り、
“頭が痛い”っていう状態。


(どんな顔してアイツに
会えばいいのよ……)


もはやあたしの中の彼の
ランクはガクンと下がり、
アイツ呼ばわり。


それでも、会わなくちゃ
いけない。
そして話もしないといけない。

なんせあたしは、始末書を
預かるのも、もっと言えば
あたしがするべきだった
戸締まりも忘れて、オフィスを
飛び出したんだから。


_「おはよー美咲!
昨日忙しかった~?」


入口前の廊下で奈々と
出くわした。


いっそ奈々に任せられたらな。


でも昨日の件に関しては、
あくまであたしが対応
上司になるから無理。


「忙しかったよ。
……色んな意味で」


「は? 何、色んな意味って?」


「………何でもない」


げんなりと肩を落としながら、
怪訝な顔をしてる奈々と
オフィスに入る。


オープンな広いスペースに、
チームごとに向かい合う
形で並ぶ机。


あたしの席とは隣の島になる
奈々チームの席に、アイツは
涼しい顔で座ってた。


_誰かが入ってきたからって
顔をあげることもない。


直接間近で挨拶されない
限り見向きもしないのは、
いつものことだ。

でも今日は、その態度が
やたら気に障る。


昨日ダテだと判明した眼鏡も、
今日はまた当然のように
かけて、いつもと同じ顔で。

昨日この場所で、あたしに
あんなことをしたくせに――…。


(……こ、こらっ。
思い出すんじゃない!)


自分で自分を叱咤して、
あたしは席に荷物を置くと
小さく深呼吸をした。

そして、キッとその憎らしい
姿を見据えて、歩み寄る。


「―――柚木クン」


_柚木クンが黙ってあたしを
見上げた。


その顔にあたしは精一杯の
落ち着いた声で、


「始末書、今渡してくれる?」


“昨日受け取らなくてゴメン”
くらい言ってもいいのかも
しれないけど、そもそもの
原因はコイツ。


だから前置きも何もなく、
それだけ言ってやった。


相手はどう出るかと正直
緊張してたけど、柚木クンは
普段となんの代わりもない、
感情の見えない無表情で、


「――はい。
よろしくお願いします」


と言って、机の脇に置いて
あった紙を、あたしに手渡す。


それっきりもうあたしを
見ようともせず、パソコン
画面に視線を戻した。


_(……そ、それだけ?)


夕べのことは、ここでは
完全になかったことにする
気なんだろうか。


あまりに拍子抜けする
反応に、ついその場で
ア然としてると、


「……まだ、他に何か?」


いかにもあたしがおかしい
ような言い方で尋ねてくる。


あたしはついカッとなって、
素直に気になってたことを
口にしてしまった。


「と、戸締まりはどうしたの?

ここの鍵の場所とか――…」


「――ああ。
よくわからなかったんで、
その防災センターとやらに
聞いてやりました。

重ねて怒られましたんで
謝っといて下さい」


_「そ、そう………」


たしかに鍵の保管場所や
施錠箇所を知ってるのは、
大竹課長か各チーフだけ。

毎日該当者の誰かが施錠して
防災センターに鍵を返却
することになってるけど、
そんなこと彼は知らないから、
どうしたか気になってたんだ。


でもどうやら、機転を
きかせて対応してくれたらしい。

その点にだけは、カケラ
ほどだけど、感謝するべきかも。


「……わかったわ」


若干イヤミっぽい言い方には
目をつむって、あたしは
それだけを答えた。


と、自分の席であたし達の
会話を聞いてたらしく、
奈々が話に割り込んでくる。


「なになに、どーした?
昨日、なんかあったの?」


_「なんでもな――…」


後ろめたさからとっさに
そう答えかけたけど、
考えてみればお客と揉めて
始末書案件になったことは
報告しとかないといけない。

なんせ、柚木クンの本当の
上司は奈々なんだから。


「……あっちで話すわ。
行こう、奈々」


オフィスに隣接した小さな
ミーティングルームを指で
示して、あたしは奈々の
方に近寄った。


柚木クンの顔は見ないように、
背中を向けて。





     ☆☆☆☆☆


_     ☆☆☆☆☆



「あの柚木クンがねー。

ホント意外。見てみたかったわ」



―――昼休み。


会社近くのカフェでランチを
食べながら、奈々が言う。


朝のうちに、始末書を書く
ことになった顛末だけを
簡潔に話した。


もちろんその後起こった
ことは恥ずかしくて
言えないから、彼がそれを
“客がウザかったから”と
話したことは秘密だけど。


当然のごとく、奈々は
信じられないって顔で驚いて、
今もまたこうして繰り返してる。

……昨日の柚木クンさえ
知らなければ、至極頷ける
反応だ。


_だけど、あたしは知って
しまった。
あの眼鏡の奥に潜んでた、
彼の本当の顔を。


(奈々は騙されてるのよ。

奈々だけじゃない――
会社の人間、みんな)


