フィレンツェの恋人~L'amore vero~
私は桔平の手をほどきながら、小さく笑った。


「ハル? 大丈夫よ。本当に悪い子じゃないから」


「違うよ。あの子の事じゃない」


鷹司のぼっちゃんの事だよ、そう言った桔平は怖いくらい真剣な目をしていた。


「あいつ、何考えてるのか分からないよ。ばれてた。俺たちが夫婦だって偽ってたこと」


「ええ、知ってる。あの日、すでにばれていたもの」


「え」


「私がカウンターに行ったあと、煌さんも来たでしょう。その時、言われたの」


――あなた、本当は誰ですか


「……そうか。とにかく、あの男には気を付けろよ。俺、こういう駆け引きの世界で仕事してるから、なんとなく分かるんだよ。鷹司は危険な匂いがする、気がする」


分かったわ、そう言って、ハルのもとへ走った。


除夜の鐘が鳴り渡る人ごみをすり抜けて、何かから逃げるように、ハルの所へ。


「東子さん!」


「ごめんなさい、ちょっと話し込んでしまっ――」


一瞬、全てがスローモーションだった。


人の流れも、飛び交う話し声も、夜とは思えない賑やかなざわめきも。


除夜の鐘の重たい音も。


「……や……ハル?」


ハルの手がぬうっと伸びて来たと思った時にはもう、私の体はハルの腕の中にあった。


ハルの匂いがする。


「何……離して、ハル」


ハルの体との僅かな隙間に手を入れて離そうとしたけれど、ハルはもっと強い力で私を抱き寄せた。


「ぼくから、離れないで。さっき、言ったばかりだろう。約束を守って」


ハルの低い声が耳にかかる。


「ぼくの言う事を聞いて。いいね。ぼくから離れないで」


そして、体をゆっくり離して、私の目を見つめながら言った。
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