フィレンツェの恋人~L'amore vero~
顔色を変えて、腕時計を確認している。


どうしたものかと伺っていると、


「Desolee,jai rendez-vous (ごめん、約束があるんだ)」


あっ、と彼は日本語に訳して言い直すと、


「ごめん、約束があるんだ」


申し訳なさそうに肩をすくめた。


なんて律儀でなんてお人よしなのかと半分可笑しくなって、半分、呆れてしまった。


約束があるのに、行きずりの人間に関わって。


しかも、わざわざ材料を調達して来てはミント水を作ってくれたりなんかして。


どこまでおせっかいで、どこまで親切で、どこまでお人よしなのだろう。


私の事など、知らないふりすれば良かっただろうに。


「Je suis desole (ごめんなさい)」


と謝りながら立ち上がった私を、彼はおそらく、フランス語など無知に等しいただの日本人観光客だと思っていたのだろう。


「Survecu,Merci beaucoup (助かりました、ありがとうございました)」


一礼した私を、彼は目を丸くして見て来た。


フランス語は話せないと思っていたのだろう。


ジョゼット直伝の流暢なネイティブなフランス語を使った私を、彼は指さしてきた。


「Vous parlez le francais? (フランス語、話せるの?)」


「Oui,d'accord (はい)」


と私は微笑みながら頷いた。


「Aurait un rendez-vous? (約束があるのでしょう?)」


「Oui (はい)」


再びハッとして腕時計に視線を戻した彼に、微笑みながら言った。


「Vous pouvez vous depecher,S'il vous plait (ならば、どうぞ急いでください)」


「……D'esolee (申し訳ない)」


と彼はミントのように清涼感たっぷりの笑顔で、


「Voila,Monsieur (これをどうぞ)」


と紙袋を私の手に握らせた。


ずっしりと重たかった。


また泣いたらこれを飲むと良いよ、なんて言いながら。


「Merci beaucoup pour tout! (いろいろとありがとうございました)」


と会釈をする私に右手を上げて、彼はセーヌ川の方向へ駆けて行った。


きつい夏の陽射しの中へ飛び込むように遠ざかるスマートなシルエットはみるみるうちに小さくなって、あっという間に私の視界から消えてしまった。
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