アイツが本当はとんでもない
S系エロ男なんだって、
バラせるならバラしてやりたい。


だけどそれはイコール、
夕べあったことをみんなに
打ち明けること。


年下の部下にいいように
翻弄されたなんて、とても
じゃないけど言えない……。



―――ものすごく悔しい
けど、あたしは口をつぐむ
しかなかった。


今も返す言葉の出なかった
あたしを、奈々は不思議
そうに見て、


「どうしたの? 

なんか今日、全然元気ない
じゃん。その始末書の件で
落ち込んでんの?」


_「え? そ、そんなこと
ないわよ。

っていうかあたしが落ち
込むようなことじゃないじゃん」


慌ててごまかして、ストローで
アイスティをゴクリと飲む。


“元気ない”だなんて――
何だかあたしが昨日のことで
調子を崩してるみたいなのが、
妙にくやしかった。


(――もう忘れよう。

柚木クンだって、何事も
なかったように素知らぬ
顔してたじゃない)


彼がなぜ本性を隠してるのかも、
夕べあたしにその片鱗を
覗かせたのかも、あたし
には知りようもない。


だけど、向こうがそれを
なかったことにしようって
いうなら、それでいい。

ううん、むしろその方が
ありがたい。


_チームは違えど、これからも
同じオフィスで働く仕事仲間。

おまけに一応上司と部下で――
本当はあんなこと、絶対
あっちゃいけなかった。


それにあたしには、拓巳
っていう彼氏だっている。

今まで拓巳に後ろめたい
ことなんて何一つなかった
のに、アイツのせいで初めて
拓巳に隠さないといけない
事実ができてしまった。



――どちらの面から考えても、
なかったことにした方がいい。

だからあたしも、全部
忘れてしまった方がいいんだ。


(――うん、そうよ。
もう、思い出さない)


“夕べのことは、忘れる”


_改めて胸の内で繰り返して、
あたしは気分を変えるように
明るい声を出した。


「それよりさ。今日もまた、
飲みに行こうよ」


「え、今日? 

んー…給料日前だし、
安いとこならいいけど」


「いいよ、どこでも。
んじゃ決定ね」


なかば強引に押し切って
奈々にウンと言わせると、
止まってた食事を再開する。


食べ終わってしばらく雑談
して、それから店を出た。


会社のあるビルのエントランス
まで来たところで、バッグの
中で携帯が鳴り、あたしは
立ち止まる。


「あ……拓巳だ」


「ん? メール?」


_「ううん、電話」


昼休みだとわかってるから
かけてきたみたいだ。


奈々が目線でOKをくれたので、
あたしは電話に出た。


「もしもし?」


『あ、もしもし俺。
大丈夫? 休憩だった?』


「うん。今会社に戻ろうと
してたとこ。

どうしたの?」


『ああ。なんかさ、今日
早く終われそうなんだ。

それで、この間のお詫びに
食事でもどうかと思って』


「え? 今日……?」


なんてバッドタイミング。

ついさっき、奈々と飲みに
行くことにしたばかりだ。


「えーと、ゴメン、今日は……」


『ん? なんだ、ムリか?』


_「うん、ちょっと友達と
約束が……」


とそこまで口にした時、
ツンツンと左の腕がつつかれる。


見ると、奈々がニヤニヤ
した笑いを浮かべて、
小声で囁いてきた。


「あたしはいいわよ。

女友達とのビンボー飲み会
より、彼氏でしょ」


「え、でも……」


あたしの方が誘ったのに。


「いいってば。拓巳クンと
仲良くやんなさい。

あたし、先に行ってるね」


ポンポンとあたしの肩を
叩き、奈々はエレベーター
ホールへと歩き出す。

気をきかせてくれたらしい。


(うー、ゴメンね、奈々)


