ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
7 平凡な幸せの、信じ方
☆☆☆☆☆
思いがけない遭遇は、
その翌日だった。
昨日の拓巳とのことを
思うとどうにもやり切れ
なくて、あたしは一日、
沈んだ気分だった。
仕事が終わる頃には心身共に
疲弊してて、ウサ晴らし
でもしたいって気分。
でも奈々に打ち明けられる
話じゃないから、結局
あたしは一人で飲みに行く
ことにした。
しょっちゅうは行かない
けど、一人でお酒を飲む
のも嫌いじゃない。
一人の時はもっぱら落ち
着いたバーで、あたしの
行きつけは駅前の裏路地に
ある《Moon Drop》って
いうお店。
_マスターはおっとりした
温厚な男の人で、店の
雰囲気もいい。
マスターと雑談でもして、
気分転換しよう。
そう決めて、会社を出ると
まっすぐにその店に向かった。
中に入るとまだ早い時間
だからかお客は少なくて、
あたしはカウンターの
真ん中に陣取る。
好きなマティーニを
オーダーして、口をつけて。
マスターに『けっこう
久しぶりだね?』って
言われたから、『そうですね』
と返していた、その時だった。
カランカランと呼び鈴が
鳴って、店内に新たな客が
入ってきたことを告げる。
_扉はちょうど真後ろになる
から、あたしにはその客の
姿を見ることはできない。
でも足音でなんとなくその
動きはわかり――
何の気無しに耳を傾けてると、
足音はなんとあたしのすぐ
右隣りで止まった。
気配を感じて顔を上げると
同時に、耳に飛び込んで
くる無機質な声。
「ジンリッキーね」
「―――――っ!?」
グラスを持ってた指先が、
完全に凍る。
なんで――どうして、彼が
ここに――…!?
「柚木クン――!?」
小さく叫んだあたしを
チラリと見て、柚木クンは
涼しい顔で椅子に座った。
それを見て、マスターが
『あれ、知り合い?』と
呑気に笑う。
_声も出ないあたしの代わりに、
柚木クンが営業スマイルで
『同僚です』と答え、納得
したマスターはオーダーの
カクテルを作り始めた。
当然のように隣でそれを
眺めてる柚木クンを、
あたしは信じられない物
でも見るように見つめ、
「……どうしてここに……?」
「決まってるよ。ついて来た」
敬語ではないあの時と同じ
口調で言いながら、柚木
クンは眼鏡を外した。
そしてそれを、やっぱり
あの時と同じように、
胸ポケットにしまう。
頬に浮かぶ薄い笑みが、
何だか怖かった。
もう、当然のようにこの
表情を見せてくる、この男が。
_「なんで、ついて来るの……!」
「話をしたかったから、
以外にある?
変なこと聞くね」
「ふざけないで。
あたしは柚木クンと話す
ことなんて……!」
「あるんじゃない?
今日の里中さん、ずいぶん
面白かったじゃん。
一日中憂鬱そうな顔して」
「……………っ!」
見られてた?
そして、気づかれてた?
だけど、だからって
どうして――…。
「夕べ彼氏と何かあったでしょ?
その話を聞きに来たんだ」
「―――――!?」
背筋がいっそう寒くなった。
どうして全部見抜かれて
るんだろう。
本当に……悔しい。
_「教えてよ。とうとう
気づいたんじゃないの?
“拓巳サン”との関係に、
飽き飽きしてるんだって
ことにさ」
「―――違う!」
語尾を遮るように、
あたしは即座に叫んだ。
柚木クンはおかしそうに
目を丸くしてあたしを見てる。
会話が途切れたのを見計らって
マスターが柚木クンの前に
カクテルを置き、彼は
それを一口飲んだ。
そして、フッと小さく息を
つくと、
「意地になってる子供みたい。
何をそんなにしがみ
ついてるのかな」
「しがみつく……?」
意味がわからない。
あたしが何にしがみついてる
っていうの。
_ううん――あたしは別に
何にも、しがみついて
なんかない。
だからもう、やめて。
わけのわからない言葉で
あたしを振り回すのは、
もうやめてよ。
「どうしてあたしに
まとわり付くの?
あのお客様との仲裁したのが、
そんなにムカついた?
