フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「邪魔をしてごめんなさい。出て行くわ」


きっと、今、真後ろにはハルが居る。


でも、振り向いてハルの目を見る勇気はなかった。


ドアノブを右へ捻る。


あからさまにはぐらかす事で、私は自身を保っていた。


泣くのを堪えるのに、必死だった。


「東子さん!」


その衝撃で、私はビニール袋をカーペットに落としてしまった。


「や……ハル!」


腕を捕まえられたくらいなら、落とすようなミスはしなかったかもしれない。


背中に触れる鼓動は、まるで裸で触れ合っているかのように生々しいものだった。


その時すでに、私の体はハルの腕の中にあった。


「離しなさい! 何をするのよ!」


身をねじっても振り切る事が不可能な程の、激しい力の強さだった。


「ハル!」


逃れようともがけばもがく程、ハルは抱きすくめる力を強めた。


背後から羽交い絞めにされているようで、苦しかった。


どくり、どくり、どくり。


私の鼓動なのか、ハルのものなのか、判別できなくなっていく。


ひっ、と声を漏らしそうになって、慌てて息を飲んだ。


「ハ……ハルっ……」


うなじを冷たくてやわらかな感触が這う。


ハルの唇だと分かった時、ドアに背中を押しつけられ、ハルの顔が目と鼻の先にあった。


「東子さんに軽蔑されたくない。それが、理由だよ。分かって……分かって、東子さん」


言い訳を口にするつもりなどないし、自分を正当化しようなんてこれっぽっちも思わないけれど。


ひとつだけ言わせてもらえるのなら、仕方なかったのだと言いたい。


背後はドア、左右はハルの手で仕切られていて、逃げる余地などなかったのだ、と。


「ハ――」


冷たい、氷のような唇だった。
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