フィレンツェの恋人~L'amore vero~
パリ中心部を流れるセーヌ川に掛かる橋は37もあるのに、そこだと決めていたわけでも口約束をしていたわけでもないのに、なぜだか、わたしたちはいつもその橋の上で待ち合わせていた。


右岸と左岸を結ぶ37ある橋のひとつ、ポン・ヌフ。


そして、どうしてなのか、気付けばいつもアンリ4世の騎馬像前で。


煌と一緒に居ると楽しくて、帰りが遅くなるのが当たり前になってしまって、帰るとジョゼットが呆れ顔で待ってくれているのだった。


でも、いつも煌がアパルトマンまで責任を持って送ってくれるようになってから、心配性のジョゼットももう以前のように心配はしなくなったし、放任主義になった。


ほとんど毎日と言っても過言ではないくらい頻繁に会っていた私たちが、突然、ぱたりと会わなくなったのは、シテ島のノートルダム大聖堂へ行った翌日からだった。


鷹司グループの創始者であり会長の鷹司五朗(たかつかさ ごろう)が、この世を去ったからだ。


彼が亡くなった事は、パスカルが握りしめて来たニュースペーパーの一角で知った。


それからの煌は大学の授業が終わるとすぐにその足で父の元へ行き、秘書の見習いとして経営を学ぶという多忙を極める生活に一転してしまった。


同時に、煌からの連絡もぱたりと途絶えてしまった。












芸術の都、パリ。


夏のバカンスシーズンが終わり、夏の間ひっそりと休業していたお店やアパルトマンにも人々が戻り、活気を取り戻した、9月。


第1月曜日には学校も平常を取り戻し、街は通勤に加えて通学する人々で本来の風景を取り戻していた。


だらだらと残暑を引きずる日本とは異なってパリは気温もぐっと下がり、日照時間も短くなる。


街の木々たちも紅葉を始め、まさに涼秋のパリ。


やっぱり、煌と会えないのは、つまらなかった。


けれど、こればかりは仕方のない事だったし、どうにかできるような事でもなかった。


煌が外資系大企業グループの御曹司である事を知った時、私はもしかしたら、心のどこかで知らず知らずのうちに予防線を引いていたのかもしれない。


煌はエリートだし、いずれは鷹司グループを継ぐ人間なのだから、と。


父はサラリーマン、母はパートタイマー。


極普通の一般家庭で育った私とは天と地よりも差がある事くらいは自覚していたし。


だから、これから先、これ以上の進展などない。


それは分かっていたことだった。
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