だけどそんなの、あたし
には――」
あたしはただ、自分の
仕事をしただけだ。
それで柚木クンがあたしを
疎もうが嫌おうが勝手だし、
素顔を見せたって別に
かまわない。
ただ、知ってるだけなら。
でもこんなふうに、その
素顔であたしに踏み込んで
こられたら困る。
あたしはそんなのこれっ
ぽっちも求めてないのに、
反則だ。
_「どうしてあたしがこんな
目にあわなきゃいけないのよ。
あたし、そこまで柚木クンに
恨まれる覚えはないわ」
高ぶる声を出来るだけ
抑えて、一気にまくし立てた。
柚木クンは、時々グラスを
傾けながら黙ってそれを
聞いてる。
そしてあたしの言葉が
途切れたのを見て取ると、
コトンとグラスを
コースターに戻して、
「だから、オレを怒らせた
お仕置きだって言ってるじゃん」
「お仕置きってそんなの――!!」
元々見当違いな怒りなのに、
それこそふざけた話。
批判の言葉を叩きつけようと
したけれど――その声を、
柚木クンが思いがけない
言葉で奪った。
_「―――だったけど。
今となってはもう、里中さんが
罪を上塗りしてるんだよ」
「―――は―――…?」
罪を、上塗り?
本当にコイツは、何を
言って――…。
「お仕置きだって言ってる
のに、感じたりするから。
だからオレも、やめる気
なくなったんじゃないか」
「なっ………!?」
全身が火をつけられた
ように熱くなる。
恥ずかしさと怒りで、
視界がチカチカした。
かすかに震えてるのすら
自覚できるあたしを、柚木
クンは哀れむように見下ろして、
「満たされてないのに
満たされてるって言い訳
するのって、自分は幸せ
だって言い聞かそうとしてる
みたいで、虚しくない?
そういうの大嫌い
なんだよね、オレ」
_(何……? 何を言って……?)
「本当は少しも満足して
ないのに、平凡な現状に
安穏と浸かりたくて、幸せ
だって思い込もうとする。
そういう人間見てると、
とことん壊してやりたく
なってくるんだ」
どこか独り言のように話す
柚木クンの瞳の奥に、
不思議な色の光が見える。
暗く濁ってるようでいて、
なぜか目を引きつけて離さない。
そんな、不思議な輝き。
あたしはそれを見つめ
ながら、出口のない迷路に
連れ込まれたような錯覚に
陥ってた。
(どういうこと?
柚木クンは、あたしが
そんな人間だって言いたいの?
だから、“壊し”たいって……)
_横暴だ。
道理も何もない、
目茶苦茶な言い分。
あたしはそんな人間じゃない。
拓巳とつき合って3年。
新鮮さはなくなってもごく
円満に過ごしてるのに、
それのどこがいけないって
いうの――…?
「まだ気づいてないの?
ホントにしょうがないな。
だから、オレが教えて
あげるって」
ふいに柚木クンが体を
寄せてきて、あたしは
ビクッと飛び上がった。
後ろにのけ反ろうとした
けど、彼は素早い動きで
あたしの腕を掴んでそれを
阻むと、
「オレとこの間の続きを
すればわかるよ。
気づかせて――里中さんを、
メチャクチャにしたい」
_「やめて―――…」
あたしはそんなこと、
望んでない。
あたしは、柚木クンの言う
ような女じゃ、ないんだから。
「離してっ……!」
かすれる声で叫んで、
あたしは力一杯柚木クンの
手を振り払った。
と同時に、転げ落ちるように
高い椅子から降り、下に
置いてた荷物を掴む。
「あ、ちょっとっ……!」
制止の声を聞かずに、一目散に
出口のドアを飛び出した。
少しでも早く、彼の元を
離れよう。
これ以上、あたしの心が
グチャグチャに壊されない
うちに。
ただそれしか、
頭になかった――…。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
飛び乗ったタクシーの
中で、拓巳に電話する。
でも、留守電になって
応答はなかった。
時刻は9時前。
もしかしたらまだ残業
してるかもしれないけど、
帰宅の移動中だってことも
充分有り得る。
(メールしとこう。
