ギミック・ラブ ~年下小悪魔の上手な飼い方~《完》
9 不本意な同居の、断り方
☆☆☆☆☆
目が覚めて、隣で眠る姿を
見て、知らず知らずのうちに
長いため息が漏れる。
――やってしまった。文字通り。
スーツを着て、眼鏡をかけて、
いつも同じオフィスで
仕事をしてた柚木クン。
その彼が今は、一糸まとわぬ
姿で、あたしの横で眠ってる。
全体的に色の白い肌。
細身で、ぜい肉なんて1%
すらなさそう。
でもヒョロヒョロって
いうんじゃなくて、スポーツ
でもしてたのか、鍛えて
ある感じ。
眼鏡はもう、夕べあたしの
前で外してからずっと
かけてない。
_その顔を見るようになって
から、彼の目が切れ長だけど
クッキリした綺麗な二重
なんだってことを知った。
その目も今は閉じられ、
長いまつげがかかってる。
鼻筋はスッと通ってて、
薄い唇は形がよくて――。
(改めて見ると……こんなに
綺麗なコだったんだな……)
前から知る“柚木クン”とは、
もうまるで別人のように思えた。
この人と……“瞬也”と、
あたしは夕べ、寝てしまった。
何度も何度も求めて、声が
枯れるほどあられもなく叫んで。
自分でもあんなふうに
なってしまうなんて、
思ってなかった。
_越えてしまった一線。
あたしは彼の、上司なのに。
(前のあたし達に……
戻れる……?)
静かに眠る横顔に、無意識の
うちに指を伸ばすあたし。
頬にかかる黒い髪にそっと
触れようとした、まさに
その時――…。
――ピリピリピリピリッ!
突然部屋に鳴り渡った電子
音に、あたしは飛び上がり
そうなほど驚いた。
「えっ……なっ、何っ?」
携帯か時計のアラーム
みたいに聞こえる。
けど、あたしには全く身に
覚えのない音。
ホテルの部屋だから周りは
馴染みのない物ばかりだけど、
でも勝手にアラームが
鳴るわけもないし……。
_「ということは……」
呟いたのとほぼ同時に、
あたしの隣で柚木クンが
ムクリと起き上がった。
そして、寝起きとは思え
ない落ち着き払った顔で、
上半身だけを伸ばして
サイドボードに置いて
あった彼のバッグを掴む。
中から携帯を取り出すと、
ボタンをピッと押して音を
消した。
「アラーム……?」
電話やメールじゃなかった
ようだからそう聞くと、
彼はコクリと頷いて、
「7時のアラーム。
あ、ちょっと静かにしてて。
今からモーニングコール
しないといけないから」
「――――は?」
_モーニングコール?
――って、誰に?
ポカンとするあたしの横で、
柚木クンは短いボタン操作で
発信し、携帯を耳に当てる。
しばらくの沈黙の後
応答があったようで、
「あ、もしもし千晶(チアキ)?
――うん、おはよう。
ゴメンね、昨日結局帰れなくて。
ん? そうだよ、会社。
……うん。そう。
じゃあ、千晶も仕事頑張って」
ひとしきりそんなことを
話してから、柚木クンは
怖いくらいの無表情で
通話を切り、携帯を枕元に
放り投げた。
(ちょっと待ってよ……
何、今の?)
千晶? って、女の名前だよね?
_それに、昨日帰らなくて
とか会社とか――一連の
言葉から思い浮かぶのは、
何とも腹立たしい疑惑。
「……今の、誰なの?」
あたしは極力平静を装った
声で聞いてみた。
すると柚木クンはチラリと
こっちを見て、平然とした
顔で答える。
「ん? オレの同居人。
っていうか、飼い主かな」
「……………は?」
飼い主? 何、それ?
「毎朝起こすのがオレの
仕事なんだ。
だから、一緒にいない
日にはモーニングコール。
これ忘れると怒られるから」
「そっ、そんなことは
聞いてないわよっ」
装った平静はつかの間、
あっという間に上擦った
声をあげるあたし。
_起こすのが日課だとか、
そんなことはどうでもいい。
あたしが聞いてるのは
そんなことじゃなくて――。
「“千晶”って、女の人
じゃないの?」
「そうだよ。30歳独身、
ネイルサロン経営者」
(30歳!?