『……美咲? どうしたんだよ』


_「あ、ゴメン。

友達と飲み行こうかって
話もあったんだけど、
なくなった。だから大丈夫よ」


ここは素直に奈々の好意に
甘えて、あたしは拓巳に
そう告げた。


……実際、会えるなら
拓巳に一番会いたい。

そうすればきっと、どうでも
いいこととか、スパッと
忘れられる。


『そっか。

それじゃあまた、俺が
そっち向かっとくよ。
7時半くらいでいい?』


「うん、いいよ。
あたしも終わったら拓巳に
電話する」


『ああ。んじゃ夜にな」


通話が切れたことを確認
してから、携帯を下ろし、
折りたたんでバッグにしまう。


_まだ時間に余裕はあるけど、
少し急ぎ足で歩き出そうと
した、その時だった。


「へぇ。彼氏サン、拓巳
っていうんですか」


突如、真後ろから聞こえて
きた声。


その声を耳にした途端、
あたしはギクリと体を硬直
させる。


(嘘……なんで……?)


あの時間はなかったことに
するんじゃなかったの?


そう思ってたのに――
どうして――…。


「柚木クン……」


きしむ体を何とか動かして
振り返ると、柚木クンは
レンズの奥の瞳を少し細めて、
ジッとあたしを見ていた。


「デートの約束ですか?」


_平淡な声。

でもその声に微かにからかう
ような色があるのを、
あたしは敏感に察する。


―――わかる。

敬語を使ってるけど、これは
いつもの“柚木クン”じゃない。


「……あなたに関係ないわ」


どうしてまた、声をかけて
くるのか。


わからないけど、とにかく
関わらない方がいい。


振り切って立ち去ろうと
したあたしを、だけど柚木
クンは、容赦なく引き止めた。

……ナイフのような、言葉で。


「意味あるんですか?

自分を満たしてくれない
彼氏なんて」


「……………っ!?」


本当になんてヤツ。

こんな所で、夕べと全く
同じ言葉を重ねてくるなんて。


_「……やめて!」


聞きたくもない。

もちろん、答えるつもり
だってない。


「無益だなぁ。

どうしてそんな無益な
関係にしがみつくのか、
オレにはサッパリだ。

里中さんって案外、
子供だったんですね」


「なっ――…!?」


はらわたが煮え繰り返るって、
こういうことを言うんだろうか。

怒りで瞬時に頬が熱くなる。


どうして彼に、馬鹿にした
ようにこんなことを言われ
なきゃならないの。


「何も知らないくせに、
勝手なこと言わないでよ……!」


低く唸りのように吐き
捨てると、柚木クンはごく
小さな声でフッと笑った。


_そして、わずかにあたしの
耳に顔を寄せ、悪魔の
ような囁き声で、


「何も、じゃないですよ。

少なくとも、あなたがその
拓巳って彼氏に満足して
ないことは知ってる」


「………!? 決めつけないで!
そんなことはないわ!」


「あるでしょう?

でなきゃ、どうして昨日
オレに感じたりしたのかな」


「かっ――…」


―――感じてなんか、ない。


そんなこと――絶対に――…。


「………あれ? 
反論しないんですか?」


白々しい口調に、嘲りの
感情が滲み出てる。


………悔しい。


こんな屈辱を感じたのは、
きっと初めてだ。


_「マンネリにウンザリしてても、
抜け出そうとしない。

里中さんは怖がりなんですね」


「………は? 何言って――…」


「そうでしょ?

だからそんなの、オレに
してみれば子供だって
言ってるんです。

それに馬鹿げてる。
好きでもない相手と、
無益なセックスを繰り返す
なんてね」


「―――――っ!!」


――もう、我慢の限界だった。


あたしはキッと柚木クンを
睨みつけると、右手で彼の
頬を思い切り打った。


パシーンという高い音が、
エントランスの天井に
反響して響いてる。


周囲の視線が集まるのにも
気づいたけど――もうそんな
ものは、かまってられなかった。


_「あなたに、偉そうに
あたしのこと言う権利
なんてあるの……!?」


掌に広がる痺れをぼんやりと
感じながら、怒りで震える
声を叩きつけると。


……柚木クンは打たれた頬を
軽く押さえながらあたしを
見て、また、ガラスの
向こうの目をスッと細める。

まるで、何か眩しいもの
でも見つめるように。


そして一拍の沈黙の後、
抑揚のない低い声でこう言った。


「――権利なんて知らないよ。

けど、忘れてないよね?

……夕べのお仕置きは、
まだ、終わってないから」


_「な―――…!?」


呆然とするあたしを、
それ以上見ることもなく。


柚木クンはスッとあたしを
追い越すと、何事もなかった
ように、エレベーターへと
歩いていった……。






     ☆☆☆☆☆



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