フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「あああ……」


と、彼は声にならない声を出して、しゃがみ込んでいる。


私が勢い良く押し開けたドアが、煌の額を直撃してしまったのだ。


「ごめんなさい!」


謝りながらしゃがみ込んで、私は煌の顔を下から覗き込んだ。


「大丈夫? ごめんなさい」


「頭蓋骨にひびが入った……気が……しないでもない」


と煌は額を押え、明らかに頬を引きつらせながらもへらへらと笑った。


「本当にごめんなさい! 何か冷やすものを」


と踵を返した私の手首を捕まえて、


「いい! もう治った! 僕は不死身だからね」


なんて、びっくり箱から飛び出す人形のようにポーンと立ち上がった。


痛みに頬を引きつらせながらも、健気に笑う煌に、苛立ちに似た感情さえ覚える。


なぜ、いつもそんなに、優しいのだろう。


痛いじゃないか、と怒ればいいのに。


なんてガサツな女なんだ、と貶してくれても構わないのに。


いつもそうやって、優しく笑ってばかり。


額の一部が赤くなるくらいなのだから、痛くないはずがないのに。


清涼感たっぷりに笑う煌は、


「Bonsoir,Mademoiselle!」


今日も水色のネクタイがとても良く似合っている。


「……煌」


「久しぶりだね、華穂。元気だった?」


「……ええ」


1か月会わない間に煌は一気に大人びたように見える。


もともとシャープだった頬がまた少し細くなったみたいだ。


けれど、その笑顔の清涼感と透明度はひとつも変わっていなくて。


煌はやっぱり、無防備に笑う人だった。


「どうしたの? 突然」


聞くと、煌はスーツのジャケットの裾を引っ張り直して、ネクタイの位置も直した。


「食事に行こう」


「……今から?」


「ああ、たまたま偶然、和食の美味い店を見つけたんだ」


にっ、と白い歯をこぼす煌の額に、こんもりとした瘤が現れていた。


「そろそろ日本食も恋しくなってきた頃じゃないかと思って」


と、額の瘤をしきりに気にしながら煌は笑うのだけれど、私はどうしても笑顔を返す事ができなかった。


私を、怒ればいいのに。


痛い、痛い、君のせいだ、と私を責めるくらいしても罰は当たらないのに。


「こっちに来てから、和食なんてほとんど食べていないだろ? きっと気に入るよ。お座敷の席だってあるんだ」


どんな時でも、優しい男の人ね。


煌は。


だから、嫌なのよ。


「……ごめんなさい」
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