あたしよりも年上……)
「それって……恋人なん
じゃ……」
黒い疑惑を乗せた低い問い
かけにも、返ってきたのは
拍子抜けするほどあっけら
かんとした声だった。
「恋人ね。そうとも言うかな。
少なくとも向こうはそう
思ってるし。
オレにしてみれば、住むとこ
提供してもらってる代わりに
奉仕してる、って感覚だけどね」
_「なっ…………!?」
怒りがフツフツと体の奥
から沸き上がってくる。
けど何とかそれを押し
とどめて、最後の確認をした。
「今の電話……会社だとか
言ってたのは……?」
「ん? そりゃもちろん、
仕事でオフィスに泊まり
込みってことにしたんだよ。
まさか、別の女と寝てる
なんて言えるわけないじゃん」
「――――――!!」
バチーンと、特大の頬を
打つ音が、朝日の差し込む
室内に響き渡る。
彼の頬を打つのはこれが
二回目だけど、前回なんか
比じゃない大音量。
そして服さえ着てたら
ベッドに仁王立ちになりたい
気分で、あたしは叫んだ。
「――最っ低!!」
_「った――何だよいきなり!?
顔に跡でも残ったらどうし――」
「知らないわよそんなのっ!!」
本当に、最低最悪の気分だ。
つまり、昨日あたしを
抱いたコイツは、彼女持ち。
しかも同居までしてて、
その人に嘘ついて、あたしと
一晩過ごしたってこと。
それじゃあ、彼が夕べした
ことは――拓巳がしてた
ことと、一緒じゃない。
「最っ低よ……!」
もう一度搾り出すように
叫んで、あたしはシーツを
体に巻きつけてベッドを
飛び出した――…。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
会社では、一言も口を
聞いてやらなかった。
始業直前に出勤してきた
彼の頬にはうっすらと赤い
跡があって、みんな訝しんでた
けど、あたしは気にもしない。
だってアイツが悪いんだ。
自業自得。苦労すればいい。
奈々なんかは
『どーしよ、接客させらん
ないんだけど!
でもあれナニ!? 絶対手形
だよね? 超気になる~っ』
とか逆に面白がってたけど、
あたしは苦笑する気にも
ならない。
とにかく徹底的にアイツを
見ないようにして、挨拶の
『あ』すらしなかった。
それでも怒りは収まらなくて、
終業時間になると残業も
パスして、即効オフィスを出る。
_一瞬《Moon Drop》でウサ
晴らししようかと思ったけど、
よりにもよって昨日アイツと
いた店じゃ意味がないと
気づいて、予定変更。
一旦家の近所まで帰り、
駅前で雰囲気のよさそうな
バーを探して、一人で
2時間くらい飲んでた。
すっかり酔って千鳥足に
なりながら、家へと帰り
着いたら……。
――エントランスから少し
離れた所に立ってる人影を
見て、あたしは冗談じゃなく
またもやバッグを落とす。
「な、なんでここに……っ!?」
「遅いよ。もうちょっと
帰って来なかったら、
危うくこっちが不審者で
職質されるところだ」
_風よけのためかコートの
襟を立て、目を細めて少し
怒ったような顔をしてる長身。
眼鏡は、かけてる。
口調を作る気は、もう
すっかり無いようだけど。
「ま、美咲のことだから
どうせヤケ酒飲んでる
だろうし、これくらいの
時間だとは思ってたけどね」
「―――――!」
状況はわからなくても、
言われたことは図星で
カチンときた。
ええ、どうせヤケ酒
あおってたわよ。
でもそれもこれも、全部
あなたのせいじゃない。
「どうしてここにいるのよっ。
ってゆーかなんであたしの
家がわかったの!?」
_金切り声で聞くと、歩いて
きてあたしの前に立った
柚木クンは、
「会社にいるうちに人事部で
調べといた。
住む家がなくなったから、
責任とってもらおうと思って」
「は―――…!?」
あたしは目が点になる。
何を言ってるのコイツは?
サッパリ意味がわからない。
ア然とするあたしに、柚木
クンはかすかに眉をひそめると、
「しらばっくれる気?
