フィレンツェの恋人~L'amore vero~
ハルが時々使う、不思議な言葉。


驚いた時や興奮した時、それから、眠たくなった時。


ハルは不思議な呪文のような言葉を使う。


華穂のフランス語を聞いた時、どこか似ている気がしたから、もしかして……と思ったのだけど。


ブオーナノッテ。


フランス語ではなかった。


「なぜ、そんな事を?」


と煌さんが興味深そうにテーブルに身を乗り出して来た。


「いえ……実は、以前もお話したのですが。同居人のことです」


「……ああ。クリスマス・イヴに拾ったという?」


私はこくりと頷いて続けた。


「その子、時々、英語でもないフランス語でもない、呪文のような言葉を使うの。どこかの国の言葉なんでしょうけど、私は日本語と英語以外は全くできないので」


分からなくて。


「そうですか」


テーブルに乗り出した体を元の位置に戻して、煌さんは意味深に微笑んだ。


貴公子のように気品良く、だけど、それ以上にミステリアスに。


「その同居人さんは男性ですか? 女性ですか?」


「男性です」


答えた私に、煌さんは人懐こい笑顔を見せた。


「お好きですか?」


「何がですか?」


「その、同居人の事です」


「誰がですか?」


「あなたが、です。東子さん。あなたはその“男性”に好意を抱いているんですね」


ね、と煌さんはまるでそうであるのだと決めつけるように言って、私の首元をじっと見つめてきた。


鎖骨に穴が空きそうなほどの鋭い視線だった。


「確かに、嫌いではありません」


私は首元の襟をさっと直しながら、否定した。


「でも、煌さんが言うような感情ではありません」


ハルに恋愛感情を、だなんて。


絶対にない事だわ。


そもそも、対象にもならないわよ。


あんなに謎だらけで、しかも、あの野蛮な目には恐怖さえ覚える。


「そうですか? 言いきれますか? ただ、気付いていないだけではないですか?」


「好きではありません」


だって、私は時々、ハルが怖い。


見えない敵と戦っているようなハルが怖い。


「気付いていないだけです」


と煌さんはテーブルに頬杖をつき、やわらかく笑った。


ブラックスーツの袖口からゴールドの時計が覗いて、キラリと輝いている。

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