フィレンツェの恋人~L'amore vero~
煌に会いたいの、と私はジョゼットの手を振りほどいて、タクシーを飛び出した。


「Kaho! 」


ジョゼットの声が、背中に突き刺さる。


でも、もうどうにもならないのだ。


私は振り返る事もせず、ポン・ヌフに向かって一目散に駆け出した。


真っ白なスワロフスキー素材に、水色のカモミールの小花が散りばめられたデザインのバレッタを、しっかりと握りしめて。













けれど、ポン・ヌフに戻った途端に、現実を突き付けられたような思いだった。


もしかしたら、なんて、何を根拠に思ってしまったのだろう。


もちろん、そこに煌の姿はなかった。


あるはずがないのだ。


人の通りは極端に減っていて、だけど、夜の空間に浮かび上がるように輝くポン・ヌフ。


横を一台の空車のタクシーがゆっくりと通過して行った。


雨上がりの夜空に、上弦の月が浮かんでいる。


それがセーヌ川に映り込んで、上が本物なのか下が本物なのか、分からなくなってくる。


人気のない橋が妙に広く感じて、果てしなく思えて心細ささえ感じる。


「居るわけ……ないか」


ふう、と大きく息を吐き出す。


アンリ4世の騎馬像前から少し移動したところにくぼみがあって、そのベンチの上で膝を抱いてしゃがみ込んだ。


ああ。


疲れた。


中学からずっと陸上部だったから足腰にはもちろん、体力には自信があったのに。


勢いという物は恐ろしい。


全力で、ところどころ石畳の不安定な道のりをがむしゃらに駆け抜けた疲労が一気に膝を蝕む。


がくがく笑う膝を抱き締めながら、パリの夜空に溜息をふううっと吐き出す。


なんて美しい星空なのだろう。


雨が降っていたなんて信じられないくらい、晴れ渡っている。


この煌めきの空を胸いっぱいに吸い込む事が出来たら、このもやもやとした濃霧のような心も浄化されるのだろうか。


私は一体、何をしているのだろう。


一体、何をしたいのだろうか。


その答えを探せば探すほど、惨めになった。


ジョゼットを振り切ってまで戻って来たくせに。


何をするわけでもなければ、何かをすることもできずにこんなところにしゃがみ込んで、膝を抱きしめて。


「Con (ばか)……」


自分に呆れて呟き、抱き締めた膝に顔を埋めた次の瞬間、その音を、私は確かに聞いた。
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