美咲がオレをひっぱたいたり
するからだろ」
そう言って、あたしが今朝
叩いた自分の左頬を指差す。
「これのせいで、家に帰れない。
ていうか結局流れで喧嘩に
なって、マジで追い出された」
_(家に帰れない?
追い出されたって……
つまりあの、“千晶さん”の
家をってこと――?)
「どうしてよ? 跡なんて
もう消えてるじゃない。
それに喧嘩って、いつ
その人に会ったのよ?」
「消えてないよ。よく見てみろ」
つっけんどんに言われて、
あたしは渋々ながらも彼が
指差す辺りを注意深く見つめた。
すると――…。
「あ…………!」
傷ができてる。
頬骨の辺りに、横に伸びる
微かな赤い筋が、一本。
ちょうど眼鏡のフレームの
下だから、眼鏡をかけてれば
わかりにくいけど……。
(あたし、爪で引っかい
ちゃってた……?)
_どうやら知らないうちに、
あたしは彼にこんな傷を
負わせてしまってたらしい。
「一日二日じゃ消えないよ。
千晶は鋭いから、こんな顔
見せられない。
それでしばらく帰らないって
連絡入れたんだけど――」
柚木クンはそこで一度言葉を
切り、大きくため息をつくと、
「ぶっちゃけ前から、オレの
素行不良は疑われてたから。
急にどうした、浮気じゃ
ないのかって責められて、
勝手に有罪にされちゃったよ。
“私が嫌なら帰ってくるな”
だってさ」
「だってさ、って、
あなたね……」
勝手にも何も、実際あなたは
クロじゃない。
_話を聞く限り別に全然
あたしだけのせいでも
ないとわかって、少しだけ
安心する。
つまり元から浮気を疑われる
ような状況だったなら、
そんなのはやっぱり、柚木
クンの自業自得だ。
「知らないわよ。泣いて
謝って、許してもらえば」
あたしは冷たく言い放って、
柚木クンを振り切り前に
進もうとした。
ところが柚木クンも全く
引かず、素早く動いて
あたしの進路を封じると、
「そんなのはゴメンだよ。
だから言っただろ。美咲が
責任を取ればいいんだって」
「はっ!? だからそんなの
あたしの責任じゃ――…!」
_「美咲のせいだよ。
オレがあの家に帰りたく
ないと思うような顔を
見せるから。
それが全部、悪いんじゃないか」
「え―――…?」
意味ありげなセリフに
ドクンと胸が躍り、動揺する。
その一瞬の隙を逃さず、
柚木クンはいきなりあたしの
腕を掴むと、シレッとした
口調で言った。
「寒いよ。とにかく中に入ろう。
部屋は502だっけ?」
グイグイ引きずられるように
歩き、オートロックも有無を
言わさぬ眼光で睨まれ、
開けさせられる。
そして数分後には――
あたしの部屋のリビングで、
当然のような顔をして
ネクタイを緩める、ただの
後輩だったはずの男。
_「服や私物は週末にでも
取りに行くから、とりあえず
身の回りの物だけ貸してね」
当たり前のように言われて、
あたしはたまらず叫んでた。
「ちょっ……冗談でしょ!?
ホントにここに住む気!?」
仕事仲間と同居なんて
できるわけない。
しかもこんな男と。
「だからそうだってば。
オレ、けっこう役に立つよ?
料理もするし、綺麗好きだし」
「ふざけないでっ。
一緒に住むなんてできる
わけないじゃない!」
叩きつけるように言うと、
柚木クンはさも心外という
ように顔を曇らせて、
「なんで? セックスまで
した仲なのに」
_「だ、だってそれはっ……」
言ってみれば、一夜の過ち。
自暴自棄になってたあたしに
胸を貸してくれた男に、
ちょっとほだされて
しまっただけのことだ。
大人なんだから、時として
そんなことだってある。
だけどそれでも――あれは
あたしにとって、決して
軽いセックスじゃなかった。
それなのに――…。
(その相手だからこそ、
一緒になんかいれないん
じゃない……!)
