フィレンツェの恋人~L'amore vero~
「そうでもしていないと、もう一人の自分が現れて僕を消してしまおうとするんだ。自分が自分でなくなる気がして、恐ろしくて」


煌は言いながら、また一歩、後ずさった。


まるで、私に金輪際近寄るなとでも言うかのように、離れて行くのだ。


「臆病者なんだ、ただの」


うつむきながら、一歩ずつ、だけど、確実に。


「僕はずるくて、強かで、人の顔色ばかり気にして生きている……情けなくて弱い人間なんだ」


「それの……が……のよ……っ」


私はおかしいのだろうか。


私は、頭がおかしいのだろうか。


彼が初めて見せた弱さを愛しいと思ってたまらなくなった私は、やっぱり、おかしいのだろうか。


そして、嬉しいとさえ思う私の頭のネジは欠陥品なのだろうか。


本当に突発的な感情に、私がいちばん戸惑った。


私にもこんな部分が隠れていたのかと。


私はズカズカと煌に詰め寄って、ハッとして顔を上げた彼の胸ぐらに掴みかかっていた。


「それのどこが悪いのよっ!」


わなわなと震える手で、スーツの胸元をむしるように掴んでいた。


「誰だって同じだわ! 私だって……人間なんて、みんなそんな生き物じゃないの!」


「……か」


「弱くてずるくて、強かで……それのどこが悪いの!」


この世に完璧な人間など存在するものなのだろうか。


私は未だかつて見た事も会った事も、聞いた事もない。


「それのどこが悪いの!」


私だって、好きだった。


たぶん。


……いいえ、違う。


「……ね……煌」


そうね。


確実に。


初めて会ったあの日から、ずっと。


こうしている今も。


「どうして……そうやって、自分を責めるの……煌」


たまらないわ。


あなたのことが、好きで。


たまらない。


「どんなあなたであろうと、煌は煌よ」


過去に何があったとしても、未来に何が待ち受けていようとも。


「あなたは、あなたじゃないの……そうでしょ、煌」
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