フィレンツェの恋人~L'amore vero~
――ごめんなさい、煌。母さん、もう鷹司の家に戻る気はないの


この空白の5年間の事も、そして、これから先の事も。


――私はあなたの母親である前に、女なのよ。幸せなど望んではいけない人に、もう一度、恋に落ちてしまった愚かな女なの


ごめんね。


ごめんなさい。


本当にごめんなさい。


『ごめん、て本当に幸せそうな顔で謝るんだから……正直参ったよ。女性はここまで残酷になれる生き物なのかって。だって、幸福に満たされた顔で“ごめんね”って……』


何度も何度も謝りながら、彼女は息子である煌に離婚届けをたくしたのだから。


――これ、一郎さんに渡してね


『何も言わずに受け取った僕の目を、母は見ようともしなかった。だから、確信したよ。母の人生からすでに僕という存在は無くなってしまったんだって』


とうとう、母の人生に僕は必要のないモノになったのだ、と。


排除されてしまうのだ、と。


でも、不思議と悲しみも腹立ちも無かった、と寂しげな瞳を輝かせながら煌は言った。


『母を責める気にはなれなくてね。むしろ、嬉しかったのかもしれない。あの時の僕は』


この女性はやっと幸せに触れる事ができたんだな。


『そう思うと責める気などなれなかった。これっぽっちもね。母の人生が我慢ばかりだった事を知っているからこそ』


と煌はまるで全身で母親をかばうように微笑んだ。


――この子、今日が誕生日なの


『かつて、僕の手を握ってくれた優しいその手が、どこか僕に似たその少年の髪の毛を撫でるのを見て、胸がいっぱいになった……嬉しくてね』


Quanti anni ha? (いくつ?)


煌が訊ねると、少年は無垢な笑顔で答えた。


Ho cinque anni! (5さいです!)


『泣きそうになった。なぜか分からないけど、この子が僕の弟なのかと思うと泣けてきたんだ。涙を堪える僕に、少年はポシェットからキャンディーをひと粒取り出して、くれたんだ』


medicina per mal di pancia (おなかがいたいときのおくすり)


『ミント味のキャンディーだった』
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