―――傷ついてない、
わけがない。
失恋したあたしを受け止めて、
『泣けばいい』なんて、
優しく言ってくれた人が。
_とろけるくらい溺れさせて、
もしかしたらこのまま失った
恋の痛みを忘れられるかも……
なんて、かすかな期待を
抱かせてくれた人が。
それが――実は別の女と
同棲してるような男で、
翌朝には目の前で本命に
モーニングコールしてて。
結局あたしと寝たのはその
程度の気持ちだったんだって、
見せつけられて――…。
(お門違いだってわかってても、
ショックなのよ。
実際そうなんだから、
仕方ないじゃない……!)
ほら。今もまた、チクチクと
胸が痛い。
こんなふうに話してたって、
近づいたのはカラダだけ。
あたしには柚木クンの
考えてることが、さっぱり
掴めないよ。
_「あたしを“千晶さん”と
一緒にしないで。
とにかく、無理よ」
料理ができたり朝起こして
くれるってだけで、隣に
男なんていらない。
ましてや柚木クンが言う
ように、その見返りの
“奉仕”として接される
なんて……。
(そんな関係……あたし
には……)
『出て行って』とキッパリ
告げて、離れなきゃいけない。
きっとそれが最善だと考えて、
あたしは軽く拳を握り、
柚木クンの顔を見ようとした。
だけど次の瞬間――全てを
バラバラに崩してしまう
熱いキスが、あたしの唇を奪う。
_「んんぅっ……ぅんっ」
「……一緒になんかしてない。
むしろ、全然違うんだけど」
キスの合間に囁く声は、
らしくないほど妙に熱っぽい。
「ん……やっ……。
いい加減なこと、言わな……」
「本当だよ。
オレ、見返りなしの
セックスは基本しないんだ。
だけど美咲のことは、自分
から抱きたいと思った。
そんな感覚は、けっこう
久しぶりだったんだよ?」
「……………っ」
調子いいことばかり。
そんな言葉、どこまで
本当だかわかりゃしない。
信じちゃダメだ。
でないとあたしはきっと、
とんでもない罠にはまってく。
_心はそう、警鐘を
鳴らしてるのに。
……押さえ込まれた体は
情けないほど力が入らず、
もうほとんど、意識も
鮮明さを失っていた。
深い海のようなキスに
溺れながら……
あたしはいつの間にか、
瞳を閉じてその甘いキスに
酔いしれていた……。
☆☆☆☆☆
_
目が覚めて、隣で眠る姿を
見て、知らず知らずのうちに
長いため息が漏れる。
――やってしまった。文字通り。
スーツを着て、眼鏡をかけて、
いつも同じオフィスで
仕事をしてた柚木クン。
その彼が今は、一糸まとわぬ
姿で、あたしの横で眠ってる。
全体的に色の白い肌。
細身で、ぜい肉なんて1%
すらなさそう。
でもヒョロヒョロって
いうんじゃなくて、スポーツ
でもしてたのか、鍛えて
ある感じ。
眼鏡はもう、夕べあたしの
前で外してからずっと
かけてない。
_その顔を見るようになって
から、彼の目が切れ長だけど
クッキリした綺麗な二重
なんだってことを知った。
その目も今は閉じられ、
長いまつげがかかってる。
鼻筋はスッと通ってて、
薄い唇は形がよくて――。
(改めて見ると……こんなに
綺麗なコだったんだな……)
前から知る“柚木クン”とは、
もうまるで別人のように思えた。
この人と……“瞬也”と、
あたしは夕べ、寝てしまった。
何度も何度も求めて、声が
枯れるほどあられもなく叫んで。
自分でもあんなふうに
なってしまうなんて、
思ってなかった。
_越えてしまった一線。
あたしは彼の、上司なのに。
(前のあたし達に……
戻れる……?)
静かに眠る横顔に、無意識の
うちに指を伸ばすあたし。
頬にかかる黒い髪にそっと
触れようとした、まさに
その時――…。
――ピリピリピリピリッ!
突然部屋に鳴り渡った電子
音に、あたしは飛び上がり
そうなほど驚いた。
「えっ……なっ、何っ?」
携帯か時計のアラーム
みたいに聞こえる。
けど、あたしには全く身に
覚えのない音。
ホテルの部屋だから周りは
馴染みのない物ばかりだけど、
でも勝手にアラームが
鳴るわけもないし……。
_「ということは……」
呟いたのとほぼ同時に、
あたしの隣で柚木クンが
ムクリと起き上がった。
そして、寝起きとは思え
ない落ち着き払った顔で、
上半身だけを伸ばして
サイドボードに置いて
あった彼のバッグを掴む。
中から携帯を取り出すと、
ボタンをピッと押して音を
消した。
「アラーム……?」
電話やメールじゃなかった
ようだからそう聞くと、
彼はコクリと頷いて、
「7時のアラーム。
あ、ちょっと静かにしてて。
今からモーニングコール
しないといけないから」
「――――は?」
_モーニングコール?
