私の日本人彼女

親友

-楠ちゃんSide-
 お正月パティーで会ってなかったのは国にかえったからだな。一ヶ月会ってない気がする。
メガネをかけていて少し地味だが、背が高く、胸板が厚くて、何かカッコイイ気がする。何かテレテレで、女性と付き合った経験がないかな。まーあいいや。


あっという間に3月になり、私は修士論文をまとめる傍ら、池袋の居酒屋でアルバイトをしている。
たまに、親友であるカイトと会って酒を飲むぐらいであった。カイトといえば、話が長くなる。私は省学校年生の時転校になり、非常に寂しかった。
カイトが私のはじめての親友であった。昼ご飯はいつも弁当で、弁当のなかには塩付け玉子があっていつも半分分けてくれた。
その後、同じ中学校に入ったが、私は進学クラスに入り、カイトは成績が振るわないクラスに入った。
その後、彼はカツアゲ、喧嘩、飲酒などに手を出し、我々の距離は離れるばかりであった。中学校卒業後、我々は離れ離れになって連絡も途絶えた。
2003年4月10日、私は日本に行く飛行に乗るため、空港に向かった。そこで、なんと10年ぶりカイトとばったりあったのである。
我々は同じ便に乗り、日本留学になったわけであった。あっという間に我々は打ち解けた。
 カイトは山形に住み、私は仙台に住んで日本語学校で留学生活をすることになった。その後カイトは都内の大学に進学し、私は仙台の大学で勉強を続けた。
しかし、我々はずっと連絡を取り合っていた。大学卒業後、私は大学院進学のため、さいたま市にある大学に進学することになり、その後は頻繁に会うことになった。
会うたび、私は酒豪の彼に飲まされ、度々飲み潰れることになった。
 カイトは大学入学間もなく、中国の浙江省の女性と結婚した。彼は奥さんに非常に優しく接して、浮気もせず、非常にいい旦那かもしれない。

 実は私は国立大学のため、学費が免除され、また、米山奨学生であり、毎月14万円の返還不要な奨学金をもらっているため、アルバイトする必要はあまりない。
しかし、寂しいからアルバイトを始めたのである。アルバイトは夜11時までやっているが、週末は朝5時までやる時もある。
大学の留学生会館に住んでいるから、会館から南与野駅までバイクで10分ぐらい、南与野駅からは埼京線で、30分ぐらいで池袋に通っている。
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