フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「si……(もしも)」


と煌さんが一歩前へ詰め寄る。


「si……a ce moment……(あの時)」


ぷつり、ぷつり、気品のある声が途切れる。


「si……a ce moment……j'ai(僕が)」


煌さんがどんな事を言っているのかなど、私には分からない。


けれど、華穂の表情がこわばるのを目にした私は極度に緊張した。


「j'ai……si……(僕が……もし……)」


ごくりと息を飲み込んだその時、張りつめていた空気を切り取るように、着信音が響いた。


「失礼」


と煌さんは言い、スーツの内ポケットから携帯電話を取り出した。


ディスプレイを確認して一瞬目を細めた煌さんは、


「……Emmanuel(エマニュエル)」


私たちに“待って”と右手で合図を出して、背を向け話し始めた。


「Allo? (もしもし)……Oui,Au Japon(今は日本だ)」


華穂がほっとした様子でふううと息を吐き出した。


まるで、何かの呪縛から解き放たれたような 吐き出し方だった。


「華穂」


私は華穂に駆け寄り、拾った携帯電話を差し出した。


「華穂も意外とおっちょこちょいなところがあるのね」


「牧瀬ちゃん……」


ありがとう、と微笑み返して来た華穂の手に携帯電話を乗せようとした時、


「Cracking? (クラッキング)……telle(そんな)……tromper(馬鹿なこと)……」


罵声のような怒鳴り声のような大きな声に、私たちは固まった。


通行人もぎょっとした顔で煌さんを見つめていた。


「telle tromper!」


煌さんは青ざめた顔の額を片手で押え、ふるふる首を振っている。


「何……どうしたの?」


私が首を傾げると、華穂は小声で言った。


「クラッキングよ。今、そう言った」


「クラッキングって……あの」


「そうよ。煌たちの世界じゃ日常茶飯事よ。極秘情報をきれいにすっぱ抜かれたり、書き換えられたりね」


と華穂は言い、唇をきつく結んで、青ざめる煌さんをじっと見つめた。

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