いいよね、いなかったら
中に入ってても……)
お互い合い鍵は持ってる。
あたしの部屋より使用頻度は
少なくても、勝手知ったる
彼氏の部屋だ。
――夕べちゃんと拓巳に
抱かれていれば、こんな
ことにはならなかったの
かもしれない。
くだらないことを思い
出して迷ったあたしが
馬鹿だったんだ。
_今からでもやり直せるなら、
やり直そう。
もう一度拓巳に会って
キスをして、そうして今度は
ちゃんとセックスしよう。
拓巳に抱かれて、拓巳を
愛してるってことを認識する。
そうして、あたしも
愛されてるってことを
再確認する。
そうすればきっと、この
冷たい心も温まるはず。
(拓巳―――…)
はやる心を乗せて、タクシーは
ようやく拓巳のマンション
前に停車した。
もどかしく支払いを済ませ、
念のためもう一度携帯
画面をチェックする。
拓巳からの返信は、ない。
_(今日は忙しいのかな……)
そんなことを考えながら、
正面口のオートロックを
鍵で解除した。
エレベーターに乗り、
3階の拓巳の部屋に向かう。
そっとドアノブに鍵を差し
込んで回すと、カチャリと
開く音。
ドアを開いて入った玄関は
暗かった。
正面の1LDKの部屋に続く
ドアからも、漏れる光はない。
(やっぱり、まだ帰って
ないんだ)
靴を脱ぎ、短い廊下を進んだ。
奥に続くドアにためらい
なく手をかけて――その
瞬間、あたしの体は硬直する。
(え―――…いる……?)
明かりのないドアの向こう
から、人の気配がした。
_気配――もっとはっきり
言えば、人の声と、微かな物音。
(え――どうして――…)
電気もついてないのに。
閉ざされたドアの向こう
から聞こえてくるのは、
途切れ途切れの話し声と、
何かが軋む、鈍い音――。
「はっぁ……っんぁ……っ。
やっ、係長……もっとぉっ」
「係長じゃないだろ。
名前で呼べって」
「ああぁっ、拓巳……
拓巳ぃ……!」
そんな会話と、入り乱れる
息遣い。
そしてその合間に聞こえる
物音は――もう、わかり
きってる。
ベッドの、軋む音だ。
_「ウ……ソ………」
状況が飲み込めた瞬間――
あたしは持ってた荷物を、
ドサリと床に落とした。
硬いフローリングの上で、
大きな物音がする。
耳の端で微かに、
『きゃっ、何!?』という
かわいい叫びを聞いた
ような気がした。
ドアの向こうで起こる、
今までとは違う気配。
バタバタとこっちに
近づいてくる足音。
あたしはもうどうしたら
いいのかわからず、ただ
呆然とその場に立ち尽くしてた。
やがて内開きに開いた
ドアを挟んで、あたしは
対峙する。
――裸の腰にバスタオルを
巻いただけの姿の、拓巳と。
_「美咲っ――!?」
幽霊でも見たような顔で
凍りつく拓巳の後ろに、
同じくシーツを巻き付けて
ベッドに体を起こしてる、
知らない女の子も見えた。
……かわいい顔をした子だ。
あたしより、4,5歳は若そう。
「み、美咲……なんでっ……!?」
こんなにうろたえる拓巳を
見たのは、間違いなく
初めてだね。
「………いつから………?」
――いつからだったの、拓巳?
こんなの悲劇じゃない。
これじゃまるで、喜劇だ。
「ね――拓巳――…?」
教えてよ。
どっちが浮気でどっちが
本命とか、そんなことは
どうでもいい。
_ただ、あたしはいつから
幻相手に恋をしてたのか。
それを、教えて。
「……ゴメン」
拓巳はそれ以外、何も
言わなかった。
弁明も、それ以上の謝罪も
しない。
彼が最後にあたしにくれた
のは、その、たった三文字
だけだった。
「……………っ!!」
………バッカみたい。
“新鮮味はなくなっても、
平凡な幸せ”?
それは一体、何だったんだろ。
そんなものは、どこにも
なかったのに。
あたしはただ幻影を抱き
ながら、それなりに平和
だと、錯覚してただけ
だったんだ。
_情けなさすぎて、涙も出ない。
出ない……はずなのに、
あれ? 頬を伝うこの雫は、
何……?
(泣くんじゃないわよ。
笑いなさいよ……!)
