フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「……煌!」


私は、ジョゼットの手をすり抜けて飛び出し、叫んだ。


「待って! 煌!」


車のドアに手を掛けた煌が、弾かれたように振り向いた。


煌と目が合う。


「連れて行って!」


泣きそうなのをひた隠そうとしたら、声が上ずってしまった。


「すぐに……すぐに支度をするから! 食事に連れて行って!」


「どうしたの、急に……」


目を点にして立ち尽くしているその人を、私は、たまらなく好きだと思った。


「急に気が変わったのよ。急に。パリで和食もいいかなって」


私がぎくしゃくと微笑むと、煌は可笑しそうにクククと肩を上下させて笑った。


「femme grincheuse (気難しい女性だね)」


なんて、優しい声で言いながら。


その無防備な笑顔に、胸が締め付けられる。


「私、着替えなくちゃ」


「うん。待っているよ」


「上がって。リビングで休んでいて」


「ああ、そうさせてもらうよ」


「すぐよ。本当にすぐだから」


「ああ」


頷く煌に背を向けて、急いで部屋に戻った。


軽くメイクを直して、先週買ったばかりのボルドーワイン色のワンピースに着替え、ニットの羽織物を抱えてリビングに行くと、


「……あ」


煌はソファーの肘掛を枕にして、寝息を立てていた。


「眠ってる……」


キッチンからカチャカチャと食器の音が聞こえてくる、温かな空気に包まれながら。


とても心地よさそうに、煌は眠っていた。


「疲れているのね」


ちょっとの物音くらいでは起きそうもない。


私は部屋からブランケットを持って来て、クスクス笑いながら煌の体に掛けた。


その様子を、キッチンの中から見ていたのだろう。


「Kaho? Qu'est-ce qu'il y a? (どうしたの?)」


出掛けるんじゃないの? とおたまを握ったままのジョゼットがつかつかと歩み寄って来た。


そして、ソファーを占領する煌を見つけるや否や、


「C'est incroyable! (信じられない) Tu plaisantes! (冗談でしょう)」


半分呆れ顔で、半分笑いながら、眠る煌の前にしゃがみ込んだ。


「Kou,Leve-toi (煌、起きて)」


揺すり起こそうと煌の肩に手を伸ばしたジョゼットの細い手首を、


「Non,Josette」


私はとっさに捕まえた。


弾かれたように、ジョゼットが顔を上げて私を見る。
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