To.カノンを奏でる君
「じゃあ、そうしてちょうだい」


 にこにこと笑いながら、直樹は珈琲を啜った。


 前々から言おうと思っていたのだが、なかなか言うタイミングがなかったのだ。やっと言えて、直樹はすっきりしていた。

 一方の美香子は、面には出さないものの、大混乱している。


(わ、私が、花園君の事を、直樹君って呼ぶの?!)


 恋人でもない男性を下の名前で呼ぶ、という事に妙に意識してしまう。


(や、でも考えてみたら、祥多君の事は祥多君って呼んでるわけだし…)


 直樹の事を直樹君と呼ぶのは、平然であるような気がする。


(で、でもでもっ! 今までずっと花園君って呼んで来たわけで、)


 大した事ではないと思いはするものの、しっくり来ない。


(どうしよう?!……っていうか、何で私こんなに混乱してるの?! 花園君はただの友達じゃない!)


 混乱して止まらない思考回路に、美香子はパニックを起こす。


 そうしてちょうだいと言った後から、俯いている美香子。直樹は首を傾げ、様子を窺う。


「葉山さん? どうかしたの?」


 直樹の声に、ハッと我に返った美香子は慌てて顔を上げて首を振った。


「何でもない! あっ、そろそろバイトだから、もう行くね!」


 美香子はガタッと立ち上がり、自分の分の料金を机の上に置く。


「頑張ってね」


 女性より女性らしい笑みで見送られた美香子は、高鳴る胸を押さえ、首を振った。

 進める足が速度を増す。
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