ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
7 平凡な幸せの、信じ方
     ☆☆☆☆☆



思いがけない遭遇は、
その翌日だった。


昨日の拓巳とのことを
思うとどうにもやり切れ
なくて、あたしは一日、
沈んだ気分だった。


仕事が終わる頃には心身共に
疲弊してて、ウサ晴らし
でもしたいって気分。


でも奈々に打ち明けられる
話じゃないから、結局
あたしは一人で飲みに行く
ことにした。


しょっちゅうは行かない
けど、一人でお酒を飲む
のも嫌いじゃない。


一人の時はもっぱら落ち
着いたバーで、あたしの
行きつけは駅前の裏路地に
ある《Moon Drop》って
いうお店。


_マスターはおっとりした
温厚な男の人で、店の
雰囲気もいい。


マスターと雑談でもして、
気分転換しよう。


そう決めて、会社を出ると
まっすぐにその店に向かった。


中に入るとまだ早い時間
だからかお客は少なくて、
あたしはカウンターの
真ん中に陣取る。


好きなマティーニを
オーダーして、口をつけて。


マスターに『けっこう
久しぶりだね?』って
言われたから、『そうですね』
と返していた、その時だった。


カランカランと呼び鈴が
鳴って、店内に新たな客が
入ってきたことを告げる。


_扉はちょうど真後ろになる
から、あたしにはその客の
姿を見ることはできない。


でも足音でなんとなくその
動きはわかり――
何の気無しに耳を傾けてると、
足音はなんとあたしのすぐ
右隣りで止まった。


気配を感じて顔を上げると
同時に、耳に飛び込んで
くる無機質な声。


「ジンリッキーね」


「―――――っ!?」


グラスを持ってた指先が、
完全に凍る。


なんで――どうして、彼が
ここに――…!?


「柚木クン――!?」


小さく叫んだあたしを
チラリと見て、柚木クンは
涼しい顔で椅子に座った。


それを見て、マスターが
『あれ、知り合い?』と
呑気に笑う。


_声も出ないあたしの代わりに、
柚木クンが営業スマイルで
『同僚です』と答え、納得
したマスターはオーダーの
カクテルを作り始めた。


当然のように隣でそれを
眺めてる柚木クンを、
あたしは信じられない物
でも見るように見つめ、


「……どうしてここに……?」


「決まってるよ。ついて来た」


敬語ではないあの時と同じ
口調で言いながら、柚木
クンは眼鏡を外した。


そしてそれを、やっぱり
あの時と同じように、
胸ポケットにしまう。


頬に浮かぶ薄い笑みが、
何だか怖かった。

もう、当然のようにこの
表情を見せてくる、この男が。


_「なんで、ついて来るの……!」


「話をしたかったから、
以外にある? 
変なこと聞くね」


「ふざけないで。
あたしは柚木クンと話す
ことなんて……!」


「あるんじゃない?

今日の里中さん、ずいぶん
面白かったじゃん。
一日中憂鬱そうな顔して」


「……………っ!」


見られてた?

そして、気づかれてた?


だけど、だからって
どうして――…。


「夕べ彼氏と何かあったでしょ?

その話を聞きに来たんだ」


「―――――!?」


背筋がいっそう寒くなった。


どうして全部見抜かれて
るんだろう。

本当に……悔しい。


_「教えてよ。とうとう
気づいたんじゃないの?

“拓巳サン”との関係に、
飽き飽きしてるんだって
ことにさ」


「―――違う!」


語尾を遮るように、
あたしは即座に叫んだ。


柚木クンはおかしそうに
目を丸くしてあたしを見てる。


会話が途切れたのを見計らって
マスターが柚木クンの前に
カクテルを置き、彼は
それを一口飲んだ。


そして、フッと小さく息を
つくと、


「意地になってる子供みたい。

何をそんなにしがみ
ついてるのかな」


「しがみつく……?」


意味がわからない。

あたしが何にしがみついてる
っていうの。


_ううん――あたしは別に
何にも、しがみついて
なんかない。


だからもう、やめて。


わけのわからない言葉で
あたしを振り回すのは、
もうやめてよ。


「どうしてあたしに
まとわり付くの?

あのお客様との仲裁したのが、
そんなにムカついた?

