フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「フランス語?」


ああ、あれは、と近くの椅子に浅く腰掛けて、煌が教えてくれた。


ラテン語だよ、と。


「ラテン……?」


「初めて見た?」


「ええ」


「まあ、フランスでは使わないからね」


「ラテン語はどこの国の言葉なの?」


質問しながら、私も煌の隣の椅子に腰を下ろした。


「バチカン市国では公用語だけど。イタリアのローマに囲まれた小国のみで使われる言葉なんだ」


「へえ。知らなかった。ラテン語は勿論、イタリア語も、特に英語が大の苦手なの」


「え! どうして? フランス語はできるじゃないか」


「私、一応、語学留学生よ。でも、フランスには猛烈な興味を抱いているけれど、他の国や言葉にはこれといった興味が沸かないのよ」


「華穂、君って、おもしろい女性だね」


「どういう意味?」


横目で睨むと、煌はくくくと笑いを堪えながら、言った。


「とても良い意味だよ」


ふん、と鼻息を鳴らして、私は視線の基軸を戻した。


「それより、ねえ。あれ。どんな事が書かれてあるの?」


あなた読める? 、と聞くと、煌は文字をなぞるように指さしながら、日本語に訳してくれた。


【vigilate quie nescitis diem neque horom】


「目を覚ましていなさい、あなた方はその日のその時間を、知らないのだから」


ううーん、と首を傾げてみる。


「もてあますわね。難しくて理解に悩むわ」


確かに一理あるね、と煌が頷く。


「これは難航を極めるね」


「でしょう? 選択に悩むわね」


「うん。そして、その選択には慎重を要するね」


ええ、と私が打った相槌をきっかけに、煌は言葉を隠すようにそっと口をつぐんだ。


だから、私も静かにその沈黙に便乗した。


目を覚ましていなさい、か。


あなた方はその日のその時間を知らないのだから、か。


……どういう意味なのだろう。


“その日のその時間”とは、どれを指すのだろう。


もう二度と戻れぬ、過去なのか。


はたまた、神のみぞ知る、未来か。


もしくは、今、現在なのかもしれない。
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