フィレンツェの恋人~L'amore vero~
なんて、歯がゆいものなのだろう。


このドアの向こう側に居るのに顔を見て話せないという状況が、こんなにも歯がゆいものだとは思わなかった。


「僕は……なんて……愚かな人間だろう」


途切れ途切れに聞こえて来るその声を出している煌が、今、どんな顔をしているのか。


不安になった。


「失おうとして初めて焦って……こうして……必死になって。僕は……世界でいちばん、愚かだ」


泣いているのかもしれない、と不安になった。


「……煌?」


だから、せめてもの思いでドアに手のひらを当ててみるけれど、ただ冷たいばかりで不安はますます膨らんだ。


「……Bleu Clair (水色)」


コツ、と反対側から小さな衝撃が手のひらに触れた。


「Les fleu des champs (野原に咲く花)」


きめ細やかなミストのように清らかなのに、囁くような甘い声。


1枚のドアを突き抜けて聞こえてくるその穏やかな声に、明らかな変化があったのは、窓からたなびくように射し込んでくる月明かりが夜の雲に隠れて、ふいっと暗くなった瞬間だった。


「J'ai rencontre une femme exceptionnelle (まれにみる素敵な女性に出逢ったんだ)」


その声は、もう誤魔化し様がないくらいに震えていた。


「Je suis tombee amoureuse tout de suite (すぐに好きになった)」


「煌……私っ」


胸の奥底から突き上げるように感情が込み上げて来て、私は力ずくでドアノブを右へ回した。


キッ、と甲高い音を立ててドアは開きかけたけれど、


「開けないでくれって言っただろう」


強い力でねじ伏せられるように押し返されて、ドアは再びバタリと閉ざされてしまった。


「煌!」


私は感情的になって、ドアを手のひらで強く叩いた。


「いい加減にして!」


ドン、とドアを叩き返された次の瞬間、苦しさに悶えながら絞り出したような声が聞こえてきた。


「なぜだ……なぜ、みんな、僕から……離れて行こうとするんだ」


「……煌?」


驚かずには居られなかった。


「鷹司の性を捨てたら、僕は何も……誰も失わずに済むのか? 華穂、君を……そして、あいつも!」


ダン、と叩かれたドアから思わず後ずさった。


「……」


声は勿論、私は煌にかける言葉さえ、見失ってしまった。
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