自分自身に、必死で言い
聞かせる。
だってそうじゃなきゃ。
こんなあたしは、今にも
消えてしまいたいくらい、
ミジメ過ぎるじゃない――。
☆☆☆☆☆
_
思いがけない遭遇は、
その翌日だった。
昨日の拓巳とのことを
思うとどうにもやり切れ
なくて、あたしは一日、
沈んだ気分だった。
仕事が終わる頃には心身共に
疲弊してて、ウサ晴らし
でもしたいって気分。
でも奈々に打ち明けられる
話じゃないから、結局
あたしは一人で飲みに行く
ことにした。
しょっちゅうは行かない
けど、一人でお酒を飲む
のも嫌いじゃない。
一人の時はもっぱら落ち
着いたバーで、あたしの
行きつけは駅前の裏路地に
ある《Moon Drop》って
いうお店。
_マスターはおっとりした
温厚な男の人で、店の
雰囲気もいい。
マスターと雑談でもして、
気分転換しよう。
そう決めて、会社を出ると
まっすぐにその店に向かった。
中に入るとまだ早い時間
だからかお客は少なくて、
あたしはカウンターの
真ん中に陣取る。
好きなマティーニを
オーダーして、口をつけて。
マスターに『けっこう
久しぶりだね?』って
言われたから、『そうですね』
と返していた、その時だった。
カランカランと呼び鈴が
鳴って、店内に新たな客が
入ってきたことを告げる。
_扉はちょうど真後ろになる
から、あたしにはその客の
姿を見ることはできない。
でも足音でなんとなくその
動きはわかり――
何の気無しに耳を傾けてると、
足音はなんとあたしのすぐ
右隣りで止まった。
気配を感じて顔を上げると
同時に、耳に飛び込んで
くる無機質な声。
「ジンリッキーね」
「―――――っ!?」
グラスを持ってた指先が、
完全に凍る。
なんで――どうして、彼が
ここに――…!?
「柚木クン――!?」
小さく叫んだあたしを
チラリと見て、柚木クンは
涼しい顔で椅子に座った。
それを見て、マスターが
『あれ、知り合い?』と
呑気に笑う。
_声も出ないあたしの代わりに、
柚木クンが営業スマイルで
『同僚です』と答え、納得
したマスターはオーダーの
カクテルを作り始めた。
当然のように隣でそれを
眺めてる柚木クンを、
あたしは信じられない物
でも見るように見つめ、
「……どうしてここに……?」
「決まってるよ。ついて来た」
敬語ではないあの時と同じ
口調で言いながら、柚木
クンは眼鏡を外した。
そしてそれを、やっぱり
あの時と同じように、
胸ポケットにしまう。
頬に浮かぶ薄い笑みが、
何だか怖かった。
もう、当然のようにこの
表情を見せてくる、この男が。
_「なんで、ついて来るの……!」
「話をしたかったから、
以外にある?
変なこと聞くね」
「ふざけないで。
あたしは柚木クンと話す
ことなんて……!」
「あるんじゃない?
今日の里中さん、ずいぶん
面白かったじゃん。
一日中憂鬱そうな顔して」
「……………っ!」
見られてた?
そして、気づかれてた?
だけど、だからって
どうして――…。
「夕べ彼氏と何かあったでしょ?
その話を聞きに来たんだ」
「―――――!?」
背筋がいっそう寒くなった。
どうして全部見抜かれて
るんだろう。
本当に……悔しい。
_「教えてよ。とうとう
気づいたんじゃないの?
“拓巳サン”との関係に、
飽き飽きしてるんだって
ことにさ」
「―――違う!」
語尾を遮るように、
あたしは即座に叫んだ。
柚木クンはおかしそうに
目を丸くしてあたしを見てる。
会話が途切れたのを見計らって
マスターが柚木クンの前に
カクテルを置き、彼は
それを一口飲んだ。
そして、フッと小さく息を
つくと、
「意地になってる子供みたい。
何をそんなにしがみ
ついてるのかな」
「しがみつく……?」
意味がわからない。
あたしが何にしがみついてる
っていうの。
_ううん――あたしは別に
何にも、しがみついて
なんかない。
だからもう、やめて。
わけのわからない言葉で
あたしを振り回すのは、
もうやめてよ。
「どうしてあたしに
まとわり付くの?
あのお客様との仲裁したのが、
そんなにムカついた?
