揺れない瞳


父との待ち合わせに間に合うように家を出る時、央雅くんが玄関でぎゅっと抱きしめてくれたのはきっと、私に落ち着きと勇気を注いでくれるためだったと思う。

『どんな話になっても、結乃の事を大切に思ってることは確かだと思うから、必要以上に傷つくなよ。今緊張のレベルが高いのは結乃よりもお父さんだと思うから、結乃はただ笑って会ってこい』

そんな優しい言葉の合間に、『一緒に行こうか』と何度も確認してくれて、気持ちは揺れた。
父から見捨てられて、寂しい日々を過ごしていた私は父を素直に見る事すらできない。そのせいか、今日どんな展開で父との時間を過ごすのかも予測不能で不安。

だから、央雅くんが側にいてくれたら心強いのは確かで、そんな事をのぞいても、単純に央雅くんに一緒にいて欲しいと思った。

でも、今日だけは、父とちゃんと話をしようと思っているから、一人で大丈夫と笑った。
きっと、泣き笑いになっている苦しい表情だったと思うけれど、央雅くんは黙ってうなずいてくれた。

父と会う事で、今まで私が抱えてきた重く暗い感情の幾つかを洗い流せるだろうか。
親の手を必要としていた小さな頃、両親揃って私を手離した事に理由はあるんだろうか。
その答えを知る事に不安が溢れて体は悲鳴をあげそうだ。
少し前の私だったら、父と会う事を拒み続けるしかできなくて逃げていたはず。

でも、今私はこうして父と会う為に待ち合わせのお店の前に立っている。
長い間逃げていた自分を解放して、ちゃんと父に向き合おうとしている。

そんな強くなった自分があるのは、私を愛していると言って抱きしめてくれる央雅くんの存在のおかげ。

左手に光る指輪を明るい日差しにかざしてみると、どうしても拭えない不安もまるごと包み込んで、そして私の背中を後押ししてくれる勇気を与えてくれるように思える。
央雅くんも今、同じ指輪をはめている。
そんな単純な事が、今の私の幸せのほとんどだ。

店内で私を待っているはずの父に会うため、心を落ち着けるように小さく息を吐くと、私は目の前の扉を押した。

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