――って、誰に?
ポカンとするあたしの横で、
柚木クンは短いボタン操作で
発信し、携帯を耳に当てる。
しばらくの沈黙の後
応答があったようで、
「あ、もしもし千晶(チアキ)?
――うん、おはよう。
ゴメンね、昨日結局帰れなくて。
ん? そうだよ、会社。
……うん。そう。
じゃあ、千晶も仕事頑張って」
ひとしきりそんなことを
話してから、柚木クンは
怖いくらいの無表情で
通話を切り、携帯を枕元に
放り投げた。
(ちょっと待ってよ……
何、今の?)
千晶? って、女の名前だよね?
_それに、昨日帰らなくて
とか会社とか――一連の
言葉から思い浮かぶのは、
何とも腹立たしい疑惑。
「……今の、誰なの?」
あたしは極力平静を装った
声で聞いてみた。
すると柚木クンはチラリと
こっちを見て、平然とした
顔で答える。
「ん? オレの同居人。
っていうか、飼い主かな」
「……………は?」
飼い主? 何、それ?
「毎朝起こすのがオレの
仕事なんだ。
だから、一緒にいない
日にはモーニングコール。
これ忘れると怒られるから」
「そっ、そんなことは
聞いてないわよっ」
装った平静はつかの間、
あっという間に上擦った
声をあげるあたし。
_起こすのが日課だとか、
そんなことはどうでもいい。
あたしが聞いてるのは
そんなことじゃなくて――。
「“千晶”って、女の人
じゃないの?」
「そうだよ。30歳独身、
ネイルサロン経営者」
(30歳!?
あたしよりも年上……)
「それって……恋人なん
じゃ……」
黒い疑惑を乗せた低い問い
かけにも、返ってきたのは
拍子抜けするほどあっけら
かんとした声だった。
「恋人ね。そうとも言うかな。
少なくとも向こうはそう
思ってるし。
オレにしてみれば、住むとこ
提供してもらってる代わりに
奉仕してる、って感覚だけどね」
_「なっ…………!?」
怒りがフツフツと体の奥
から沸き上がってくる。
けど何とかそれを押し
とどめて、最後の確認をした。
「今の電話……会社だとか
言ってたのは……?」
「ん? そりゃもちろん、
仕事でオフィスに泊まり
込みってことにしたんだよ。
まさか、別の女と寝てる
なんて言えるわけないじゃん」
「――――――!!」
バチーンと、特大の頬を
打つ音が、朝日の差し込む
室内に響き渡る。
彼の頬を打つのはこれが
二回目だけど、前回なんか
比じゃない大音量。
そして服さえ着てたら
ベッドに仁王立ちになりたい
気分で、あたしは叫んだ。
「――最っ低!!」
_「った――何だよいきなり!?
顔に跡でも残ったらどうし――」
「知らないわよそんなのっ!!」
本当に、最低最悪の気分だ。
つまり、昨日あたしを
抱いたコイツは、彼女持ち。
しかも同居までしてて、
その人に嘘ついて、あたしと
一晩過ごしたってこと。
それじゃあ、彼が夕べした
ことは――拓巳がしてた
ことと、一緒じゃない。
「最っ低よ……!」
もう一度搾り出すように
叫んで、あたしはシーツを
体に巻きつけてベッドを
飛び出した――…。
☆☆☆☆☆
_ ☆☆☆☆☆
会社では、一言も口を
聞いてやらなかった。
始業直前に出勤してきた
彼の頬にはうっすらと赤い
跡があって、みんな訝しんでた
けど、あたしは気にもしない。
だってアイツが悪いんだ。
自業自得。苦労すればいい。
奈々なんかは
『どーしよ、接客させらん
ないんだけど!
