フィレンツェの恋人~L'amore vero~
再び水を打ったように静まり返った空間に、淡い月光が差し込んできた。


同時に、


「Je suis epuisee (へとへとだよ)」


煌の声も穏やかなものに変わり、


「J'en ai marre (うんざりだ)」


だけど。


「Je suis fatiguee (疲れたんだ)」


その声は穏やかとは言えない、今にもふっと消えてしまいそうな蝋燭の最期の炎のように、擦れながら震えている。


煌が疲れ切っていることは、分かっている。


疲れた。


その一言を意味するのは、偉大な祖父を亡くしてからの著しい生活の変化と、極端に忙しかったこのひと月のことなのだろう。


と、……私は思いながら、かける言葉も見つけられず、歯がゆさを抱きしめて茫然と立ちすくんでいた。


煌。


ごめんなさい。


こんな時、何と言ってあげればいいのか、分からない。


気のきいた一言さえ思いつかない自分の情けなさに呆れてしまう。


「Je suis fatiguee (疲れた)」


疲れた、疲れたんだ、疲れた、とドアの向こう側で譫言のように何度か繰り返す煌に、私はどうする事も出来ずに、ただやきもきした。


「……煌」


私はドアに歩み寄って右手を伸ばしたけれど、


「華穂。僕はもう、本当に疲れてしまったんだよ」


「煌」


「もう、限界なんだ」


手のひらでドアに触れる寸前で、とっさに手を引っ込めた。


疲れた。


その言葉に隠されていた真実を知った時、


「この1ヶ月……僕は、あるひとりの女性の事ばかり考えていたんだ」


「……えっ……?」


「疲れて、疲れて、もう……どうにかなりそうだった」


私の胸は張り裂ける寸前にまで、大きく大きく膨らんでしまった。

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