フィレンツェの恋人~L'amore vero~
気を緩めたらふと深い眠りに堕ちて行ってしまいそうな気がする。
だから、シートにはもたれず、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、
「午後から晴れていたのに、また降ってしまいましたね」
と私はウインドウに当たって弾け飛ぶ雨粒を目で追いかけた。
「この雨、日付が変わる頃には雪に変わるみたいですよ」
運転手の返事を聞きながら、水滴の行方を追いかける。
「そうですか……雪、か」
――でも、本当は弱い人なの
真っ暗なウインドウに、昼間の華穂の寂しそうな笑顔が残像になって、ふっと映し出される。
茶色のさらさらショートヘアーに、小さな顔。
華穂は野原いっぱいに咲く、カモミールのような女性だと思った。
――とてもとても、弱い人よ……
ぎしっ、と軋んだのは、私の胸だった。
華穂のトップシークレットなんて、聞かなければ良かった。
本当にそう思ったし、聞いてしまった事に後悔した。
「ああ、いい匂いですな」
「……え」
「お腹が減ってきましたね」
運転手のしわしわに年老いた声で、現実に引き戻された。
ウインドウに映り込んでいたのはもう華穂えはなく、どこからどう見ても、牧瀬東子だった。
泣きぼくろがあった。
湿気のせいで長い髪の毛先がうねっている。
貞子みたいだ。
眉間にしわを寄せ集めて、小難しい顔をしている。
「この香りは肉まんですか」
運転席に視線を飛ばすと、彼は久しく食べていない、とくしゃくしゃの顔で笑った。
「ええ。肉まんです。同居人が食べたいと言っていたので」
シートからコンビニの袋を持ち上げて見せると、運転手はミラー越しにちらりと確認して、
「仲良しですね」
とウインカーを下ろし、右折した。
「冬は温かい物が恋しくなりますね」
自分はおでんが好きだ、と彼は言った。
「特に大根と玉子ね。あ、はんぺんもいい。それで、美味い日本酒を一杯」
とおちょこでくいっとやる仕草をした運転手を、私は笑ってしまった。
「お姉さんは?」
「え?」
「おでんでは何が好きですか?」
「そうですね……がんもどき、かな」
すると、運転手は楽しそうにハンドルを切りながら、渋いね、と笑った。
何とも言えない、人懐こくて可愛らしい笑顔が印象的だった。
「うちの孫たちはロールキャベツが好きみたいでね。時々、コンビニのおでんを買ってくるんだけど、年寄りの私はどうも好きになれんのですよ」
その笑顔はきっと、お孫さんに向けられたものなのだろう。
だから、シートにはもたれず、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、
「午後から晴れていたのに、また降ってしまいましたね」
と私はウインドウに当たって弾け飛ぶ雨粒を目で追いかけた。
「この雨、日付が変わる頃には雪に変わるみたいですよ」
運転手の返事を聞きながら、水滴の行方を追いかける。
「そうですか……雪、か」
――でも、本当は弱い人なの
真っ暗なウインドウに、昼間の華穂の寂しそうな笑顔が残像になって、ふっと映し出される。
茶色のさらさらショートヘアーに、小さな顔。
華穂は野原いっぱいに咲く、カモミールのような女性だと思った。
――とてもとても、弱い人よ……
ぎしっ、と軋んだのは、私の胸だった。
華穂のトップシークレットなんて、聞かなければ良かった。
本当にそう思ったし、聞いてしまった事に後悔した。
「ああ、いい匂いですな」
「……え」
「お腹が減ってきましたね」
運転手のしわしわに年老いた声で、現実に引き戻された。
ウインドウに映り込んでいたのはもう華穂えはなく、どこからどう見ても、牧瀬東子だった。
泣きぼくろがあった。
湿気のせいで長い髪の毛先がうねっている。
貞子みたいだ。
眉間にしわを寄せ集めて、小難しい顔をしている。
「この香りは肉まんですか」
運転席に視線を飛ばすと、彼は久しく食べていない、とくしゃくしゃの顔で笑った。
「ええ。肉まんです。同居人が食べたいと言っていたので」
シートからコンビニの袋を持ち上げて見せると、運転手はミラー越しにちらりと確認して、
「仲良しですね」
とウインカーを下ろし、右折した。
「冬は温かい物が恋しくなりますね」
自分はおでんが好きだ、と彼は言った。
「特に大根と玉子ね。あ、はんぺんもいい。それで、美味い日本酒を一杯」
とおちょこでくいっとやる仕草をした運転手を、私は笑ってしまった。
「お姉さんは?」
「え?」
「おでんでは何が好きですか?」
「そうですね……がんもどき、かな」
すると、運転手は楽しそうにハンドルを切りながら、渋いね、と笑った。
何とも言えない、人懐こくて可愛らしい笑顔が印象的だった。
「うちの孫たちはロールキャベツが好きみたいでね。時々、コンビニのおでんを買ってくるんだけど、年寄りの私はどうも好きになれんのですよ」
その笑顔はきっと、お孫さんに向けられたものなのだろう。