でもあれナニ!? 絶対手形
だよね? 超気になる~っ』
とか逆に面白がってたけど、
あたしは苦笑する気にも
ならない。
とにかく徹底的にアイツを
見ないようにして、挨拶の
『あ』すらしなかった。
それでも怒りは収まらなくて、
終業時間になると残業も
パスして、即効オフィスを出る。
_一瞬《Moon Drop》でウサ
晴らししようかと思ったけど、
よりにもよって昨日アイツと
いた店じゃ意味がないと
気づいて、予定変更。
一旦家の近所まで帰り、
駅前で雰囲気のよさそうな
バーを探して、一人で
2時間くらい飲んでた。
すっかり酔って千鳥足に
なりながら、家へと帰り
着いたら……。
――エントランスから少し
離れた所に立ってる人影を
見て、あたしは冗談じゃなく
またもやバッグを落とす。
「な、なんでここに……っ!?」
「遅いよ。もうちょっと
帰って来なかったら、
危うくこっちが不審者で
職質されるところだ」
_風よけのためかコートの
襟を立て、目を細めて少し
怒ったような顔をしてる長身。
眼鏡は、かけてる。
口調を作る気は、もう
すっかり無いようだけど。
「ま、美咲のことだから
どうせヤケ酒飲んでる
だろうし、これくらいの
時間だとは思ってたけどね」
「―――――!」
状況はわからなくても、
言われたことは図星で
カチンときた。
ええ、どうせヤケ酒
あおってたわよ。
でもそれもこれも、全部
あなたのせいじゃない。
「どうしてここにいるのよっ。
ってゆーかなんであたしの
家がわかったの!?」
_金切り声で聞くと、歩いて
きてあたしの前に立った
柚木クンは、
「会社にいるうちに人事部で
調べといた。
住む家がなくなったから、
責任とってもらおうと思って」
「は―――…!?」
あたしは目が点になる。
何を言ってるのコイツは?
サッパリ意味がわからない。
ア然とするあたしに、柚木
クンはかすかに眉をひそめると、
「しらばっくれる気?
美咲がオレをひっぱたいたり
するからだろ」
そう言って、あたしが今朝
叩いた自分の左頬を指差す。
「これのせいで、家に帰れない。
ていうか結局流れで喧嘩に
なって、マジで追い出された」
_(家に帰れない?
追い出されたって……
つまりあの、“千晶さん”の
家をってこと――?)
「どうしてよ? 跡なんて
もう消えてるじゃない。
それに喧嘩って、いつ
その人に会ったのよ?」
「消えてないよ。よく見てみろ」
つっけんどんに言われて、
あたしは渋々ながらも彼が
指差す辺りを注意深く見つめた。
すると――…。
「あ…………!」
傷ができてる。
頬骨の辺りに、横に伸びる
微かな赤い筋が、一本。
ちょうど眼鏡のフレームの
下だから、眼鏡をかけてれば
わかりにくいけど……。
(あたし、爪で引っかい
ちゃってた……?)
_どうやら知らないうちに、
あたしは彼にこんな傷を
負わせてしまってたらしい。
「一日二日じゃ消えないよ。
千晶は鋭いから、こんな顔
見せられない。
それでしばらく帰らないって
連絡入れたんだけど――」
柚木クンはそこで一度言葉を
切り、大きくため息をつくと、
「ぶっちゃけ前から、オレの
素行不良は疑われてたから。
急にどうした、浮気じゃ
ないのかって責められて、
勝手に有罪にされちゃったよ。
“私が嫌なら帰ってくるな”
だってさ」
「だってさ、って、
あなたね……」
勝手にも何も、実際あなたは
クロじゃない。
_話を聞く限り別に全然
あたしだけのせいでも
ないとわかって、少しだけ
安心する。
つまり元から浮気を疑われる
ような状況だったなら、
そんなのはやっぱり、柚木
クンの自業自得だ。
「知らないわよ。泣いて
謝って、許してもらえば」
あたしは冷たく言い放って、
柚木クンを振り切り前に
進もうとした。
ところが柚木クンも全く
引かず、素早く動いて
あたしの進路を封じると、
「そんなのはゴメンだよ。
だから言っただろ。美咲が
責任を取ればいいんだって」
「はっ!? だからそんなの
あたしの責任じゃ――…!」
_「美咲のせいだよ。
オレがあの家に帰りたく
ないと思うような顔を
見せるから。
それが全部、悪いんじゃないか」
「え―――…?」
意味ありげなセリフに
ドクンと胸が躍り、動揺する。
その一瞬の隙を逃さず、
柚木クンはいきなりあたしの
腕を掴むと、シレッとした
口調で言った。
「寒いよ。とにかく中に入ろう。
部屋は502だっけ?」
グイグイ引きずられるように
歩き、オートロックも有無を
言わさぬ眼光で睨まれ、
開けさせられる。
そして数分後には――
あたしの部屋のリビングで、
当然のような顔をして
ネクタイを緩める、ただの
後輩だったはずの男。
_「服や私物は週末にでも
取りに行くから、とりあえず
身の回りの物だけ貸してね」
当たり前のように言われて、
あたしはたまらず叫んでた。
「ちょっ……冗談でしょ!?