だけどそんなの、あたし
には――」


あたしはただ、自分の
仕事をしただけだ。


それで柚木クンがあたしを
疎もうが嫌おうが勝手だし、
素顔を見せたって別に
かまわない。
ただ、知ってるだけなら。


でもこんなふうに、その
素顔であたしに踏み込んで
こられたら困る。


あたしはそんなのこれっ
ぽっちも求めてないのに、
反則だ。


_「どうしてあたしがこんな
目にあわなきゃいけないのよ。

あたし、そこまで柚木クンに
恨まれる覚えはないわ」


高ぶる声を出来るだけ
抑えて、一気にまくし立てた。


柚木クンは、時々グラスを
傾けながら黙ってそれを
聞いてる。


そしてあたしの言葉が
途切れたのを見て取ると、
コトンとグラスを
コースターに戻して、


「だから、オレを怒らせた
お仕置きだって言ってるじゃん」


「お仕置きってそんなの――!!」


元々見当違いな怒りなのに、
それこそふざけた話。


批判の言葉を叩きつけようと
したけれど――その声を、
柚木クンが思いがけない
言葉で奪った。


_「―――だったけど。

今となってはもう、里中さんが
罪を上塗りしてるんだよ」


「―――は―――…?」


罪を、上塗り?

本当にコイツは、何を
言って――…。


「お仕置きだって言ってる
のに、感じたりするから。

だからオレも、やめる気
なくなったんじゃないか」


「なっ………!?」


全身が火をつけられた
ように熱くなる。


恥ずかしさと怒りで、
視界がチカチカした。


かすかに震えてるのすら
自覚できるあたしを、柚木
クンは哀れむように見下ろして、


「満たされてないのに
満たされてるって言い訳
するのって、自分は幸せ
だって言い聞かそうとしてる
みたいで、虚しくない?

そういうの大嫌い
なんだよね、オレ」


_(何……? 何を言って……?)


「本当は少しも満足して
ないのに、平凡な現状に
安穏と浸かりたくて、幸せ
だって思い込もうとする。

そういう人間見てると、
とことん壊してやりたく
なってくるんだ」


どこか独り言のように話す
柚木クンの瞳の奥に、
不思議な色の光が見える。


暗く濁ってるようでいて、
なぜか目を引きつけて離さない。

そんな、不思議な輝き。


あたしはそれを見つめ
ながら、出口のない迷路に
連れ込まれたような錯覚に
陥ってた。


(どういうこと?

柚木クンは、あたしが
そんな人間だって言いたいの?

だから、“壊し”たいって……)


_横暴だ。


道理も何もない、
目茶苦茶な言い分。


あたしはそんな人間じゃない。


拓巳とつき合って3年。
新鮮さはなくなってもごく
円満に過ごしてるのに、
それのどこがいけないって
いうの――…?



「まだ気づいてないの?
ホントにしょうがないな。

だから、オレが教えて
あげるって」


ふいに柚木クンが体を
寄せてきて、あたしは
ビクッと飛び上がった。


後ろにのけ反ろうとした
けど、彼は素早い動きで
あたしの腕を掴んでそれを
阻むと、


「オレとこの間の続きを
すればわかるよ。

気づかせて――里中さんを、
メチャクチャにしたい」


_「やめて―――…」



あたしはそんなこと、
望んでない。


あたしは、柚木クンの言う
ような女じゃ、ないんだから。



「離してっ……!」


かすれる声で叫んで、
あたしは力一杯柚木クンの
手を振り払った。

と同時に、転げ落ちるように
高い椅子から降り、下に
置いてた荷物を掴む。


「あ、ちょっとっ……!」


制止の声を聞かずに、一目散に
出口のドアを飛び出した。




少しでも早く、彼の元を
離れよう。

これ以上、あたしの心が
グチャグチャに壊されない
うちに。


ただそれしか、
頭になかった――…。





     ☆☆☆☆☆


_     ☆☆☆☆☆



飛び乗ったタクシーの
中で、拓巳に電話する。

でも、留守電になって
応答はなかった。


時刻は9時前。

もしかしたらまだ残業
してるかもしれないけど、
帰宅の移動中だってことも
充分有り得る。


(メールしとこう。

いいよね、いなかったら
中に入ってても……)


