フィレンツェの恋人~L'amore vero~
もう、終わりだわ……。


脱力する私に、向こうから老女が叫んで来た。


「Hey! Vous! (ちょっと、あなた)」


何をしているの、とか、追いかけなさい、だとか。


好き勝手な事をぺらぺら叫んでくるけれど、それが出来ていたら、こんなところに座り込んでいるものですか。


幼い頃からスポーツは大得意だし、運動神経には自信がある。


こう見えても、中学から高校まで陸上部だったのだ。


でも、恐怖心の方が強かったし、何より、情けない事に立ち上がる事すらできないのだ。


腰に力が入らないのだ。


ぺたんと座り込む私の真横には、気高く、瑞然とした古き良き教会が建っていた。


シテ島のノートルダム大聖堂よりも、左岸のサン・ジェルマン・デ・プレ教会よりも、サン・シュピルス教会よりも、遥かに小さい。


見るからに年季が入っているし、古色蒼然とした空気にすっぽりと包み込まれている。


でも、これまで私が見て来たどの教会よりも強いオーラが放たれているように思えてならなかった。


胸をわしづかみされたような気持だった。


遠ざかって行くひったくりの足音に耳を澄ませながら、私はただ茫然自失になってその教会を見つめているしかなかった。


私、何をしているんだろう。


少しフランス語を覚えたからと得意げな気になって、パリに詳しくなったような気になって。


ジョゼットの忠告もすっかり忘れて。


ひったくりに遭って。


ばかみたい。


調子に乗っていたから、罰が当たったんだわ。


パスポートも、長期滞在学生ビザも無くして。


ああ。


もう、何もかもお終いだわ。


そう思ってうつむいた時だった。


ギギイ、と重く錆びついた音が通りに響いた。


その音に弾かれるように顔を上げ、私は静かに息を飲んだ。


教会から出て来た人影に夏の陽射しが集まって、光のシルエットになった。


なんて……眩しい。


その人影に老女が叫んだ。


「Au secours! (助けてちょうだい!)」


泥棒よ、彼女を助けてちょうだい、と。
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