ホントにここに住む気!?」
仕事仲間と同居なんて
できるわけない。
しかもこんな男と。
「だからそうだってば。
オレ、けっこう役に立つよ?
料理もするし、綺麗好きだし」
「ふざけないでっ。
一緒に住むなんてできる
わけないじゃない!」
叩きつけるように言うと、
柚木クンはさも心外という
ように顔を曇らせて、
「なんで? セックスまで
した仲なのに」
_「だ、だってそれはっ……」
言ってみれば、一夜の過ち。
自暴自棄になってたあたしに
胸を貸してくれた男に、
ちょっとほだされて
しまっただけのことだ。
大人なんだから、時として
そんなことだってある。
だけどそれでも――あれは
あたしにとって、決して
軽いセックスじゃなかった。
それなのに――…。
(その相手だからこそ、
一緒になんかいれないん
じゃない……!)
―――傷ついてない、
わけがない。
失恋したあたしを受け止めて、
『泣けばいい』なんて、
優しく言ってくれた人が。
_とろけるくらい溺れさせて、
もしかしたらこのまま失った
恋の痛みを忘れられるかも……
なんて、かすかな期待を
抱かせてくれた人が。
それが――実は別の女と
同棲してるような男で、
翌朝には目の前で本命に
モーニングコールしてて。
結局あたしと寝たのはその
程度の気持ちだったんだって、
見せつけられて――…。
(お門違いだってわかってても、
ショックなのよ。
実際そうなんだから、
仕方ないじゃない……!)
ほら。今もまた、チクチクと
胸が痛い。
こんなふうに話してたって、
近づいたのはカラダだけ。
あたしには柚木クンの
考えてることが、さっぱり
掴めないよ。
_「あたしを“千晶さん”と
一緒にしないで。
とにかく、無理よ」
料理ができたり朝起こして
くれるってだけで、隣に
男なんていらない。
ましてや柚木クンが言う
ように、その見返りの
“奉仕”として接される
なんて……。
(そんな関係……あたし
には……)
『出て行って』とキッパリ
告げて、離れなきゃいけない。
きっとそれが最善だと考えて、
あたしは軽く拳を握り、
柚木クンの顔を見ようとした。
だけど次の瞬間――全てを
バラバラに崩してしまう
熱いキスが、あたしの唇を奪う。
_「んんぅっ……ぅんっ」
「……一緒になんかしてない。
むしろ、全然違うんだけど」
キスの合間に囁く声は、
らしくないほど妙に熱っぽい。
「ん……やっ……。
いい加減なこと、言わな……」
「本当だよ。
オレ、見返りなしの
セックスは基本しないんだ。
だけど美咲のことは、自分
から抱きたいと思った。
そんな感覚は、けっこう
久しぶりだったんだよ?」
「……………っ」
調子いいことばかり。
そんな言葉、どこまで
本当だかわかりゃしない。
信じちゃダメだ。
でないとあたしはきっと、
とんでもない罠にはまってく。
_心はそう、警鐘を
鳴らしてるのに。
……押さえ込まれた体は
情けないほど力が入らず、
もうほとんど、意識も
鮮明さを失っていた。
深い海のようなキスに
溺れながら……
あたしはいつの間にか、
瞳を閉じてその甘いキスに
酔いしれていた……。
☆☆☆☆☆
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