だけどそんなの、あたし
には――」
あたしはただ、自分の
仕事をしただけだ。
それで柚木クンがあたしを
疎もうが嫌おうが勝手だし、
素顔を見せたって別に
かまわない。
ただ、知ってるだけなら。
でもこんなふうに、その
素顔であたしに踏み込んで
こられたら困る。
あたしはそんなのこれっ
ぽっちも求めてないのに、
反則だ。
_「どうしてあたしがこんな
目にあわなきゃいけないのよ。
あたし、そこまで柚木クンに
恨まれる覚えはないわ」
高ぶる声を出来るだけ
抑えて、一気にまくし立てた。
柚木クンは、時々グラスを
傾けながら黙ってそれを
聞いてる。
そしてあたしの言葉が
途切れたのを見て取ると、
コトンとグラスを
コースターに戻して、
「だから、オレを怒らせた
お仕置きだって言ってるじゃん」
「お仕置きってそんなの――!!」
元々見当違いな怒りなのに、
それこそふざけた話。
批判の言葉を叩きつけようと
したけれど――その声を、
柚木クンが思いがけない
言葉で奪った。
_「―――だったけど。
今となってはもう、里中さんが
罪を上塗りしてるんだよ」
「―――は―――…?」
罪を、上塗り?
本当にコイツは、何を
言って――…。
「お仕置きだって言ってる
のに、感じたりするから。
だからオレも、やめる気
なくなったんじゃないか」
「なっ………!?」
全身が火をつけられた
ように熱くなる。
恥ずかしさと怒りで、
視界がチカチカした。
かすかに震えてるのすら
自覚できるあたしを、柚木
クンは哀れむように見下ろして、
「満たされてないのに
満たされてるって言い訳
するのって、自分は幸せ
だって言い聞かそうとしてる
みたいで、虚しくない?
そういうの大嫌い
なんだよね、オレ」
_(何……? 何を言って……?)
「本当は少しも満足して
ないのに、平凡な現状に
安穏と浸かりたくて、幸せ
だって思い込もうとする。
そういう人間見てると、
とことん壊してやりたく
なってくるんだ」
どこか独り言のように話す
柚木クンの瞳の奥に、
不思議な色の光が見える。
暗く濁ってるようでいて、
なぜか目を引きつけて離さない。
そんな、不思議な輝き。
あたしはそれを見つめ
ながら、出口のない迷路に
連れ込まれたような錯覚に
陥ってた。
(どういうこと?
柚木クンは、あたしが
そんな人間だって言いたいの?
だから、“壊し”たいって……)
_横暴だ。
道理も何もない、
目茶苦茶な言い分。
あたしはそんな人間じゃない。
拓巳とつき合って3年。
新鮮さはなくなってもごく
円満に過ごしてるのに、
それのどこがいけないって
いうの――…?
「まだ気づいてないの?
ホントにしょうがないな。
だから、オレが教えて
あげるって」
ふいに柚木クンが体を
寄せてきて、あたしは
ビクッと飛び上がった。
後ろにのけ反ろうとした
けど、彼は素早い動きで
あたしの腕を掴んでそれを
阻むと、
「オレとこの間の続きを
すればわかるよ。
気づかせて――里中さんを、
メチャクチャにしたい」
_「やめて―――…」
あたしはそんなこと、
望んでない。
あたしは、柚木クンの言う
ような女じゃ、ないんだから。
「離してっ……!」
かすれる声で叫んで、
あたしは力一杯柚木クンの
手を振り払った。
と同時に、転げ落ちるように
高い椅子から降り、下に
置いてた荷物を掴む。
「あ、ちょっとっ……!」
制止の声を聞かずに、一目散に
出口のドアを飛び出した。
少しでも早く、彼の元を
離れよう。
これ以上、あたしの心が
グチャグチャに壊されない
うちに。
ただそれしか、
頭になかった――…。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
飛び乗ったタクシーの
中で、拓巳に電話する。
でも、留守電になって
応答はなかった。
時刻は9時前。
もしかしたらまだ残業
してるかもしれないけど、
帰宅の移動中だってことも
充分有り得る。
(メールしとこう。
いいよね、いなかったら
中に入ってても……)
お互い合い鍵は持ってる。