お互い合い鍵は持ってる。

あたしの部屋より使用頻度は
少なくても、勝手知ったる
彼氏の部屋だ。



――夕べちゃんと拓巳に
抱かれていれば、こんな
ことにはならなかったの
かもしれない。


くだらないことを思い
出して迷ったあたしが
馬鹿だったんだ。


_今からでもやり直せるなら、
やり直そう。


もう一度拓巳に会って
キスをして、そうして今度は
ちゃんとセックスしよう。


拓巳に抱かれて、拓巳を
愛してるってことを認識する。
そうして、あたしも
愛されてるってことを
再確認する。

そうすればきっと、この
冷たい心も温まるはず。


(拓巳―――…)


はやる心を乗せて、タクシーは
ようやく拓巳のマンション
前に停車した。


もどかしく支払いを済ませ、
念のためもう一度携帯
画面をチェックする。

拓巳からの返信は、ない。


_(今日は忙しいのかな……)


そんなことを考えながら、
正面口のオートロックを
鍵で解除した。

エレベーターに乗り、
3階の拓巳の部屋に向かう。


そっとドアノブに鍵を差し
込んで回すと、カチャリと
開く音。


ドアを開いて入った玄関は
暗かった。

正面の1LDKの部屋に続く
ドアからも、漏れる光はない。


(やっぱり、まだ帰って
ないんだ)


靴を脱ぎ、短い廊下を進んだ。


奥に続くドアにためらい
なく手をかけて――その
瞬間、あたしの体は硬直する。


(え―――…いる……?)


明かりのないドアの向こう
から、人の気配がした。


_気配――もっとはっきり
言えば、人の声と、微かな物音。


(え――どうして――…)


電気もついてないのに。


閉ざされたドアの向こう
から聞こえてくるのは、
途切れ途切れの話し声と、
何かが軋む、鈍い音――。


「はっぁ……っんぁ……っ。

やっ、係長……もっとぉっ」


「係長じゃないだろ。
名前で呼べって」


「ああぁっ、拓巳……
拓巳ぃ……!」


そんな会話と、入り乱れる
息遣い。

そしてその合間に聞こえる
物音は――もう、わかり
きってる。

ベッドの、軋む音だ。


_「ウ……ソ………」


状況が飲み込めた瞬間――

あたしは持ってた荷物を、
ドサリと床に落とした。


硬いフローリングの上で、
大きな物音がする。


耳の端で微かに、
『きゃっ、何!?』という
かわいい叫びを聞いた
ような気がした。



ドアの向こうで起こる、
今までとは違う気配。

バタバタとこっちに
近づいてくる足音。


あたしはもうどうしたら
いいのかわからず、ただ
呆然とその場に立ち尽くしてた。


やがて内開きに開いた
ドアを挟んで、あたしは
対峙する。


――裸の腰にバスタオルを
巻いただけの姿の、拓巳と。


_「美咲っ――!?」


幽霊でも見たような顔で
凍りつく拓巳の後ろに、
同じくシーツを巻き付けて
ベッドに体を起こしてる、
知らない女の子も見えた。


……かわいい顔をした子だ。

あたしより、4,5歳は若そう。


「み、美咲……なんでっ……!?」


こんなにうろたえる拓巳を
見たのは、間違いなく
初めてだね。


「………いつから………?」



――いつからだったの、拓巳?


こんなの悲劇じゃない。

これじゃまるで、喜劇だ。



「ね――拓巳――…?」



教えてよ。


どっちが浮気でどっちが
本命とか、そんなことは
どうでもいい。


_ただ、あたしはいつから
幻相手に恋をしてたのか。


それを、教えて。



「……ゴメン」



拓巳はそれ以外、何も
言わなかった。

弁明も、それ以上の謝罪も
しない。


彼が最後にあたしにくれた
のは、その、たった三文字
だけだった。



「……………っ!!」




………バッカみたい。



“新鮮味はなくなっても、
平凡な幸せ”?


それは一体、何だったんだろ。


そんなものは、どこにも
なかったのに。


あたしはただ幻影を抱き
ながら、それなりに平和
だと、錯覚してただけ
だったんだ。


_情けなさすぎて、涙も出ない。


出ない……はずなのに、

あれ? 頬を伝うこの雫は、
何……?



(泣くんじゃないわよ。

笑いなさいよ……!)


自分自身に、必死で言い
聞かせる。



だってそうじゃなきゃ。


こんなあたしは、今にも
消えてしまいたいくらい、
ミジメ過ぎるじゃない――。





     ☆☆☆☆☆


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