フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「ええ。元気です」


「そうですか」


にっこり微笑んで、煌さんは箸を置いた。


「彼にもお会いしたかったのですが、時間に都合をつける事ができなくてね。残念です」


テーブルを挟んだ向こう岸から仄かにル・マルが香ってくる。


「柏木さんに、よろしくお伝えくださ……」


ふあっ、と煌さんが大きなあくびをした。


充血した瞳が潤んでいた。


「失礼。時差ぼけです。どうもこればかりはいつまで経ってもなれなくてね」


日本とパリは8時間もの時差があるのだ、と煌さんが教えてくれた。


パリは日本よる8時間遅く時間が流れているのだそうだ。


煌さんはスーツの袖口から時計を見て、


「今、パリは朝の4時すぎです」


疲れたように何度か瞬きを繰り返した。


「大変ですね。煌さんはお忙しい方ですものね」


鷹司グループの社長、だもの。


忙しくないはずがないわ。


私は杏仁豆腐に手を伸ばし、でも、クコの実だけを食べてスプーンを置いた。


「今日もお仕事で日本に来られたの?」


「そうです。この後、日本の支店に顔を出して、20時発の便でパリへ戻ります」


「本当にお忙しい方」


言った私を見つめて、突然、煌さんが吹き出した。


「嘘です。仕事で来たわけではありません」


「えっ、嘘なの?」


「ええ」


「なら、遠路はるばる、わざわざ何をしにいらしたの?」


目の下に濃いクマをくっきり作ってまで。


怪訝な視線を向けると、煌さんはますます笑い出した。


「そんなふうに言われると、余計言いにくいですね」


困ったな、と煌さんは本当に困った顔をして肩をすくめた。


「お会いしたかったんです」


「え?」
< 209 / 415 >

この作品をシェア

pagetop