あたしの部屋より使用頻度は
少なくても、勝手知ったる
彼氏の部屋だ。
――夕べちゃんと拓巳に
抱かれていれば、こんな
ことにはならなかったの
かもしれない。
くだらないことを思い
出して迷ったあたしが
馬鹿だったんだ。
_今からでもやり直せるなら、
やり直そう。
もう一度拓巳に会って
キスをして、そうして今度は
ちゃんとセックスしよう。
拓巳に抱かれて、拓巳を
愛してるってことを認識する。
そうして、あたしも
愛されてるってことを
再確認する。
そうすればきっと、この
冷たい心も温まるはず。
(拓巳―――…)
はやる心を乗せて、タクシーは
ようやく拓巳のマンション
前に停車した。
もどかしく支払いを済ませ、
念のためもう一度携帯
画面をチェックする。
拓巳からの返信は、ない。
_(今日は忙しいのかな……)
そんなことを考えながら、
正面口のオートロックを
鍵で解除した。
エレベーターに乗り、
3階の拓巳の部屋に向かう。
そっとドアノブに鍵を差し
込んで回すと、カチャリと
開く音。
ドアを開いて入った玄関は
暗かった。
正面の1LDKの部屋に続く
ドアからも、漏れる光はない。
(やっぱり、まだ帰って
ないんだ)
靴を脱ぎ、短い廊下を進んだ。
奥に続くドアにためらい
なく手をかけて――その
瞬間、あたしの体は硬直する。
(え―――…いる……?)
明かりのないドアの向こう
から、人の気配がした。
_気配――もっとはっきり
言えば、人の声と、微かな物音。
(え――どうして――…)
電気もついてないのに。
閉ざされたドアの向こう
から聞こえてくるのは、
途切れ途切れの話し声と、
何かが軋む、鈍い音――。
「はっぁ……っんぁ……っ。
やっ、係長……もっとぉっ」
「係長じゃないだろ。
名前で呼べって」
「ああぁっ、拓巳……
拓巳ぃ……!」
そんな会話と、入り乱れる
息遣い。
そしてその合間に聞こえる
物音は――もう、わかり
きってる。
ベッドの、軋む音だ。
_「ウ……ソ………」
状況が飲み込めた瞬間――
あたしは持ってた荷物を、
ドサリと床に落とした。
硬いフローリングの上で、
大きな物音がする。
耳の端で微かに、
『きゃっ、何!?』という
かわいい叫びを聞いた
ような気がした。
ドアの向こうで起こる、
今までとは違う気配。
バタバタとこっちに
近づいてくる足音。
あたしはもうどうしたら
いいのかわからず、ただ
呆然とその場に立ち尽くしてた。
やがて内開きに開いた
ドアを挟んで、あたしは
対峙する。
――裸の腰にバスタオルを
巻いただけの姿の、拓巳と。
_「美咲っ――!?」
幽霊でも見たような顔で
凍りつく拓巳の後ろに、
同じくシーツを巻き付けて
ベッドに体を起こしてる、
知らない女の子も見えた。
……かわいい顔をした子だ。
あたしより、4,5歳は若そう。
「み、美咲……なんでっ……!?」
こんなにうろたえる拓巳を
見たのは、間違いなく
初めてだね。
「………いつから………?」
――いつからだったの、拓巳?
こんなの悲劇じゃない。
これじゃまるで、喜劇だ。
「ね――拓巳――…?」
教えてよ。
どっちが浮気でどっちが
本命とか、そんなことは
どうでもいい。
_ただ、あたしはいつから
幻相手に恋をしてたのか。
それを、教えて。
「……ゴメン」
拓巳はそれ以外、何も
言わなかった。
弁明も、それ以上の謝罪も
しない。
彼が最後にあたしにくれた
のは、その、たった三文字
だけだった。
「……………っ!!」
………バッカみたい。
“新鮮味はなくなっても、
平凡な幸せ”?
それは一体、何だったんだろ。
そんなものは、どこにも
なかったのに。
あたしはただ幻影を抱き
ながら、それなりに平和
だと、錯覚してただけ
だったんだ。
_情けなさすぎて、涙も出ない。
出ない……はずなのに、
あれ? 頬を伝うこの雫は、
何……?
(泣くんじゃないわよ。
笑いなさいよ……!)
自分自身に、必死で言い
聞かせる。
だってそうじゃなきゃ。
こんなあたしは、今にも
消えてしまいたいくらい、
ミジメ過ぎるじゃない――。
☆☆☆☆☆
_