一期一会
男は、
――そう簡単に引けるものか。
とタカをくくっていた。だが彼女はそんな男の予想を裏切り、あっさりと弓を引いてしまう。
「うん、こんなものね。それじゃあ矢、貸してくれる?」
戸惑いつつ男が矢筒を渡すと、彼女は受け取りつつ人差し指を口に含み、空に向ける。
「それはどんな意味があるのかい?」
「風を読んでるの。こうして指を濡らすと風の吹く方向がひんやりして、どう流れているかわかるのよ」
「へえ」
言いつつ男も彼女の真似をしてみる。
「ほんとだ、今は風が右から左に流れてる」
「そうね、じゃあやってみるね」
言って彼女は目を閉じて深く静かに呼吸をして精神統一をはかる。周囲にはごく僅かに風の鳴く音が聞こえ、それに応えるように草木もなびいていく。
彼女はゆっくりとまぶたを開いた。碧青の瞳に映るは十五メートル先の的。周りには木々はおろか、空も無い。万籟(ばんらい)息をひそんで様子を窺う中、ただ自身だけがそこに在る。
やがてその存在も居なくなって、徐々に狙う的が大きくなってこちらに向かってきた。これが今の彼女に映じている世界である。